「千と千尋」の冒頭だけ5回見て感じる戦慄とその正体
みなさん猛暑ですね。もうしょうがないですね、と言いたいところをぐっと堪えて、突然「千と千尋の神隠し」の話を始めます。
「となりのトトロ」と「魔女の宅急便」は家族全員完璧に「見た」と言えるけど、「ナウシカ」を「見た」と言えるのは長女だけだったり、「ラピュタ」は長女と長男だけだったり、
年齢差のある兄弟あるあるだと思うのですが、ちゃんと見たり見てなかったりするジブリ作品。親は完璧に履修が終わってるので、その情報格差に気がつきにくくないですか。
「君たちはどう生きるか」が席巻する2023年夏。
私はまだ映画館に行けてないのですが、もし家族で見に行くことになった時に少しでもジブリ作品の解像度が上がっているといい気がして、子供達にもう一度ちゃんと既作品を見てもらう時間を作ろうと、まず全年齢楽しめそうな「千と千尋の神隠し」をプレイヤーにセットした週末でした。
この時代になってもまだ日本ではサブスクを解禁していないジブリ作品。でも付き合いの長い作品なので、Blu-rayやDVDが幸いなことにうちにありました。
再生が始まり、スイートピーの花束を持つしょぼくれた顔の千尋から物語が始まります。
そうそう、こうだった・・・。痩せっぽちでいまいち生気のない千尋、四駆のアウディと高級そうな腕時計をぶん回すマイペースなお父さん、そして品はあるけど冷たい感じの金のアクセサリーと綺麗に塗られた口紅が印象的なお母さん・・・。
道に迷って、「バブルの頃色々建てられて潰れちゃったアミューズメントパーク」に歩みを進める3人。
子供達はみんな「これからどうなるんだろう」と言う顔で物語に引き込まれて行く序盤・・・・・
ビビビッ、と画面が乱れて再生が止まりました。
えっ。
「止まっちゃったよ?」「なんで?」「え??」
Blu-rayは再生ボタンを押しても巻き戻しでも早送りでも動かずそのまま固まってしまいました。
「Blu-rayが汚れてたのかな?傷があったのかな?」
取り出して磨いてからもう一度再生します。
お母さんにくっついてトンネルを潜り抜けて・・・・また止まる。
「この箇所をスキップすればいいんじゃないかな?」
もう一度ソフトを取り出し入れ直してからチャレンジ。
また同じところで止まる。
「・・・これはもうダメだ。買い直しかなあ」という諦めに至るまでに5回、お父さんとお母さんがなんかやな感じでちっとも楽しくない冒頭を見ることになりました。
しかし・・・・・
しかしだ・・・・・
私は何度も見ることで、「・・・お母さん全然普通だし、、、なんなら私自身このお母さんにどんどん近づいて行ってるかも・・・」と、ゾワっとしたのです。
お母さんは何も間違ったことを言っていませんし、してもいません。
車の中で後部座席から身を乗り出す千尋に「ちゃんと座って」と言い、引っ越しが迫ってやることがたくさんあるのだから「しっかりしてよ」と促し、歩きにくいほどに腕にしがみつく千尋に「そんなにくっつかないで」と言う。こわがってトンネルに入りたがらない千尋に「車で待ってなさい」と言う。
なにも非難されることなんかない、普通の母親の対応です。
でもとてもいけすかなく感じるのです。千尋の感情の方に軸足のある人から見たら、面白みのない冷たいお母さんです。
宮崎駿さんがこの「普通のお母さん」に対して良い印象を抱いてないことが強く感じられます。子供の感覚に寄り添わず、こなすべきタスクに主眼を置いている存在は、子供の心理的成長の応援者ではないということが表現されているようです。
5回も見ているうちに「このお母さんは自分だ」と感じて「ゾワッとする」という気持ちになった理由・・・それはこのお母さんの眼差しの描かれ方にありました。
イラストのように、お母さんの目は千尋を見ているんですが、真正面からは見ていません。
見ているんだけど、姿を見ているだけで、心は見てない。千尋の関心ごとを自分の中に入れるつもりがない目です。
私はこういう「見てるだけの目」の反対を「食べる目」だと思っているですが、目で食べようとするほどに対象者を見ることが人にはある。それがわかるから、「別にあなたの思いを、存在を、(今は)食べたくはない」というしるしもわかります。
このお母さんに自分は近いことをすることがある。
今日も・・・
「お母さん、カナブンの木があるんだよ。見せてあげるよ!」とキラキラした目で手を引かれて、カナブンが10匹くっついた木を見せられたんですが、その時の私はきっと千尋のお母さんと同じ顔をしていました。
「へえ、すごいねえ」
そう言葉で言っていても、「でも私は仕事があるし、早く机に戻らないと」と思っているんです。
「引越し作業を進めないと」と思っている荻野悠子と同じです。千尋のお母さん悠子さんって言うんですよ。荻野悠子35歳。
さらっと描かれているように見えて、あの「普通のお母さん」の描写のリアリティの凄まじさ。
「普通のお母さん」はあんなにつまらなくて上っ面だけ綺麗で底意地が悪そうなんです。いい人でちゃんとしてそうだと社会的には見られるでしょう。でも子供の心の軸からはとてもとても遠い。
ああ、私は今あの千尋のお母さんと同じ対応をしている。どうしたらいいんだろう。トトロのお父さんになれてない。どうしたらいいんだろう。
螺鈿を溶かしてビリジアンの絵の具を混ぜたようなカナブンの美しい背中。カナブンの木にキスしそうなほど、うっとりと眺める6歳のWちゃんの瞳を見つめながら悲しくなります。
でも・・・・・
でも・・・・・
私のカナブンは、いま漫画のネームなんですよ。カナブンにうっとりする心は私にもあって、でもそれを全部注ぎ込む先が他にあるんですよ。
きっと荻野悠子もそうなんですよ。
なんかこう、一生懸命探して買ったイタリアの家具とか、20年追いかけてるアイドルのファンミーティングとか、田崎真珠の新作発表会とか、大きなダムの一年に一度の大放水では目がきらめいているんですよ。
それが千尋にも私たちにも見えてないだけで!
でも見えてないから「面白くない冷たいお母さん」だと思っちゃう!
悲しい!
物語上いらないから削ぎ落とされた荻野悠子(35歳)の人間的魅力。それを何だか泣きそうな気持ちで考えながら、それでもやっぱりときどきは荻野悠子も千尋の目を真正面から見てほしい。
湯屋での経験を経て、豚になった両親を助けて元の世界に戻ってきた千尋。その千尋の目をもしも真正面から見ることがあったら、その瞳の中に絶対に新鮮な煌めきを感じとれると思うのです。
荻野悠子にもきっと、「目の中に入れても痛くない」「食べちゃいたいくらい可愛い」と千尋のことを見つめた愛しい時間があったはずなのだから。
新しいBlu-rayがまだ届かないので、私たちの神隠しの旅はまだまだこれからです。
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末次由紀のひみつノート
漫画家のプライベートの大したことないひみつの話。何かあったらすぐ漫画を書いてしまうので、プライベートで描いた漫画なども載せていきます。
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