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泣けない大人の皮を脱ぐための毛布

たぶん辞書を探しているのだと、手を当てた胸が言う。

新聞の相談コーナーや相談を集めた本を読むのが好きな自分の志向の中身の話である。

言葉が下手だ。言葉の扱いが下手だ。
人と接するときに発する言葉にいつも悩み、使いこなせている気が全くしない。いろはにほへとちりぬるを。五十音がいつまで経っても自分のものにならない。辞書を読むことも、本を読むことも好きなのに。

そんな苦しさを物心ついてからずっと抱いている私に、エッセイスト紫原明子さんの書いた新刊が届いた。クロワッサンonlineで連載されていた相談室が書籍化されて一冊にまとまったとのこと。心を躍らせて手に取って、序文から章の目次まで目を通して「どれもこれも興味深すぎる」と唸る。
相談文の見出しを一部書き出すので皆さんちょっと読んでみてほしい。

■好きになった彼には恋人がいました
■別居のやめどき、離婚のタイミングがわかりません
■「お前が働くことに何の意味がある」と言う夫を許せません
■職場の年下男性に好意を持たれています
■マッチングアプリを使わない自然な恋愛がしたい!
■誰からも好きになってもらえる気がしません
■飲みに行く友人もいない。この寂しさをどうしたら良いんでしょう
■人と親しくなれません。悲しくて寂しくて涙が出てきます。
■人を頼ることができません
■他人を軽蔑してしまう自分が冷たい人間に見えて仕方ありません
etc etc・・・

ひぃ。と自分の横隔膜が下がり悲鳴に似た浅い呼吸が出る。

言葉を使いこなせない自分にはこれが【全国統一★日本語運用&共感力検定】に見えてしまう。

この問題に対する辞書がない。経験と言葉のストックが足りない。難問に対する回答をどれだけ芳醇に紡げるか・・・
この山をどう登ったら良いのかと、マッターホルンを前にルートを選定しろと言われているかのよう。高尾山も登ったことがないのに。
どれも難問だ。難関だ。登れる気がしない。
「こ、こまったねえ・・・」と一緒に首を捻ってそのまま滑落する予感だけがする。

相談者の皆さんと同じように、途方もなく心細くなって相談文を読んでしまうのだ。
【誰からも好きになってもらえる気がしません】なんて、私もそうだよ!と手を取り合って泣きたくなる。

この目次だけでどんな属性の人かわからないままその章に飛んで読んでみたら、大学3年生の男性。もう全然属性が違って、ますますなんと答えたらいいかわからなくなる。
そんな路頭に迷う21歳大学生男子と私に、紫原明子さんが掛けてくれる毛布はもう最初から分厚くふかふか。

「恋愛をしたい、モテたいと言うお悩みを他人にこんなふうに相談できるRYさんは基本的に何も心配ありません」

ほんとに!?

「なぜなら恋愛のための最初のアクションは『世界に他人がいることに気づく』ことだからです。

なんだってーーー!!

大学生男子くん、、、紫原明子さんに相談文を寄せられただけでもう君は大丈夫なんだよ・・・その苦しさも心細さも、人に頼ることができるくらいの強さをもっているんだよ・・・相談をできる人間は強いんだ。人の言葉を、少なくとも紫原明子さんの言葉を聞く準備がある。柴原明子さんの処方箋を受け取れる。もう大丈夫だ。怖がりは毛布に残して、少し外に出て人に出会ってみようじゃないか・・・

そんなふうな気持ちにむくりとなり、私まで毛布から出る勇気が湧いてくる。

紫原明子さんの文章は不思議だ。わかりやすい平易な言葉はいつも、柔らかく優しく「でもそれはまだ試していなかった」という結構な冒険への道を示す。
そう、「あなたはそのままでいいんだよ」というような耳触りがいいかわりに何の変化も対処も示さない返答ではなく、具体的な変容のやり方を示してくれるのだ。
うっかりのせられて、行動しそうになる。

「たとえば一人の作家の本をすべて読んでみる」「いっそ老若男女分け隔てなく、出会う人全ての魅力を見つけるボーイになったらいいでしょう」【自然な出会いを数を増やすための施策】が10案!
【既に出会っている人と出会い直すための施策】が5案!

できそうなやつが・・・・ある・・・・!
するりと飲み込めて、行動を変えられる気持ちになる。



相談文というのは、相談者もありったけの勇気を振り絞って文章を綴り、自分の弱いところを見せる。
そして、心と体に取り込める回答文というのは、回答者の奥底にある弱さ、不器用さを持ってして全部の体重を乗せて示されるのだ。

紫原明子さんになかなか会うことはかなわないけれど、この本を読んで、斜め前でニコニコしている紫原さんと語り合っているような気持ちになる。あたたかい空気に包まれる。
日本語運用テストを受けているような気持ちは霧散して、素直になることの大事さと、弱みを見せることのリラックスを同時に感じられるような、そんな本だった。

辞書を探していた焦りを忘れ、
「大人だって、泣いたらいいよ」
そんな言葉に乗せられて、前向きに泣きたくなるような、そんな一冊。

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