抱きしめるように離れること Coda映画感想
「完結した漫画を一気に読むのが好きなんですよ」
うちの下宿大学生くんが言いました。
「それは最高に楽しいよね」
「でも、なんか申し訳ないんですよね」
「なぜ?」
「一気に読んで、一気に楽しむのって、後ろめたい時があります。だってその何年もかかった漫画の連載を支えたファンじゃないから。育てたファンじゃないから」
映画というのは「最初から完結してる長編漫画」なのかもしれません。
「Coda-あいのうた」を昨日見たのですが、
見終わったあと、その一気に駆け抜けた物語を両手に抱えて、なんだろうこれは・・・とぐるぐるしていました。
今年のアカデミー賞作品賞・脚色賞など四つの賞を受賞した作品なので、わたしがストーリーを紹介するまでもないのですが、CodaとはChildren of Deaf Adultsの略。
聾唖者の両親&兄と健聴者の主人公の4人家族の物語です。
手話でコミュニケーションをとる家族の中でも主人公ルビーはマイノリティ。学校で「あんたの家族って変わってる」と笑われれ、そこでもマイノリティ。
17歳のルビーの状況は難しく、家庭の経済状況も難しく、未来を夢見るのも難しく・・・・。
映画を見てほしいので物語についてあんまり書けませんが、印象的なシーンがたくさんあります。
耳が聞こえない家族が音楽会というものでどう過ごすのかというのも「ここでその演出を!」という方法で観客に教えます。娘が出ていたって、音楽会がどれほど退屈か。どれほど伝わらないか。
どれほど「聞こえない」人を置いてきぼりにしているか。
音楽の先生がまた素晴らしい。
歌が好きだけど、自信が持てず逃げそうになるルビー。彼女に寄り添う先生の態度がいつもとても真摯で紳士。私たちはこういう先生に出会いたいんだよ〜〜〜〜〜〜〜。ベルナルド・ヴィラロボス先生。根気強さに私まで巻き舌の練習をしたくなるベルナルド・ヴィラロボス先生。
コミュニケーションがそもそも困難なのは健聴者と聾唖者が接するからで、片方だけのコミュニティならそのストレスは少ない。でも前提の違う人がいることで生じるストレス。通訳の役割として依存される主人公。その逃げ難さ。のしかかる重さ。監督・脚本を担当したシアン・ヘダーは
と語っているけど、ルビーの状況は大きなドアのノブに手をかけ開け閉めしなきゃならない吹きっさらしに立ってろって言われてるようなもの。
どっちかの部屋に行かせてよ!片方だけなら楽だったのに!
後半歌われるジョニ・ミッチェルの「青春の光と影」。ただでさえ名曲なのにそれをまたこんなに輝く歌にしたこの映画。
頑張っているのにどの場所でもマイノリティであるルビーの苦しさ。その苦しさは、ルビーが挑戦することでなお軋轢を生み、家族に見えるものになっていきます。努力して苦しいだけじゃ何も変えられないこと、周りの人に「自分はこれがしたいんだ」とわかってもらって、各々が挑戦をすること、それがみんなの人生のステージを上げることになるんだと、
映画館を出た後に私が受け取ったのは、そんなメッセージでした。
私が15年続く漫画を描けたのは、ずっとBE LOVEを読んで、単行本を出るたびごとに買い続けてくれたファンのおかげなのです。支えて育てて伸ばしてもらった実感があります。
映画は見た時点で既に完結していて、支えて伸ばすということができない。
でも、この映画が素晴らしいもので、時代を超えてたくさんの人に観てほしいもので、世界を少しだけでも広く明るくする力があるものだと語っていくこと。
それが映画を託されたファンの挑戦だろうと思うのです。
考えを伝えること、歌を伝えること、愛を伝えることがどれほど大事なことか。伝えることの先にある「つながる」ことと、抱きしめるように離れることとがいかに人を強くするか。そんなことがぎゅうっと詰まった作品でした。
ぜひ映画館で。またはいつかネット配信で。
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末次由紀のひみつノート
漫画家のプライベートの大したことないひみつの話。何かあったらすぐ漫画を書いてしまうので、プライベートで描いた漫画なども載せていきます。
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