物語を加速させるために必要なこと
40枚のネームにかけられる時間が6日間予定されていたとして、私はいつも「そういうルーティンなんじゃないか?」というくらいに同じルートをたどります。先に申しておきますが、ここから記述するのはダメルートです。
大なり小なりつまづきや悩みの深さに差はありますが、だいたい
1〜4日日目→机に座っているけれど、ネームのページはまだ開かれてない。ペンを持つことさえできず、ずっと考えているという体で他の仕事を優先し、そんなスピードで片付けなくてもいいものから手をつけている。なのでこの期間に依頼されたコメントやイラストの仕事はとても早く上がって担当さんを驚かせる。
5日目→ネーム0枚。「できない。やばい」と周囲に焦りを伝え始める。けれどペンを握れない。ネームのページも開けない。考えてるようで考えてない。プロットをまず作れてないことに気づく(恐怖)
6日目→ネーム0枚。元気をもらいたくて、今勢いのある漫画や自分をこれまでもずっと励ましてくれた漫画を手に取る。そして面白い漫画のせいで自分の漫画をまた描きたくなくなる(絶望)
7日目→心のネーム締切を踏み越える。「できない・・・」という愚痴はますます悲痛になっていく。周囲の「いやできるよ!!」という励ましと、「できないんじゃ済まないんだよ!」という自分の内なる声に押され、やっとこれまで出版された単行本と、直前の1話を読む。
8〜9日目→めっちゃ描ける。アホかな?というくらいちゃんと終わる。けれど心の締切は綺麗に3日踏み越える。でも経験上そのくらい踏み越えるのがわかっているので、ペン入れの前に二日くらいバッファを入れている。
えらい。
いや全然えらくない。そもそもバッファ二日じゃ足りてない。
本当は家族のために土日を空けている(ズボラだからずーっとペン入れ予定と書いているけど本当は家族と過ごす予定)のに、結局週末もペン入れに充てることになるので、家族を泣かせることになり、全然えらくない。
なにこれ。
もう、なんで7日目から始めないの?せめて6日目から始めるべきなんじゃないの?なにしてるの?1〜5日目。
ここまで連載を続けてもこのダメルーティンから抜け出せないでいること、今回これを重く感じて言語化することにしました。
これまで長い長い月日をかけて、私がやっていたことは、「徹底的に追い詰められるまで自作と向かい合うことを避ける」というルーティン。
こんな情けないことがあるでしょうか。
面白い漫画が描きたいと思っても描けるものじゃないことは100も承知で、藁にもすがる思いでほかの先生の作品をたくさん読む中で、前述したように打ちのめされて、ますます漫画を描くのが難しくなるのですが、それでも「自分の漫画を読む」ことよりも「他の漫画を読む」ことがハードルとしては低いのです。
自分の漫画なんか本当は全然読みたくない。
自分のことをイマイチだと思っていて、それを直視したくない。
そんな気持ちが1〜5日を覆っています。自分と、自分の動かしようのない過去の作品と向かい合うことが辛いのです。
こんなに繰り返していて、作品を世に出すことに慣れていても、その結果から逃げたいのです。
問題点から目を逸らしたい気持ちと、問題点から目を逸らしたまま勢いだけでなんとか描けないかな、という強烈な甘え。
その甘えをねじ伏せるために「時間がなくなる」という圧が必要で、もう限界だというところまで逃げてから、やっと「毅然と戦っている素晴らしい他の先生の漫画」に「助けて」とすがりつくことができます。
6日目にすがりついた先の漫画、今回は「呪術廻戦」。15巻を一気に読み、猛烈な面白さに舌を巻き、こんなに絵と漫画がうまくないとやっていけないのか、ということに打ちのめされました。そしてとうとう最終巻になってしまった「DAYS」42巻を手に取り、爽快なまま終わってしまう物語に涙し、また大好きな27巻から42巻までぶっ通しで読んで、紙の上に刻まれた奇跡を受け取りました。
7日目。やっと自分の漫画に手が伸びます。逃げてはいけない、と歯を食いしばって36巻くらいから読みます。
読むと・・・・もう、なんで目を逸らしていたのかな、と思うくらい、作品が頑張っていて、言ってしまえば私が今描ける以上の能力で漫画を成り立たせていたりして、「わあ すごいな」と思ったりして。
「自分が描いた」からきっとイマイチだろうと思っていた作品が、何言ってんだよ、という感じで一人前の顔をして立派に戦っているんです。
自分の作品じゃなくて、ひとつの漫画として読んで、そしてそれで、「悪くない」と思う。思える。
過去の自分もその時々で必死だったし、それは決して醜いものじゃないということが、やっと染み込むように認めらるのです。
作品に対して、随分と失礼な態度を取っていたことに気付かされます。
そして、やっと気づくのです。向き合うべきは自分じゃなくて「作品」だと。作品世界が動いているて、中のキャラクターが躍動してる、その勢いを次に伝えるために私がいる。
そのバトンをちゃんと受け取らないとと思えてから、やっとペンを持ち描く覚悟ができる・・・・
…馬鹿じゃないんでしょうか???????
これを毎月やってて、それでも「向かい合えない」時間が来るんです。恐ろしい。それほどまでに自分自身というのは、対話したくない相手のようです。
自分と向き合わないと作品とも向き合えないと思い、自信がないから先に進めないと思う。その順序がおかしいと気づかずにいるのです。
同じようにダメルーティンで追い詰められている人がもしいたら、手を取り合って励まし合いたいところなのですが、本当に必要なのは「別に自分は信じなくていい」という言葉と「キャラクターとその物語を信じたほうがいい」という言葉なのかもしれません。
信じきれないから、強引に頭の中で動かそうとしてしまうのです。作者の勝手になると思って、その責任が自分だけにあると思い始めるのです。
思えば、作り出したものに自信が持てなくて向かい合えないなんて、随分と偉そうじゃないですか。もう世界は一つ作られていて、そこにいるキャラクター達は生きているのに。
それを後悔したり反省したりするのは、自分が神様だと思ってる人間の傲慢な態度です。
世界を信じて、キャラクターの気持ちをしっかり聞いて、彼らが最大限生き生きするように舞台を整えることに集中するべきなのだと、苦労してきた自分はやっと言葉にできます。
時間は有限で、うっかりしている間に桜は散ります。
一コマ一コマを大事にしないでいたら、いつの間にか物語が終わります。
うすうす感じていたことをやっと言葉にできたので、来月からの私はルーティンひっくり返すことにします。
ネーム1日目。いかに苦しかろうとも、歯を食いしばって自作の単行本をしっかり読む。
→勢いが乗らなかったら、好きな漫画をたくさん読む。
グダグダを排除して進めるのかどうか実験してみます。
物語を信じてキャラクターを信じて描くことだけが、自信をくれるのだと証明できたらと思います。
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末次由紀のひみつノート
漫画家のプライベートの大したことないひみつの話。何かあったらすぐ漫画を書いてしまうので、プライベートで描いた漫画なども載せていきます。
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