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僕が、HARTiを作りたかった理由

おはようございます。HARTi代表の吉田です。

本日26歳の誕生日を迎えました!誕生日メッセージをくださった方々、ありがとうございます、、!

HARTiを創業したのは大学3年・23歳の時。海外帰りで起業家の人脈ゼロ・学生起業で経営の右も左も分からず、もらった領収書は丸ごと捨てていたような創業期から早くも2年半が経とうとしています。

今回は、このnoteを開いてくださった方に「HARTi」が事業を通じて達成したいビジョン・実現したい世界について、そして吉田自身が「起業」という手段でこの課題の解決を目指そうと思った背景などを、これを機に少しでも知ってもらえると嬉しいです。

「思い出が、消えていくような気がした」

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はじめに、僕の生い立ちの話を少しさせてください。

僕は広島の山奥の田舎町で、ごく普通の一般家庭で生まれました。

小さい頃の思い出といえば、決められたおもちゃで遊ぶのが楽しくなくて、家の近くの雑草だらけの売土地に友だちと秘密基地を作って遊んだり、自由帳に迷路を発明してはクラスメイトに遊ばせたり、学級文庫で「マンガ禁止」だったので近くの農協に交渉しに行き、「農業マンガ」なら勉強になるんだから良いよね、先生!と交渉して「勉強系マンガOK」にしてみせたり、とにかく0→1を作るのが好きな好奇心旺盛な子どもでした。

保育園の頃から英語が好きで、大人になったらとにかく都会や海外のもっと広くて大きな世界に出たい、その一心で高校まで進みました。

地方都市とは恐ろしいもので、僕が東京へ旅立つまでの18年間の間に、通った保育園は無くなり、家族で行った海の見える公園も潰れ、倉敷チボリ公園は廃業し、ついにはみんなで集まった思い出の詰まった商業施設まで更地になりました。まるで地方都市の「お手本」のような衰退をこの目で見て、正直やるせないと言うか、感情的に湧き上がる「このままでは故郷がなくなる」という思いが日に日に強くなってきました。


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▲ 2009年に廃業した倉敷チボリ公園(とても好きだった・・)

「支援」では続かない。「ビジネス」で構造から解決する

どんなに素敵な遊園地だって、商店街にあるあのお店だって思い出だって、「ビジネス」として回らなければ廃れて消えていってしまう。まだ中学生でしたが、この頃から直感的に「支援」ではなく「ビジネス」で解決しなければならない課題が世の中には多くありそうだ、と思うようになりました。これは今のHARTiが貫いている「ビジネスとして社会課題を解決する」という姿勢につながっています。

その後、大学は法学部へ進み、とにかく「社会の仕組みを学びたい」「政治だったら街作りの仕組みごと変えられるかも知れない」そう思い、これらの課題を解決するアプローチを自分なりに探し続けました。その中でイギリス・ロンドンに長期留学へ行くことを決心し、異国の地に飛び立ちました。実は、このロンドンという街こそが、僕の人生の転換点だったのです。


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正直、ロンドンに住むまで、「アート」というもの自体に僕自身そこまで興味・関心がありませんでした。15年間続けた書道は別としても、美大への進学はおろか、美術館にすら自分から好んで行くような学生でも無く、むしろ「法律」を扱っていた当時の自分にとって「アート」は一番遠い領域のようにすら思っていました。

しかし、大学の寮があったイーストロンドン地区はShoreditchやBrick Laneを始めとする英国随一の感度の高いアートエリアで、通っていた大学も大英美術館やNational Gallery、Tateといった世界的な美術館に囲まれており、どう足掻いてもアートに日常的に触れてしまうほど身近にアートがあったのです。

加えて、その美術館はほとんどが入館料無料で、大学の授業終わりにも死ぬほど行きました。一般の人々は世界的なアート作品に無料でアクセスすることが出来るのです。しかし、これは正確には「無料」な訳ではなく、富裕層や企業からの大口の寄付金で全体として経営が回っているという仕組みでした。

そう、ロンドンという街は、アートが普段の経済活動と密接な距離感に存在し、一般の人々に開かれた形で、かつ経済合理性を持ってその環境が提供されている、後のHARTiのミッションに対してお手本となるような街づくりを体現している都市だったのです。

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▲ ロンドン随一のアート商業エリア "Carnaby Street"

都市に、”温度”を取り戻す

僕は特にロンドン市長のこのメッセージが強く胸に突き刺さりました。

「芸術・文化施設の無料開放は、ロンドン市民の福利厚生に繋がる」

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まさに、いかにロンドンという街が「文化・芸術」の存在を一般の人々にも開かれたものとして捉えて、社会生活にそれを還元しようとしているかがよく分かるメッセージでした。ロンドンという街は人口の2/3が移民とも言われ、イギリス人よりも海外から来て住んでいる人の割合の方が多いとのこと。そうなると「宗教」や「土着の文化」での相互理解は難しく、まさに多様な文化を受け入れる土壌として「アート」が機能していると感じました。

日本では美術館はどこか遠い存在で、僕の過去のようにその魅力に気付いていない人も実際多いと思います。(日本の都市に魅力的なアート展示も増やしたい。。!)しかし、全体としての経済合理性の問題さえ解決できれば、アーティストの育成にもお金をかけることができ、彼らが生み出した素晴らしい作品が都市における一流の環境で展示をされて認知とファン層を拡大し、展示空間の周辺の地域経済にも波及効果があるという三方良しのサステナブルな事業モデルが作れるのです。HARTiのビジョンである「感性が巡る、経済を創る」とはまさにここから生まれた企業理念です。

このメッセージを知った瞬間、「この街には何もないし、二度と帰らないかな」と言い放って故郷を出た友人や、「ビジネス」が成立しないが為に街から色んな人の繋がりや思い出が消えていく自分自身の体験、それらがフラッシュバックして走馬灯のように頭を駆け巡り、一気に僕の人生のミッション、情熱を傾けている分野に「アート」という分野が繋がったのです。

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アートは心を癒し、人と人を繋げ、街に”温度”を与えるー。

そして帰国後、1年間の起業準備を経て、23歳でHARTiを創業しました。

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●これまでの取材記事

▲ Forbes 30 UNDER 30 JAPAN 採択時の記事

▲ B-OWNDマガジンでの取材記事

▲ NFTと「感性が巡る経済」の実現へ向けた展開について 

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ここまで長文を読んでいただき本当にありがとうございました。

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