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祭り1日目

さびれた商店街に事務所兼スタジオを構える我々が主催した、街をあげてのイベントの1日目が終わりました。

ヘッダーに使った写真は中でもお気に入りのモノ。

子どもたちがこの地で思い出を作り、またいつか、昔はここでな、こんなことがあってな、って、語れる何かを作っていかないといけない。

いけないかどうかは知らんけども、そんな経験を彼らにしてもらいたい。コロナで知らぬ間に自由を奪われ、奪われたことも知らずに大きな制約の中で暮らし、これが人生だ、こんな毎日が当然で、これがデフォルトなんだ、と心と体に染み込んでしまっている彼らに、

本当の世の中の良さを、我々が本気で伝えていかないといけない。

いけないかどうかは知らんけども、そういうふうに考える大人でありたい。

着物・浴衣を200着用意して、着付け師さんも今日は10人以上いてくれて、それだけでなく今回は協力してくれる飲食の店舗さん、出張で出店してくれる物販の店舗さん、衣装屋さん、商店街の重鎮、イベントに協力してくれるボランティアさん、今回は無数のルートというものが出来上がった回なんだと思う。

ルートという、連絡手段。

連絡手段という、関係性。

それを大事にしていく、これから。

たくさんのことを学びました。

第一に、実行委員会と自社の事業は完全に切り分けるべき。

今回は実行委員会であり、フーシャであり、の山中が何も分からずにコトを進めてしまったので、フーシャへの負担が相当なものになってしまった。

これは共催の美容室ハナちゃんもしかり。

1日目を終えて分かったのは、「実行委員会が考えたものを実現するために、実行委員会と切り離した自分の事業に、どうサービス提供をしてもらうか、」という考えでないといけない。

今回はスタッフのみんながあうんの呼吸で協力してくれ、何も言わずともあれこれ動いてくれて、それがなかったらこんなに気持ちのいい初日ではなかったと思う。

このイベントができたのも、数年付き合ってきた仲間たちがいてくれたからであって、そこまでは商店街の人たちもきっと見てくれてないだろう。

山中はよくやった、山中に熱い気持ちがあるから応援しよう、

そんなことではない。
フーシャがなかったら、こんなことは絶対にできない。

今後、そこは気をつけて見ていかないといけない。

フーシャという会社メンバーがいるからできたのだっていうこと、

あと実行委員とフーシャを切り分けること。

ここに切ない思いとこれからのイベント設計というものが込められる。

逆に、そういうチームを持たないプレイヤーは、短絡的に「企業から協賛をとって運営費を作り、データ取りをして人の動きを読み取って」、と言うけれど、

街を創るのはゲームじゃない。
それが賢いとされるなら、自分はとことんバカでいく。

本気で街にエネルギーを注入したい仲間を集め、運営費は自分たちで作り、ITは使わず顔と顔、心と心で本物を育てていく。

賢くやろうとするのは行政がやってくれればよくて、自分たちの感覚で、汗かいて悩んでもがいて進んでいってこそ、本当の味となる。

普通に生きてたらこんなこと味わえなかったので、めっちゃ嬉しい。そりゃ街中がキモノの人であふれることはなかったけども、市内外からもたくさんの人が着物を着て遊びに来てくれていました。

着物文化に関わることを生業としている人たちから、強い熱視線を感じたように思います。

それでは明日、2日目へ!

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