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「僕が本当にお母さんから産まれてきたのか分からなかったから、」

撮影日誌です。ずいぶん前の。

撮影中でも撮影前でも、ふとした会話からたまたま聞き出せる情報が大事、だと思っています。

マニュアルに基づいて聞けることではなく、人と人が出会って、その場で偶然交わされる言葉。その話し方や思い出し方、熱量、トーン。(文字にすると見すぎでコワイけど、そうならないよう気をつけて、ふわわわわ〜っと聞いたり見たり、です)

だからって、パーソナルな部分をなんでもかんでも聞いてはいけない。初対面の相手に事細かく聞かれては、自分だったら疲れてげんなりしてしまう。

お客さんのほうも、わざわざ話したがらないでしょう、人生相談しにきたわけじゃないんだから。それが写真にどれだけ活きるかなんて分からないし、僕にも分からない。

こんな失敗がありました。
僕が昔おとずれ、大好きになった場所があって、撮影に来てくれた先輩(気をつかう間柄)がその土地に住んでいたことを知っていたので、そこの土地の話はしたかった。

そして奥様と知り合った場所はそこだと撮影中にたまたま聞けた。

「え、じゃあそこでお二人は出会ってるんですか、」と聞くと、なんかもう変な空気になっちゃった。

ほか、間をつなごうと浅い質問を投げかけても「ああ、」「うん、」「いや、」などとほぼ返してくれず、「もうなにも聞くべきではない」と判断。

質問が悪かったのではなく、もともと「そんな会話より早く娘を、機嫌のいいうちに娘を、」の感じもあったけど、本当にあの質問が悪かったのかもしれない。

あの場所で、二人はよくない思い出があるのかもしれない。そう思うと、とんでもない質問をしてしまったと後悔。この日から、よりしゃべることには気をつけよう、となったものです。


聞けば聞くほどたくさんのことを教えてくれる人もいるし、パパと僕が盛り上がっているときのママのあいづちの打ち方とか、ツッコミ方とか、好きなだけ話しててねと子どもと遊んでたりとか、

それだけで普段からのご家族の色合いが分かってくる。それで会話の進め方とか撮影の進め方、仕方、温度感を考えていくんです。


ある日、初めての子を妊娠されたお二人が、初めてスタジオに来てくれました。
落ち着いた感じの、パパは僕より年上かも?なご夫婦。

うちはスタジオの横に応接室がもともとあって、ソファにかけてもらって少しばかりのコミュニケーションを取らせてもらうのですが(堅苦しい問診票みたいなのもとらないし、手間を取らせたくないという考えから、一切なにも書いてもらったりしてません)、

序盤の段階ではご主人、あんまりしゃべりたがらない人、「撮りたい」という奥様の気持ちを受け、撮影に来てくれた、と感じ取りました。

今のお住まいや今日の撮影のイメージなどがあれば、、そして何かしらお二人の普段の雰囲気が分かる情報がもらえないかと、それとなく世間話をしてみて。

ある程度聞けて、「では撮影しましょうか、」と立ち上がりながら、ご主人のことを考えながら、YESと予想される質問を最後にしてみました。

「今日は、奥様のお気持ちで記念に残しておこう、となったのですか?」

そうです、と答えがくると思いつつ。

この質問をガッツリ腰を据えて、目を見て真剣に聞いて、真剣に答えてもらおうとしていないのはあえてで、ご主人の負担にならぬようササッと聞いたのもささやかな考えがあってのこと・・

すると今まで受け身だったご主人が、

僕の目をしっかり見て、話し始めました。


「いや、ボクから撮ろうと言ったんです、

ボクには兄がいるんですけど、

小さい頃からウチには、兄のときの"母の妊娠中"の写真が飾られていたんですけど(写真館で撮ったもの)、ボクがお腹にいるときの写真がどこにもなくて。

だからボク、本気で、「本当に自分は、お母さんから産まれてきたんだろうか」って、本当に、本当に疑ってたんです。

大きくなってからはそんなことは思わなくなりましたが、小さい頃は確実に思っていて、誰にも言えないモヤモヤした感じがあって。

自分の子どもにそんなことを思わせたくないなって、妻に撮ろうと言ったんです。」


そんな大事なこと、ちゃんと聞けるようにしとけよ自分、と恐ろしくなりましたが、めちゃくちゃ感動しまして、、。

そこからまた数分話は続いたし、聞けた瞬間、立ち上がっていた僕は「ええ〜〜〜〜」って、ソファにうなだれました。

撮る前に聞けてよかった、という気持ちと、そんな想いを持った方がいるんだというのと、話してもらえて嬉しかった、というのと。

もしかしたらご主人も、ある程度時間がたって、「話す気」になってくれたのかもしれない。

申し込み時点で聞くより、あの時点で聞けたのが、たまたま聞けたということが、何よりよかったのかもしれない。

撮影中僕とご主人は意気投合したかのようにたくさん話し、おかげでああしようこうしようと自分の頭もぐんぐんまわり、「打ち解けたからこそ」の提案がたくさんできたように思います。

マタニティ撮影というのは、男の自分からすると「ママの気持ち」なんて、分かったつもりで分かってないだろうし、分かったつもりになってもいけないと思う。

分からないからこそたくさんの気持ちを聞きたいし、その気持ちを少しでも残してもらえるように、写真でお手伝いをする、というのが撮るしかできない人間の役目。

ご主人が撮ろうと発案し、奥様は「撮らなくてもいい」と思っていたそうな。こんなケースは初めてで、いつもと少し違う考え方もでき、また学ぶことができました。

常々、「写真を撮る」という行為より、「その人を知る」ということが好き、と思っている山中でした。うん、「写真」のおかげで「人を知る」という特権を頂いています。

長くなりました。

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