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大学で学んだ事の話 by ゆふちゃん

こんにちは、キャストリーダーのゆふちゃんです。
フォロワーさんがやっていたキャスで偶然にも西洋絵画の話になり、大学で西洋美術史を3年間勉強していた事を思い出し、ちょっと思い出話でもしようかと思って今回の記事を書きました。
普段動画やTwitterですらしない、私の大学生活でのちょっとしたお話です。レア話かもしれないので読みたい人は是非読んでみてね🥳


私の通っていた大学について

私が通っていた大学は美大でした。
そこは中学と高校が附属の一貫校で、私はその美大の附属高校から入り、そのまま美大のメディア表現という専攻に進んで、2020年の3月に無事卒業しました。

この美大への進学は、完全に私単独の意志によって決めたものです。

元々高校3年の時には、8月まで基本人格の基本さんが生活をしていて、その頃、彼女は8月25日に本気でこの世を去るつもりで、4月から沢山の準備までしていたため、大学へ進む事など考えずもう一切自分には関係ないといった感じでした。
しかし自殺を図るもその後に私へと交代し、そのまま私が単体で生活をする事になったので、結果的に自殺は未遂で終わりました。
そして、私自身は高校時代から美大のメディア表現へ入りたかったため、完璧に私の志望した場所へと進学することが出来たというわけです。

ちなみに自殺計画をする前までは、基本さんも美大への進学は考えてはいたものの、私とは違いメディア表現ではなくヒーリング表現という専攻を志望していました。


西洋美術史で思い出す学生生活

私は大学1年生の時に「西洋美術史特論A」、2年生の時に「西洋美術史全史」、3年生の時に「西洋美術史特論B」の講義を取っていました。

『特論A』は、19世紀の「印象派」と呼ばれる画家たちが活躍する時代の絵画と、画家に焦点を当て、絵画から美術の時代背景を読み取ったり、画家の生涯についてを細かく学び、そこから表現との結び付き等を考える…といった内容。

『全史』はその名の通り、紀元前1万5000年(ラスコーの壁画)から近代絵画(ピカソあたり)までの変遷を学ぶのが主体。

そして『特論B』では、特論Aで取り扱った「印象派」の後の時代になる「キュビスム」や「シュールレアリスム」などの抽象絵画を取り扱い、印象派からの表現の変遷等を学ぶものでした。

まあ、「どれも分からんわ!」ってなると思うので、簡単にまとめると

特論AやBは「絵画での表現が変わった理由とか、歴史的背景、画家そのものについてを学ぶ」

全史は「絵の起源から現代にまでおける絵画界隈の流れを学ぶ」

って感じですね、ハイ。

大学へ通っていた事は忘れていないけれども、解離による健忘や、昔の思い出となった故の物忘れなどもあり、普段どのように過ごしていたか等はなかなか思い出せないのですが、西洋美術史の講義を受け学んだ内容を始め、同じ教室にいた人のことや、自身がいつも必ず座っていた座席の位置。
授業開始と終わりに必ずある10分間テストでどのような問題が出たかや、自分がどのような感想を書いたか。先生とした会話や、テストのある日のクラスメイトとの会話など…。

全てを思い出すのは不可能で当たり前ですが、それでも「あんな事あったなあ」と、本当に一瞬の小さな思い出として思えるくらいの出来事も、西洋美術史の講義関連で考えると割と思い出せます。
それぐらい、西洋美術史の講義が私の中では「ただの座学授業」ではなく、健忘や物忘れにも負けないくらいに「心から好きで学んでいた物」だったんだと思います。


同じ講義を受けていても、美術について語り合えない孤独

このように、西洋美術史を本心から学びたいと思って講義を取り授業に参加していた私でしたが、1つだけ物凄く残念な事がありました。

それは「西洋美術史や西洋絵画で語り合える人がいなかった」ということです。

といっても特論ABでも30人ほど、全史では100人近く講義を受けている人がいたわけなので、私が語れる人に出会えていなかっただけの可能性もありますが、少なくとも同じメディア領域で講義を取っていた人たちで語れる人や、そもそも西洋美術が好きという人はいなかったような気がします。

美大ではあるものの、自身のやりたい実技以外に興味がなく、美術の勉強そのものには関心がない、という人が多かった印象です(きっとこれはどこもそうだと思いますし、美大=美術の勉強が好き ではない事は十分承知ではあるのですが…)

それどころか、座学の美術史関係は「単位を取るために講義を受けているだけ」といった生徒が多く、実際問題として授業中の不要な会話をはじめとし、先述した授業開始前の10分テストでのカンニングといった不正行為、酷い場合は他人に答えを書かせておき自身は授業から抜け出してしまうなどという、信じられないケースも度々起きていました。

周りの友人や知り合いも「単位取らなくちゃいけないから取ってるだけだから」と公言している人も何人かいて、とても語り合うなんていう事は無理です。

私は冒頭の部分でも書いたように、大学附属の高校から通っていたわけですが、高校では1年間に何度か学年全体で美術館へ行く日があった事と、唯一の親友も西洋絵画そのものが好きで、一緒によく美術館へ行って絵画鑑賞しては語り合っていたという事もあって、余計に大学での状況が寂しく感じられたのかもしれません。
(親友は大学は別のところへ行ってしまったため、会える機会もほぼありません。ただ、今でも繋がりはあります)

私は授業では誰か仲の良い人と一緒に後ろの席に座るでもなく、先生の話やスライドを集中して見聞きするためにも殆ど座る人のいない前の席に敢えて座り続け、自ら一人ぼっちの状態になり毎度講義を受けていました。


何故西洋美術史の講義を取り続けたのか

周りは単位のためだけに取っている人なので語るどころか、話を振るわけにもいかないし、全体的に生徒の授業態度は良くなかった上に悪質な生徒の不正行為まで起こっていた西洋美術史の講義の実態。
しかも、私は他の美術関係の単位も同時に取っていたので、2年の時点で卒業に必要な数の美術関係の講義はクリアしていました。

つまり3年では特論Bは取らなくても卒業単位においては全然問題なかったんです。
その上、授業は好きだし楽しいけれど、やはり孤独感や寂しさや残念さを感じていたのも事実。

それでも私は既に特論Bを選択する事を心に決めていました。

大学2年の美術史全史最後の講義後、先生に「3年で特論B取るからよろしく!」と言った時、「まだ受けるの!?もう私の顔見飽きたでしょうに!w」と先生が嬉しそうに笑っていた顔を、私は今でもよく覚えてます。


私がここまで西洋美術史をずっと取り続けた事には理由があります。


まず1つ目は「先生のことが大好きだったから」

私は大学入学直後のオリエンテーションで、履修科目の書類を見ていた時に「西洋美術史特論A」の文字を見たその瞬間に「西洋美術史受けたいな〜」と軽くは思っていましたし、実際受けるつもりではいました。
しかし、先生紹介の時間に自己紹介をしていた先生たちの中で1人、優しそうな見た目と話し方のおばさん先生がいました。
私は「あの先生可愛いな〜」と思っていたのですが、ふと履修科目書類に書いてある教員名に目をやった時、舞台で自己紹介をしているその先生の名前が同じことに気付き、思いました。

「絶っっっ対に西洋美術史特論A受けよう」と。

自己紹介の終わりに先生が
「私は西洋美術史を担当しているので、是非皆さん履修してくださいね〜」
と言った時には
「受けます受けます受けます!!!」
と自分の座席で興奮しているくらいでした。今思えばかなりの変人です。

完全に一目惚れでした。先生があの先生でなかったら、私はここまで強く講義履修しようと思わなかったと思います。
「好きな先生の授業ならやる気が出る」の典型的パターンだったわけです。
先生は完全に「推し」というレベルで大好きだったし、周りの友達にも知られているくらいには先生のことを推していました。

2つ目は「先生の教えによって自分の中での考え方が変わったから」

先生が好きなのも理由としては大きいのですが、一番大きな理由はこれでした。
実際、先生の講義が私の考え方やモノの捉え方に大きな変化をもたらしたエピソードがあります。

1年生の時に取った特論Aでは「西洋美術史で思い出す学生生活」の部分でも述べたように、印象派と呼ばれる画家たちについてを詳しく勉強していました。印象派にはかの有名なゴッホやセザンヌ、モネやルノワールといった画家が存在します。
私はその中にいるセザンヌの絵が元々は好きではありませんでした。むしろ嫌っていたような気がします。
理由としては「ワザとなんだろうけどデッサンが狂っていて粗雑に感じる」「全体的に荒っぽい感じがして好かない」「絵柄が無理」などなど…。


ある時の講義で1コマ丸々、セザンヌについてを学ぶ回がありました。
正直私は、前回の授業の時点で「セザンヌやるのか…マジか…嫌いなんだよなあ…」と思っていました。

そして講義当日。彼の生い立ちから生活などの一生や、描いた絵画に利用した美術的な知識や、セザンヌの思想等、とにかく色々なことを先生は次から次へと、彼に関する情報をスライドで絵を見せつつ口頭で説明していきました。

私もその時、とにかく一生懸命ノートに先生が話した内容を文字起こししていたわけですが、ふと、セザンヌについて抵抗なく勉強している自分がいることに気付いたんです。
スライドに映っているのは、高校時代まで「雑に感じるし、山に見えない」とあれだけ嫌っていたセザンヌの「サントヴィクトワール山」の絵のはずなのに、その時には「絵の具の重なりで、こんなに綺麗な山を表現出来るんだな」と感動をしていたのも覚えています。

そして授業が終わる頃には、セザンヌの事を毛嫌いしていた自分はいなくなっていて、セザンヌの魅力に気付いてセザンヌのことが好きになった自分が席に座っていました。

これをきっかけに「苦手と感じたり粗雑だと感じる描き方にも、そこまでに至った背景があるんだ」と考え、それを知ることが好きに繋がり最終的に自身の知識になるのかもしれない、と思えるようになりました。

そして更に言うと1年生の時点では、先生は特論Bは担当してなかったのですが、2年生の時に特論Bも担当する事が決まり、私はそれを知った際

「1年生の時、先生のおかげでセザンヌが好きになれたわけだし、Bでやる抽象絵画も先生に教えて貰えば好きになれるかもしれない」

と考え、3年で特論Bを履修する事を決めたんです。

苦手だったり嫌いな物を自分の力のみで克服したり、好きになったりするのって難しいと思うんです。しかも苦手な物ならなるべく触れたくありませんし、先入観や固定概念や偏見といったものがあるので考え方を変えるのも容易ではありません。
そういった時、それが好きな人による客観的な視点での解説、といった「他者(外部的な力)による説明を受ける」というのは私にとっては非常に有効的なのかな、と思いました。
自分では見えなかった点を教えてもらうことで、先入観等が取り払われたりします。人によっては、解説してくれる人が語る内容や魅力等に惹かれて、良い方向に見事のめり込むまでになるかもしれません。
「克服すること」「物事を知ること」は自分一人で全て解決しなければならない事ではないんだ、という事も先生の講義を受けた結果、得ることの出来た考えです。


西洋美術史を通して学んだ「先生との相性」

「先生との相性」というのは物事を学ぶ上で本当に大切なものなのだと、西洋美術史を3年履修し、そしてそこから数年経った最近になって感じます。

私がここまで西洋美術史を好きでいられて、知識も年月経った今でも覚えていられるほどしっかり身につけられたのも、あの先生の事が単に好きなだけではなく、先生との相性が自分に合っていたからだと思うんです。
相性が合わなかったら恐らく私はここまで学習した事が身に付かなかったことでしょう。

学校に行って授業を受ければ、どんな教科でも先生から教わるという機会は100%ありますが、そんな中でも「合う先生」「合わない先生」というのは誰にでもあると思います。
先生の言っている事をノートに一生懸命書いたり、先生に分からない事を質問したり、どんなに色々工夫してもどうしても成績に結びつかない、知識に結びつかない…、先生も別に嫌な先生とかでもないのに、どうしてなんだろう…。と悩んでいる人もいるかもしれません。

もしかしたらそれは、たまたまその先生と自分自身の相性が合っていないのかもしれません。そして、相性が合わないのはその人のせいでも、その先生のせいでもありません。

なので、もし思うように上手くいかなくても誰も責めずに、自分の努力している事実に目を向けて、それを認める事が大切です。
そして「きっと合わないんだろうなあ」と一度思い切って開き直るのも手かもしれません。
頑張りすぎていたり、焦り悩んでいたりすると、その事ばかりに考えがいってしまって、新しい事や考えが頭に入って来なくなりやすいです。
開き直ることで、別の視点で物事を発見出来ることもあるかもしれませんよ!


終わりに

長々と思い出交えた話を書きましたが、如何だったでしょうか🥳
書いてたらなんだか懐かしくなってきちゃいました。もう一度大学で西洋美術史について、あの先生の元で学びたいなあとしみじみ思います。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!

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それではキャストリーダーのゆふちゃんでした!

皆さんもよいスタディライフを!
またね〜!

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