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視界を制限すること 「視点」 と 「意識」


視力 0.1 の僕

視力 1.0 のあなたへ
3m 先の 直径 3センチの文字読めますか?
僕はほぼ読めません。こんな感じ。
夕方街中を歩くとこの記事のカバー写真のような感じ。

視力が同じくらいのあなたへ
わかってくれてありがとう。好きです。付き合ってくだs (自粛)

余談はここまでにして
今日は「視界を制限すること」について
先週まで毎日コンタクトをしていた。
今週はほぼしていない。(異性に会う時だけする)
だからほぼしていない。(やかましいわ。パンチするぞ)
余談は本当にここで終わり。

「視点」と「意識」


「視点」-  物を見るために向けた視線がそそがれる点。
「意識」- 自分が現在何をやっているか、今はどんな状況なのかなどが自分でわかる、心の働き。

「百聞は一見に如かず」と言うようにヒトは目からの情報に生活の大部分を頼っている。その目からの情報を制限する。何が起きたか。
「意識が内面に向かい集中力が上がった」

そもそも自分はADHD (注意欠如・多動症)という特性を持っていて
新しく入ってきた情報に意識を持っていかれがち
そして先程まで考えていたことを忘れてしまう。そして迷子になる。

ジムでトレーニングをしていても同じ
ジム内のテレビで放映されている情報から芋づる式に
トレーニングとは全く関係ないことを考えてしまう
気づいたら今何回目か、何セット目か忘れている。

ジムで太もものトレーニングをしている何を考えてるかわからないイケメンな僕

テレビは無音なのでコンタクト、メガネがなければ光でしかない
結果として意識がトレーニングに集中できるようになった。というわけ

ランニングマシンで走っている時には別の効果があった
結論「瞑想状態に入り、ランニング後リラックスしていた」

いつもジムではトレーニング→ランニング→ストレッチの順で
体を動かす。正直ランニングが1番キツイ。

ランニングをしているときの可愛い僕 



60分が異常に長く感じる。それはなぜか。
「意識が散漫になっているから」
iPadでニュースを見たり、マシンのモニターを見たり、窓から見える人を見たり、意識が散漫でそもそも1点に集中できていない。

だから全て見えなくした。好きな音楽を聞く。それだけにした。
見えないものは諦めて、耳からの情報 (音楽) に集中するようになった。
好きな音楽に囲まれて走る60分。
走ったあとは疲れというよりリラックスしている。
毎朝やっている15分の瞑想のあとに近い。


視界を制限して、意識を内面に向ける。
そんな時間が1日の中にあってもいいのかもしれない


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