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窓際の席のきまずさ

最近、あまり自分の知らないところ、慣れ親しんでいないところを散歩をすることがあった。

僕は散歩のとき、結構横や前方にある町並みを見ながら歩くのだけど、ときどき気まずくなることがある。

たとえば、カフェがあったとき。

カフェって、なぜだか開放的な感じで、ガラス張りになっていることが多いように思うのだけど、キョロキョロと街を見ながら散歩していると、ときどきそのガラス越しに、店内の道路に面したカウンター席に座っている人と目があってしまうのだ。

そういうとき、少し気まずくなる。「あ、なんか見ちゃってすみません」となる。二人並んで座って喋っている店内のお客さん二人と、目があうときもある。そういうときには、「水を差してすみません」と思う。

カフェは、窓際にカウンター席を置くことが多いように思う。だから、知ってる場所を歩く時は、いつも見ないように気をつけている。でも、ちょっと知らない場所だと、たまに目があってしまう。

店内の人だってきまずいと思う。僕は、あまり行かないからわからないけれど、普段なら歩いている人の横顔しか見えないだろうに、「急に目があうやつがきた」みたいになるはずだ。

陽気なら、「はーい」って、手をふるとかもできるんだろうけど、そんな陽気さを持ち合わせてはいないし、むしろ、恥ずかしさをひしひしと感じる。


食べてる時に知らない人と目を合わせたくはない

少し前、金沢に行った。

そのとき、市場のお店で海鮮丼を食べたのだけど、そのお店はちょっと小さなお店で、入り口のすぐ左に、入り口の方を向いた席があった。仕切りはない。

つまり、入口に入って、左を向けば、食べている人の顔が正面から見えてしまうのだ。

まさかそんな席配置だと思わないから、案の定、入った時にふと左を見ると、食べている人の顔が見えた。そして目があった。一瞬で、正面に振り返った。「あの席だけは絶対に嫌だな」と、心から思った。

きっと、あの席に座った人たちは、お客さんが来るたびに目があってしまうに違いない。気まずすぎる。


きまずいのは、どうして

なんで気まずいのだろうか。

多分、風景の一つとして見ていたのに、急に、人間として見てしまうからだと思う。

目が合うと、コミュニケーションの対象として見てしまう気がする。ただのカフェにいる人だったのが、自分の相手として、コミュニケーションを取りうる対象として見てしまうように思う。

でも、面識がない人にコミュニケーションを取る術も陽気さもないから、コミュニケーションを取る人として見たのに、取らない。結果、気まずく思ってしまう。

この気まずさはどうしようもないし、かといって、街を見てるのも面白いからやっぱり、避けられないものだと思う。

だから、どう足掻こうが、このときどきある気まずさとは付き合っていかなければならないんだろう。そういうもんなのだと、思う。

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