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「エモい」が好きじゃない

エモいというと、感情が動いたり、感傷的になったり、心が揺れたり。
そういうイメージがある。

よく使われる場面を見るし、よく聞く。別に使うこと自体はいいと思うし、だめとか思うわけでもない。

ただ、大雑把な感じが自分は好きじゃないのだ。感情が動いたことを表現するなら、「心にグッと来る」とか、「心が掴まれる」とか、「感動した」とか、そういう言葉のほうが好き。

だから、ただの好き嫌いである。それも自分の。別に他の人が使っていても文句を言うことはないし、それはそれでいいのだけど、自分は安易に使いたくない気持ちになる。

なんだか、軽さがあるのが嫌なのかもしれない。自分の感情を揺さぶるものということは、魅力あるものであるはずだし、これまでになにか経験した物語と結びついたものでもあるはずだ。

それを、エモいの一言で表すと、そういう大事なものが引き出しから出てこない。

けれど、「やばい」とか、「いいね」とか、「すごい」はそういうのがない。やばいは、軽い感じで使うから、そんなに気にならない。リアクションには役に立つし。

いいねは、「noteでいうスキ」とか、「インスタでいういいね」とか、肯定的に使う。基本的に、良いと思うことが多いから、これも使ってて違和感がない。

「すごい」も、相槌に使えるし、尊敬を表せるから、そこまで気にならない。

だけど、なぜか、エモいだけはちがうのだ。

こういう感覚はだれにでもあると思う。このことばを使いたくないって気持ち。やばいが嫌な人もいるだろうし、やばいもいいねも嫌って人もいると思う。

エモいというのではなく、感情が動いたなら、その感情の動きを見つめ、違うことばで表現する。その裏にあるものを探す。

そのほうが良いと思うから、「エモい」は使いたくないなって思う。

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