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幸せそうだね、だけど……

先日、友達と飲みに行った。

中学のバドミントン部の元ペア。この記事でも登場するペアだ。

ずっと仲良いのだけど、会うのは半年ぶりだった。前回会った時は、まだnoteをちゃんとやってなかった。

それで、いっぱい読まれたんだよ。と、noteを見せた。すると、

「読みやすかった。それに、俺ばっかじゃないでしょ。ゆやのおかげでもあるよ。俺だって前のペアとは上手くいかない気がしてたし」

なんて言う。

最高の友だと思う。それで、その後も色んな話をした。

恋愛の話になった。その友達は去年別れたきり恋人がいない。僕は、恋人がいる。それで、「幸せそうだなー」なんてことを言われた。

幸せそう。

僕は正直、よくわからなかった。たしかに、現状に不満がないという話をしたし、就職先も楽しそうなところでワクワクしている。

今は毎日に大きな不満がなく、自由に生きている。だけれど、完全なる幸せではないとも思う。

というのも、小さな不安はあるからだ。


不安

悩みごとは決して尽きないものだと思う。

毎日、何かと悩む。

夜ご飯は何にしようか。友達とご飯に行くけど、どこのお店にしようか。

みたいなことから、

将来結局何になりたいのか。どうやったら後悔しないで生きれるんだろうか。今みたいな毎日でいいのか。

というちょっと漠然とした、でも少し大きくて、答えの出ない悩みまで、悩みは尽きない。

いろんな悩みが存在している。でも、悩みの種を持っていても、芽吹かないこともある。大きな悩みがあるうちは、悩みの種は開花しないのだ。

しかし、悩みが一つ消えると、そのキャパに合うように、新たな悩みの種から芽がニョキニョキと出てくる。「やっと俺の番」とでも言うように、唐突に日の目を浴びる。

悩みが減ってもまた悩みが増える。こういうものだと思う。だからだろう。「幸せそう」が引っかかった。

幸せそうに見えていても、その人なりの悩みがある。

相手からしたら大したことのない悩みかもしれないけれど、自分にとっては胃がキリキリする悩みかもしれない。

あるいは、自分からしたら大したことのない悩みで、「そんなことで悩むの?!」みたいに思ってしまっても、それはその人にとっては、大きな悩みだったりする。

幸せそう。だけど、きっと大変なこともあるよね。

みたいな方が、より適切なのかもしれない。どんなに幸せそうで、傍から見たら順風満帆に見えても、それは傍から見ているだけでしかない。たぶん、もっと近くに行けば、ちょっと大変なことがある。

もちろん、傍から見て幸せそうなのは良いことでもある。客観的に見ていい雰囲気をまとえていることでもあるからだ。だから、幸せそう。というのは良い。

だけど、その裏にある、大変さにも気づいてあげれれば、もっと良い。あるいは、気づけなくても、そういうのもあるんじゃないかと想像してみるのもいい。

幸せでも悩みはあるし、悩みがあっても幸せだったりするんだと思う。彼らはニコイチなのだ。


悪気はない

友達に、幸せそうと言われた時、引っかかったのには、こういう理由があった。でも、友達には悪気がないのはわかるし、ただ放った言葉に対して、僕がこう思っただけだ。

ただ、そういう感じ方があるのだと自分を通じて気がついた。その意味では、すごく考えさせる言葉だったなと、書いてみてから思った。




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