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ささやかな抵抗をしたことはあるか

ささやかな抵抗をしたことはあるだろうか。

自分の意を通すために、普段と違うことをする感じ。ささやかだけれど、僕はある。

高校2年生のある日のこと。その日、僕は無性に学校に行きたくなかった。

理由はない。僕の考えうる限り、学校ではなんのトラブルも抱えていなかったし、部活も好きだった。それでも、僕はその日休みたいと思ってしまった。確かだったのは、ただ心の底から行きたくないと思ったことだけだった。

その日は6限目まである上に、面白い教科のない時間割だった。そのことを覚えているあたり、それは行きたくなかった要因の一つかもしれない。

その日の朝は、いつも起きる時間に起きなかった。すると、寝坊したと思ったのか、様子を見に母が部屋に来た。今日は行きたくないと言うと、「体調が悪いの?」と理由を聞かれた。

そこで、嘘でもいいから「体調が悪い」と言えば良かったものの、僕は馬鹿正直に、「いや、なんか行きたくない」と言ってしまった。

そうなってしまえば、あとの祭りだ。「じゃあいきな」という話になってしまった。

僕は渋々準備した。いつもより、ワンテンポ遅く準備した。それから、朝ごはんを食べるのもゆっくりだった。いつもは大して噛まないくせに、しっかりと噛んでご飯を食べた。ささやかな、「行きたくない」という意思表示だった。

それでも、いつしかご飯というのは食べ終える時が来てしまうもの。食べ終わると、これまた仕方なく足取りも重いまま、家を出て自転車に乗った。ささやかな抵抗のせいか、すでにその日、遅刻は確定していた。

ただ、やっぱりどうしても行きたくないから、自転車に乗っても鈍行の速さでこいだ。(僕は自転車で30分かけて学校に通っていた)

いつもなら家を出て10分で過ぎる地点を、20分経ってから過ぎる。いつもなら家を出て20分で着く交差点に、40分経ってから着く。普段は通らない道を、ただ遠回りするために使う。

そんなささやかな抵抗の果てに辿り着いたのは、学校にもう5分自転車をこげば着くという距離にある、公園だった。

僕はベンチに座り、スマホを見た。時間は10時過ぎだった。だいたい2時間目が始まっていて、今頃みんなは数学の授業を受けているところだった。僕も、学校に行けば受けることになっていた。

ただ、この時間僕がいたのは、教室ではない。公園のベンチだ。公園には、ほとんど人がいなかった。

僕は、ベンチに腰掛けて、「どうしよう」と思った。この頃の僕は、遅刻をすることはあったけれど、毎回5分くらいの遅刻をするくらいで、1限を休み、2限から登場する大それた遅刻はしたことがなかった。

後ろのドアを開けて入る時に、みんなの注目を集めるのだろうか。それは自意識過剰かもしれない。いや、でも自分なら誰がきたのか見るよな。やっぱり、見られるかもしれない。

遅刻をすることよりも、遅刻をして教室に入る時のことの方が、この時には僕の頭の大部分を占めていたし、もはやそのことを考えたら、「いきたくない」という気持ちは、さらに大きくなっていた。

そして、僕は母にラインした。「今日はどうしてもいきたくないから、休む」と。

母から電話がかかってきた。「なんかあったの?」と心配をするけれど、僕には先述の通り、休む理由は何もなかったので、とにかく行きたくないのだという、説得をした。

母は最終的には折れて、「今日だけよ」と、許してくれた。その後、学校にも電話をしてくれたようだった。

公園で僕は、顔を綻ばせた。この後ろめたい休みを、認めてもらったからだと思う。

そもそも、学校を無断で休めば親に連絡がいくとはいえ、強行的に「今日は行かないぞ」と、公園で1日を過ごすことだってできるし、自分の意思で学校に行かない選択肢は選べる。

それでも、僕がこうして母に伝えるのは、「いきたくない」という気持ちを認めてほしかったからだ。そして、認めてもらうことで、勝手に休む時に生じる罪悪感を背負い込まないで済むと思ったからだ。

僕は自転車にまたがり、公園を出た。進路は、学校とは反対側。家に向かう方面だった。

ゆっくりダラダラと進んできた行きの道が嘘のように、帰りはペダルをこぐ足が軽かった。家には、すぐについた。

それから迎えた午後は、僕は何の気なしに家で過ごした。もちろん、ちょっぴり罪悪感はあった。体調不良でもないのに、学校を休むことが初めてだったからだろう。ズル休みともいえる。でも、ズルしたっていいやと思える日だった。

結果的に見れば、ささやかな抵抗は成功したのだ。

今となってはささやかな抵抗をする機会はほとんどないけれど、この出来事はなんだか楽しかった思い出として、ずっと頭に残っている。



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