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だれもが主人公で、だれもが脇役。

漫画や本を読むと、ほとんどの場合に一番最初に描かれるのは、主人公の話だ。

それは、雨の日の出来事だった。
のように、主人公の回想録から始まるかもしれない。

あるいは、結論から始まることもあるだろう。「これは、ある少年が英雄になるまでのお話だ」みたいな。

これは、物語に限らず、人生もそうだと思う。

自らをストーリーで書き出す場合、
僕が生まれたのは、太陽がさんさんと輝き、街には半袖を着た人が行き交う暑い夏だった。
とかになるのかなと思う。もちろん、人によって違うのだけど。

そして、自分は人生において主役だ。でも、他の人から見たら脇役になる。


主役であり脇役

たとえば、僕がある女の子を好きだと仮定する。毎日眠れないくらいに、恋焦がれている。

けれど、相手の女の子の眼中には、僕の姿がない。他に好きな人がいるのだ。

こうなると、主人公の僕からしたら、その女の子は物語のヒロインとも言える存在だ。

でも、その女の子が主人公の物語では、僕はモブキャラだ。いや、モブとして出演させてもらえるかもわからない。モブモブしすぎていて、モブにすらなれないかもしれない。

女の子の好きな人の親友みたいな立ち位置なら、鍵を握る人物になるかもしれないけれど。

要は、自分は主人公でありながら、だれかの物語の脇役として、ヒロインやヒーローになったりするし、あるいは、敵にもなるのだといいたい。

自分視点で物事を見るのであれば、主人公は自分である。その他の人物は、どんなにかっこよくたって、かわいくたって、優しくたって、完璧人間だって、一切脇役でしかない。

そして、だれも自分の主人公の座を奪うことは出来ない。

これは、他の脇役の人にも言える。自分の人生から見たら脇役の人であっても、その人の物語では、その人は主人公になるし、自分は脇役になる。

そう考えると、そのばその場の動きで、自分は主人公として自分の物語をつくるし、あるいは、他の人の物語の脇役やヒロインになることもあるのだ。人の物語に登場できるかどうかは意図できないけれど。

でも、もし、誰かの人生で名脇役に成ることができて、助演男優賞とか、助演女優賞とかもらえたら嬉しいなとも思う。これは、すごく光栄なことだ。オンリーワンの栄光だ。

それに、この賞はだれもが取れる賞ではないし、人の数だけ存在する。

こうやってちょっと想像してみると、僕は、自分の物語の主人公であり、身近な人の脇役である。脇役では、友人の友人枠として、登場しているかもしれない。もしかしたら、親友枠かもしれない。反対に、滅すべき悪として、登場しているかもしれない。

でも、一方で、ヒーローになっているかもしれない。知らず識らずのうちに、ある物語の主人公を救っているのだ。そんな世界線の自分が居たら、とてもかっこいいし、誇らしく思う。

誰かの物語において、自分がどんな役なんだろうと考えるとワクワクする。

自分を主人公として、自分の物語を考えるのはすごく大事だ。それに、自分は主人公であり、作者でもある。自分の物語からは、離れられない。

でも、自分が誰かの物語でどんな脇役になっているのかを想像してみるのは、それはそれで、おもしろいかもしれない。

もし、誰かの物語に脇役で出演できて、運良く、名脇役になれたのなら、それは、喜ばしいことなんだろうなって思う。


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