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長距離の恩恵

一昨日くらいに、足の速さについての記事を書いた。

僕は、短距離は苦手だったけど、長距離は少し得意だった。といっても、駅伝とかマラソンとかそういうのではない。もっと軽めのやつ。

それくらいのランニングが少し得意だったのは、負けず嫌いだったのが大きいと思う。

本格的に、5キロとかを走るようになったのは、中学生の頃だ。

中学校には、体育館が一個しかなく、バレー部やバスケ部もいて、体育館を毎日使えるわけではなかったから、バドミントンという屋内競技なのに、部活には外練があった。

その時に、校庭をぐるっと走っていた。一周1キロくらいで、それを5周していたから、多分5キロは走っている。

外練は、週に2~3回くらいだったと思う。外練してから中練の日もあったから、外練はそれくらいあった。補足しておくと、中練は「体育館の中での練習」という意味だ。

土日に関しても、けっこう走った。土日は基本中練だけど、中練でも走る練習がある。15分走とかだった記憶はある。

でも、15分を侮ってはいけなかった。全力で走らないといけない。というかなによりも、みんなが全力で走る。負けず嫌いだったから、僕も毎回頑張って走った。

そして、中学は部活動もあったけど、登校の時間にも僕は走っていた。

別に自主的とかではない。朝出るのがギリギリだから、遅刻しないために走っていた。それは、歩いて30分かかる道のりを15分とかに短縮するくらいだから、自分なりにはかなり頑張ったと思っている。

その代わり、登校すれば毎朝汗だくだった。

高校の部活も同じで、部活の外練では学校の周りを走っていたし、土日は30分走をしていた。一度顧問同士が仲いいという理由で、地元の強豪私立の高校に練習に行ったことがあるけれど、そこは、もっと厳しかった。

水を飲む機会が少ないし、走る量や基礎練習となる肉体の鍛錬系が多い。ここに行っていたら、間違いなく体力はつくけど、心が折れるなと思った。

話がそれた。

そんなこんなで、中学も高校も長距離を走る機会には恵まれていた。だから、軽いランニングくらいなら今でも走れる。

個人的には、そういう長距離で培った体力は今に生きていて、恩恵が大きいなと思うけれど、それよりも心持ちの恩恵が大きい気がする。

長距離は走っている時、自分との戦いになる。短距離よりも、自分で速さや強度を変えやすいからだ。

だから、そういう時に折れなかった我慢強さとかは結構今に活きている気がする。踏ん張れる力とかになっているように思うのだ。

今はもう、自分の限界に挑戦するランニングはしないし、したくないけれど、ちょっとした長距離走は短距離よりすきだ。

この前短距離走の話を書いて、あらためてそう思ったので、書いておきたかった。こう書いていると、少し走りたくなる。今日はもう遅いけれど、明日は走ってみてもいいかもしれない。


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