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経済(経済学)における「権威」への警告。

経済(経済学)の分野は、数学理論などのように、一見は明確な「真理」がそこに確立されている分野のようで、実は、決してそうではない不明確な部分が多いのが実情です。

ただ、そこに「答え(真理)」のようなものが「ある」という印象を抱いているような人は、テレビなどのメディアを介して、それらしい肩書きを持っている人が「それらしい事」を発言していると、あたかも、それが真理であるかのような思い込みを抱いてしまいます。

-テレビに出るような有名な学者、知識人がこのように言っていた。

多くの人の一般的の知識が及ばない専門的な分野では、そういった見せかけの権威を背景とした一方的な情報浸透が、次第に、その分野における世間的な「常識」を作っていく傾向にあります。

その真偽が決して定かではないような物事において、その分野のいち学者やいち専門家の「見解」の1つでしかない主張が、あたかも「真実(正しい事)」のように受け入れられていくわけです。

学者・専門家の見識が必ずしも「真実」とは限らない。


それが数学や物理学などの「自然科学」の分野であれば、そこに明らかな「真理」にあたるものが存在し、それが紛れもない「真理」であることが証明されているものだと思います。

ですが、経済学のような「社会科学」は、人間心理(集団心理)によって生じていく現象を取り扱うため、そこには何らかの「傾向」はあっても、確固たる真理が必ずしも存在するとは限りません。

そうであるにも関わらず、現実に「経済(経済学)」の分野においては、全くもって「真理」とは言い難い論理や知識などが、時に不適切な「世論」や「常識」を作ってしまう場合があります。

そして、そのような世論を無視できないような政治家や、そのような世論に流されてしまった官僚達が誤った経済政策を断行してしまい、社会全体を低迷させてしまった事例は、歴史上、世界の隋所で確認することができます。

何にしても「経済」の情勢や動向は、私達の生活とは切り離せないものであり、その「舵取り」を担っている為政者達の判断や取り決めが必ずしも正しいとは限りません。

そこで、適切な判断のもと、適切な立ち回りができなければ「たちまち積み上げてきた資産を失ってしまう」「いつまでたっても貧困から抜け出せない」といったことにもなりかねません。

逆に為政者達の「誤った判断」や「誤った経済政策」などを見抜くことが出来れば、それは自身の資産を大幅に増大させるチャンスになることもありえます。

資本主義経済とは、良くも悪くもそういうものであり、世界的な「投資家」として名を連ねているような人の多くは、そのようにして多大な財産を築き上げているわけです。

ジョージ・ソロスが数十億ドルを荒稼ぎした「英国ポンドの空売り」などは、まさに当時のイギリス政府の経済政策の「誤り」を狙って投機で莫大なリターンを手にした典型例だと思います。
>ジョージ・ソロスの空売り投機とポンド危機の考察(準備中)

経済(経済学)における「権威」への警告。


数学理論や自然科学などとは異なり、宗教や哲学といった分野に確固たる真理のようなものが無い(あるとしても、それは人それぞれの真理でしかない)ように、経済のような「社会科学」も、それに近いものがあります。

ゆえに、このような分野では、経済学者などの「専門家」の主張や見解などが必ずしも「正しい」とは言えない場合があります。

ですが、そのような「肩書き」を背景とする、いわゆる「権威」への心象は、時に重要な物事の判断に害を成す恐れがあります。

もちろん、これは経済学者の主張や見解の全てが間違っているという事ではありません。

ただ、そのような「権威」への心象に基づく判断で物事を捉えてしまい、それがあたかも「真理(常識)」であるかのように思い込んでしまうべきではないという事です。

この事は経済学の分野においては権威の象徴とも言える「ノーベル経済学賞」を受賞している経済学者、フリードリヒ・ハイエク(1974年受賞)も「受賞は光栄である」とした上で、このような言葉を残しています。

ノーベル賞は個人に大きな権威を与えるが、これは経済学者には不適当だ。
これが自然科学なら問題ない。なぜならその人の影響力が及ぶ範囲は同分野の専門家たちなので、もしそれが過大ならすぐ実力相応に改まるからだ。
ところが、経済学者は政治家やジャーナリスト、官僚、公衆全般と言った非専門家の方にむしろ大きな影響を及ぼしてしまう。

フリードリヒ・ハイエクによるノーベル経済学賞授賞晩餐会でのスピーチより

まさに真理が不透明な「経済」の分野における「権威」は、世論、政治家、強いては政策そのものに影響を及ぼすため、それがいかに危険な事であるかをノーベル経済学賞を受賞したハイエク自身が警告を促していたということです。

通称「ノーベル経済学賞」が実は「ノーベル賞」ではない理由。


また、フリードリヒ・ハイエクが1974年に受賞した「ノーベル経済学賞」というのは、実は世間一般的な「通称」であり、いわゆる「ノーベル賞」の中に『ノーベル経済学賞』というものは存在しません。

一般的に「ノーベル経済学賞」と呼ばれているものは、歴史的にはスウェーデンの国立銀行がノーベル財団に働きかけて設立したもので、設立にノーベル財団が関与はしているものの、ノーベル財団は公式の場で『同賞はノーベル賞ではない』としています。

その正式名称は「経済学賞」であり、いつしかノーベル財団が設立等に関与した経済学賞をマスコミなどが「ノーベル経済学賞」と通称するようになったと言われています。

よって「経済学賞」の「賞金」も、いわゆる「ノーベル基金」から出ているわけではなく、同賞を設立したスウェーデン国立銀行の拠出とされています。

それこそ本来の「ノーベル賞」に該当する各章は、いわゆる「自然科学」を対象としているため、まさに、その分野で未踏だった「真理」を解き明かした学者などが「ノーベル賞」を受賞しています。

まさに「経済」という分野は、自然科学のような「真理」を明確にする事が困難な「社会科学」にあたるため、ノーベル財団も「経済学賞」を他のノーベル賞と明確に線引きしているということです。

その他、ノーベル賞には「ノーベル平和賞」「ノーベル文学賞」といったものもありますが、これらは、その分野で確固たる功績のある人物に対して与えられている傾向にあります。

この視点においても「経済(経済学)」の分野は、その「功績」にあたるものも、どうしても不透明になってしまうのが実情です。

そのため、この分野の学術賞のみ、ノーベル財団は明確に「同賞はノーベル賞ではない」としていると考えられます。

-彼ら(経済学賞受賞者)と一緒に授賞式に並べというのか。

現にノーベル物理学賞を受賞したマレー・ゲルマンが、ノーベル賞の「授賞式」において、このような不満を述べたという話があります。

自然科学の分野で確固たる功績を残した学者からしてみれば、経済学者の不透明な功績などは、決して同列に扱われたくはないものに他ならないという事です。

「権威」がもたらした悲劇。


現実に経済の分野で「権威がもたらした波乱」という点では「LTCM(ロングターム・キャピタル・マネジメント)」というヘッジファンドの破綻劇が有名どころかと思います。

LTCM(ロングターム・キャピタル・マネジメント)は、マイロン・ショールズ、ロバート・マートンという2人のノーベル経済学賞の受賞者を役員として、その金融理論を実践するという名目で設立。

一時は年率で40%ものリターンを実現していた事もあり、世界各国の投資家、富裕層から12億ドルを超える運用資金を調達していました。

ただ、このヘッジファンドは、1998年のロシア経済危機において、壊滅的な損失を生んでしまい、破綻に至っています。

ノーベル経済学賞という権威ある学術賞を受賞している学者の頭脳や理論を2人分集結させていても「経済(投資)」の分野では、現実には通用しないケースもある事が実証されたわけです。

これは極めて顕著な一例ではありますが、現実として、ノーベル経済学賞を受賞しているような経済学者でも「経済の動向」を正しく判断する事はできず、その判断を大きく誤ることもありえます。

人間心理(集団心理)を対象とする「経済」の判断は、それだけ容易なものではないという事です。

LTCM(ロングターム・キャピタル・マネジメント)の破綻劇については、彼等が具体的にどのような手法で、どのような投機を行っていたのか。

また、ロシア経済危機において、どのような判断に基づく投資行為で破綻に至ったのか、というところは別途、以下の記事で言及していますので、興味があれば併せて参考にしてください。
>年間40%ものリターンを実現していたLTMCが破綻した理由(準備中)

無知の知(不知の自覚)が重要な意味を持つ。


また「経済」の分野においては「常識(定説)」とされていた理論が大きく塗り替えられる事も珍しくありません。

自然科学の分野でも「天動説」が「地動説」に塗り替えられた事例がありますが、経済の分野における「真理」は、ほぼ未踏に近い部分が非常に多く、自然科学の分野ほど明確になっている「真理」はそう多くはないからです。

それこそノーベル経済学賞(通称)を受賞した経済学者の論文の中核となるような内容が、数年に同賞を受賞した経済学者の論文で180度、覆されているようなケースも珍しくありません。

だからこそ、世界一の先進国さえも幾度と「不況」に陥りますし、経済的な社会問題はどこの国でも絶える事はありません。

経済において「正解」が導き出されているなら、そのような現状はとっくに打破されているはずですが、現にそうはなっていないのが実情という事です。

ただ、そのような「経済」の動向などは、自分自身の生活(人生)と決して無関係なものではないはずです。

だからこそ「不確かな情報」に惑わされる事なく、また、いつしか形成されたような「常識的な観点」を疑ってみる事が、真理への第一歩になる事もあると思います。

現実として、世界的な権威とされるノーベル経済学賞(通称)を受賞しているような学者達の理論さえ、その「真理」が定かではありません。

ゆえに、ただ多くの人の目に触れるメディア(テレビ)に出演しているというだけの学者や専門家の「私見」などは、それをそのまま真に受けるよりは、それが本当に正しいのかを疑う方が見えてくるものも多いと思います。

まさに古代ギリシアの哲学者、ソクラテスの言う「無知の知(自分に知識がないことに気づいた者は、それに気づかない者よりも賢い)」の視点を持つべきなのではないかと思います。

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とくに、私がこのメディアを介して公開しているコンテンツは「定説とされている物事の根本を疑う視点」を基本としています。

少なからず、そこに「新たな視点」が生まれるものも多いと思いますので、そういった視点も含めて、是非、参考にして頂ければ幸いです。

最後までお読みいただき頂き、ありがとうございました。

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