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命を尊び、歩みを進める。

午年45歳、年男まであと何年と指折り数えている。
午年ではあるが、馬刺しは好きである。

小さな頃より好き嫌いがなく、肉も野菜も何でも食べていた。

ところが、ある日から草花や木々、食物の命について深く考えるようになった。

彼ら彼女らは、どう思っているのだろうか、痛くないだろうか、嫌じゃないだろうかと問いかけ、次第に草刈りや枝切りすら躊躇し、何も手をつけられない時期があった。

野菜や肉、魚を食べている時には、君はどんな人に育てられたのか、どんな名前だったのか、どこ出身なのかなど、目の前の食材の向こう側を考えるようになった。

あまりにも植物や動物を擬人化し過ぎである。

頭では命について考え右往左往していたが、ここ数日Instagramのストーリーズに挑戦したら、本心は違ったのだと気付かされた。

わたしのストーリーズには、食べたり呑んだりと、肉や野菜を食べている投稿が何と多い事。呑むこと食べることが大好きな、根っからの食いしん坊な事がわかる。

大好きなお酒や珈琲も、米や麦、葡萄、コーヒー豆など植物の命を頂いている。当たり前である。

ああ何て偽善的な。命とは何か、出ない答えをいつまで解いていたのか。

動植物の命について、多種多様な考えはあるだろうが、わたしはそれらの命を尊び頂く道を歩む。

そう決断した、旅の前夜であった。

追記:

「つくる=生きる」
ぼくは、ずっと作る事を肯定できずにいた。…

境界線
命の境界線はどこに…


人や動植物、地球上のあらゆる物に境界線なんてない。

みんなが笑顔でいられるように、行動して行こう。

笑顔が僕の一番の糧である。

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