小学生当時「お世話係」だった私が、30年後に加配教員の存在に救われる話~その①

■初めに

これまで30年近く、なんとなく誰にも話すことができず
ずっと一人で鬱屈した想いを抱えていた私が、
今回「ひょっとして今なら、この鬱屈を整理できるかも」という気持ちになったので、
誰かに伝えたくなった。
なので、今から人生初のnoteを書いて公開してみようと思う。

30年、ずっと心に蓋をしてきたので、
文章にすることで、自分の心を整理したい。

積年の想いをつらつらと語るのできっと長文になるけれど、
きっと、当時私と同じような苦しさを味わっていた人は日本のどこかにいるのだと思う。
そんな人達の誰か一人でも、このnoteを見てくれたらいいな。
(…欲を言うのであれば、今現在子育てしている世代&教育関係者の人達が、
 このリアルな体験談を読んで、色々考えてくれたらいいな。)


同じ境遇だった人とは

「私達、辛かったよね。
 でもなんかね、少しずつ、本当に少しずつだけど世の中良い方向に変わっていってるみたいだよ。」

ってお互いを慰めあいたい。

そして、当noteのタイトル通り、これを全て書き終える頃には
最終的には「過去の私への救済」があるのだと思う。

ちょっと大げさな物言いですが…、私は

「世界はほんの少しずつでも、良くなっていっている」

と、信じたいと思ったのです。

(私も含めた)今、この現在社会を生きる大人達の、「良心」と「使命感」に期待したいと思う。


■最初に、声を大にして言いたいこと

このnoteを読んで、皆様がどういう受け取り方をするのか。
それは私にはわかりません。

私はあくまで「当時私が実体験したこと、実際に感じた絶望」を文字にするのみ、です。
それを読んで皆様がどう感じるのか、
それは「読む人それぞれの価値観・信念」によって、色々かわってくるのだと思います。
不特定多数の読者全てが「全く同じ感想」を持つような文章書くこと等、不可能だと思っています。


まず、私はこのnoteをもって
「配慮が必要な子が、通常級にくるのはダメ」とか極端なことを言いたいのではありません。
責めたいわけではありません。

もしそう感じる記載があるとしたら、それは私の文章力のせいなのかもしれません。
そこは単純に力不足で申し訳ございません、と予め述べつつ、
まずこの冒頭ではっきりと私の意見を言っておきます。
皆様どうか下記「意見」をしっかりと頭にいれたうえで、当noteを読んで頂けますと幸いです。

私は

「本来、大人が向き合うべき問題」を
「まだ年端もいかない、自我が確立する前の弱い存在である子ども」に、丸ごと押し付けるな

と言いたいのです。

このnoteをじっくり読んで頂ければわかると思いますが、
当時の私が地獄のような状況に至ったのは、
決して「(本noteにでてくる)配慮が必要な子」個人のせいではありません。

勿論、彼に当時たくさん殴られ、苦しめられたことを考えると
「いい友達だったな」とは絶対に思えません。
でも、不思議と「怒り」はないんです。当人に対しては。
なんというか…きっと、本人にもああいう衝動はどうしようもなかったんじゃないのかな、と。


それよりもむしろ、30年経った今、私は
「あの時周りにいた大人達」が、「どうしてこんな状況を放置したのか」ということに
変わらない怒りを持っています。


■過去の自分と向き合ったきっかけ

娘がもうすぐ小学生だ。
先日注文していたランドセルも家に届き、娘は小学生になるのが楽しみでたまらないみたい。
それを見て、とても微笑ましいと思う反面、私はちょっと不安だった。

実は、私の中で「小学校3~4年生」の記憶はとにかくひたすらに辛い。正直あまり思い出したくもない。
当時は「何でこんなことに…」とただただ困惑するだけで、
そうなった原因や改善策なんて、とても考えられなかった。
とにかく当時はひたすら「何で私がこんな目に…」と、毎晩ベットの中で声をひそめて涙を流すことしかできなかった。


そんな思い出したくもない当時の記憶から、かれこれ30年ちかく。
可愛いかわいい我が子が「小学校」という、「(私にとって)地獄のような環境」に
足を運ばねばならないことを考えると、どうにも憂鬱だった。


だから、私はこの問題と向き合うべく、「最近の小学校事情を知ろう!」と思いたった。
そしてひたすらググった。


https://fanfunfukuoka.aumo.jp/articles/86127

突然ですが…この記事を読んで皆さんはどう思いますか?

 「子どもと親の気持ちに寄り添った、よい先生だな」
 「子ども自身にとっても、本人に一番あった環境で落ち着いて過ごせるようになってよかったね!」

きっと、こんな感想を覚えるのではないでしょうか。
私も、間違いなくそう思います。
「当人たちにとって、最も苦痛の少ない環境」に身をおくことは、とても大切なことだと思います。

でも、私はこういう記事を読むたび必ず、
心の中に「小学生当時、お世話係として地獄の日々を送った自分」が、スッとでてきます。
だから、私はこういった話題を目にすると、上記の「当人たちにとってよかったね」の気持ちに「+α」で
『あぁ、これで救われる子がいるとしたら、本当によかった』と、心から思うのです。

>>嫌がる他の生徒にちょっかいを出す

この記載だと「嫌がっててもちょっとツンツンしちゃった」とか、そういう軽いイメージを受けますよね。
でも、これがただ表現をマイルドにしているだけだとしたら?
実際は「ちょっかい」のレベルではなく、
「握りしめた拳を全力で振り下ろしていた」としたら?
そんな現状から開放されたかもしれない子がいるのであれば、「本当によかった」と私は思います。

大人の皆さんは「小学校低学年のちょっかいなんて、大したことない」なんて思ったりしますか?

…お子さんをお持ちのお母さん達ならよくご存じだと思いますが、
「子どもの全力」って、大人でもおさえるの大変ですよ。

私は娘が4歳の時、予防接種を嫌がって暴れる身体をおさえるのに
顔を真っ赤にして汗だくになった記憶があります。
「こんなに力あるの?」って衝撃を受けたことを、よく覚えています。


■そもそも「お世話係」ってなに?

https://twitter.com/usagitoseino/status/1308944662816796672

(noteって特定の個人のtwitterの引用していいのか?ダメだったらすぐ消しますので、どなたかご指摘ください)
上記は、私がフォローしてる大好きな「うさぎのみみちゃん」からの発信。
twitter上でみみちゃんは「お世話係だった」と明かしている。
実は、このみみちゃんの発信も、今回私がnoteを書こうと思ったきっかけの一つだ。


「お世話係」とは…簡単に要約すると
「配慮が必要な子」の、日常的なお世話をする係です。
「お世話」の種類は多岐にわたって、
主に「授業の準備(教科書だす、文房具だす)」「給食を食べられるように整えてあげる」「体育等の移動の際、手をひいてその場所につれていく」等である。
要は「その子が一人ではできないこと」をフォローするのです。

これだけ聞くと「人間、助け合って生きることが大切。何も問題ないじゃん?」って
世間の「正しいご意見」がきそうですね。
えぇ、その通りです。
「クラス皆で助け合う」のであれば、私も何の問題ないと思います。

でも…残念ながら現実は綺麗ごとだけじゃないんです。


■私が「お世話係」に任命された経緯

当時私はどこにでもいる「先生や親の言うことをよく聞く、真面目な子」でした。
授業中もまぁ真面目、テストも基本100点だった。
友達とも特にトラブルなく、毎日楽しく過ごしていた。
掃除の時間も、必死で隅から隅まで磨き上げて頑張った。
先生の言うことをよく聞いた。
多分この1~2年生の頃の生活態度ゆえに、
「学校・教師にとって都合のいい生徒(奴隷として使える)」と認定されたんだろうな。

3年生になって、クラス替え&女教師の先生が変わって…
ここから全てがはじまった。


小学校になって初めてのクラス替え&先生替え。
担任の先生とのファーストコンタクト。
私は結構緊張していた。

というのも、今回私達のクラスの担任となる「女教師」が、
数年前に児童に体罰を行い大けがをさせ、
(教師用の巨大なプラスチックのさんかく定規ありますよね?あれの鋭角を子どもの頭に突き刺して、
 頭部から結構な出血があって縫うことになったらしい)
3年くらい「担当クラスをもたず」にいたという、伝説の女教師だったからだ。
*当時、「3年ぶりのクラス担任復帰」ということで、保護者たちがかなりざわついてPTAでも問題になったらしい。


そんな女教師から、初回のホームルームで、
いきなり名指しで「お世話係」を任命された。

「〇〇、お前が××の世話係な」

もうね、意味がわからない。

今日初めて同じクラスになった男の子の「お世話」「係」???
私のただひたすらに困惑した。
ここから地獄の日々がはじまったのである…。

*余談ですが、大人の女性から「お前」って言われたのはじめてでびっくりしたのもよく覚えています。


■「女教師」の人間性のやばさ

上記「お世話係に任命された経緯」の一節で
もはや何となく感じ取った慧眼の持ち主もいらっしゃるかもですが…
この「女教師」がやばかった。

もうね、ひたすらにやばい。
SNS時代の今ならすぐに、社会的に吊し上げられ抹殺されるレベル。
いや、むしろ抹殺されないなら、社会が間違っている。


新しく3年生から女教師になったのは、おそらく当時40-50代の女教師。
「女教師」だけど、初見で「ゴリラ」かと思うくらいでかかかった。主に横に。
多分80~90㎏くらいある。
…まぁ見た目はどうでもいいのだが、ウェイトは実は重要なファクターなのだ。
だって、このウェイトでバンバン小学3年生を張り飛ばしますからね。

この女教師はとにかく暴力が酷かった。
クラス替え初日に、目の前で繰り広げられた光景がこれ。

 生徒 :「家に忘れ物をしました」
 女教師:「よし、前にでろ」


そして、唐突にはじまる往復ビンタ。
最初に左手で一発。
そして、次の右手での一発は、初発より力を込めて全力で腕を振り抜き、文字通り「吹っ飛ばす」。
(後日わかったけど、どうやらこの叩き方が彼女なりの「ルーティンの」ようだった。必ず2発目で吹っ飛ばす)

教壇の前に「忘れものした子どもたち」を並べせて、ビンタで吹っ飛ばす。
前の席に座ってる子たちの「机」に、吹っ飛ばされた子が突っ込んでいく。


これが初日でした。
これを小学校3年生~4年生まで、毎日見せつけられていた。
吹っ飛んで、教室の机とか椅子に身体を強打して痛がる子を見て一人笑う女教師。

理由は本当に些細な事で、「忘れ物をした」「授業中よそ見をしていた」「移動教室の移動が遅かった」…
とにかく毎日誰かを殴っていた。
…地獄だった。

大人になった今だから改めて思うけれど、
「大人から見た小学三年生」って、まだまだ身体も小さいし、細い。
どこをどう見ても「守るべき生き物」じゃないですか。

今、身長160㎝、体重54㎏の私ですらそう感じるのに、
当時80-90㎏はあったであろうあの女教師は、
自分が殴り、張り飛ばしていた細い子ども達を、一体どう感じていたんだろうか。

■「助けあい」の理想と現実

さて、ついつい「女教師の人間性のやばさ」につい目がいってしまうが、
話を元に戻してみよう。

私が地獄の小学生時代を過ごすはめになった原因を、今更にながらに分析してみると…
この問題には実に複数の要因が絡まりあっているのだ。
(…本当にたくさんあるなこれ。いくらでもでてくるぞ。)

 ①「特別な配慮」が必要であろう生徒に対して、補助要員となるべき大人(今でいう加配教員)がいなかった
 ②たった一人で、通常のクラス運営と「特別な配慮」の両方の業務を担うことになった、当時の女教師の「人間性」やばかった
 ③「特別な配慮」が必要な男の子が、「自分をコントロールできない」系の「加害タイプ」だった
 ④「特別な配慮」が必要な男の子の、「親」が全くでてこない。無関心。
 ⑤私の両親が「学校」「先生」といった権力に逆らえないタイプ

語りたいことは山のようにあるが、とりあえず今回は上記①について、
つらつらと語っていきたい。


たまに教育関係者から
「配慮が必要な子がいてくれると、クラスの皆が助け合い、優しくなってとてもいい影響を与えてくれる」
という言葉を聞きます。
私はこれに一言物申したい。

 「正論で周囲の子どもを殴るな」

あなた方の言う、その「美しいストーリー」のために、
「自分の望みを押さえつけて、配慮の必要な子の奴隷となる」「理不尽に殴られる」「精神的苦痛を味わう」子達を
産みだしてはならないんです。
「お世話係」に任命されてしまった子達が、そのような「苦痛」に無条件に耐えなければならない理由なんて、
何ひとつとしてないんです。

そして…

「他人に優しくするのが『正しいこと』だから、
 そのための『お世話係』に苦痛を訴えるお前は『冷たい・酷い人間』だ」

という、お世話係を責める態度も絶対にやめてほしい。

 *ちなみにこれは、
  私は毎日加害児に殴られ、抱きつかれ、プライベートゾーンを触られ、
  下校時に家まで着いてこられ家の前に数時間佇まれ、毎日私物や私自身の身体に大量の唾液をつけられ(このあたりは後述します)、
  色々耐えかねて泣きながら「辛い」と、女教師に訴えた時に言われた言葉です。


例えば「配慮が必要な子」自身が…

 ・クラスの子達と友好的な交流をもてる
 ・穏やかな子である(他人を殴らない)
 ・例え手がでてしまうタイプの子でも、加害を止める大人の存在(周囲の子に被害が発生しないストッパー)がある

少しでもこうした条件・環境を満たしているのであれば、かなり救いはあると思うんです。
「一人の子」に負荷が集中するのではなく、
「クラス皆が仲がよく、皆でフォロー役を分担しあう」のであれば、これは「助け合い」の世界に近しいですよね。


でもね、「お世話係」1人に全てを押し付けるやり方は、絶対に間違っています。
私はもう本当に、一遍の疑いもなくこれは「間違いだ」と断言することができます。
「お世話係」になってしまった子どもの「心を殺す」行為です。

特に、「加害傾向にある子」を、「同世代の子どもだけで世話する」ことなんて絶対に不可能です。
令和のこの時代にこんな指示をする教師がいたら、その人を「虐待者」だと断罪したい。

だからこそ!!!
クラスには 『補助要員となるべき大人(今でいう加配教員)』 が必要なのです。


何度でも言います。
「配慮が必要な当事者」だけのためではありません。

「教師の都合」で生贄にされる「お世話係」を生み出さないために、
『補助要員となるべき大人(今でいう加配教員)』が必要なのです。

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「配慮な必要な子」自身が周囲と穏やかに接することができる→
周囲の子が自発的に「〇〇ちゃんが困ってる!助けよう!!」と思える→
クラス皆が、適宜自分にできるフォローをする
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これ、非常に素晴らしいケースですね。
パーフェクトだと思います。
実際、こういうケースでうまくまわっているクラスもたくさんあると思いますし、
教育者がこの形を目指すのもわかります。

私はこの理想形を否定する気持ちは全くありません。
むしろ心から本当に「こうなってくれればいいな」と思います。

でも、物事って理想や綺麗ごとばかりではないんです。

■「お世話係」の私と、「配慮の必要な男の子」の関係
実際に私が「お世話係」として任命された対象となった男の子は…
「加害傾向」のある男の子でした。

しかも、これもまた不運なことに「非常に体の大きい子」でした。
当時、学年で一番背が大きくて、肥満状態の男の子。
(私には2つ上の兄がいて、
 当時私が学校で日々、この加害児に殴られていることを知った兄が
 長時間休みに私の教室まで足を運び、彼と対峙してくれていました。
 その「2つ上の兄」よりも、彼は背が高く、肥満ゆえに横幅も2倍くらいありました。)


まず、最初に困ったこと。
私はこの子と「意思の疎通ができない」ことに対する「恐怖」を持ちました。
別に彼は言葉が話せないわけではないのです。
本人はきちんと「意味のある言葉」を発するんです。

彼は、自分の要望を伝えることはできる。
でも私の質問・言うことは一切聞いてくれない。
まるで聞こえていないように振る舞う。
何度「叩くのをやめて」「抱きつくのをやめて」「触るのをやめて」と言っても、何も通じませんでした。

今にして思えば「知的に問題がある」子だったのかもしれません。(勿論、私には断定できないので推測です)
当時小学校3年生だった私には「丁寧にゆっくり話しかけてるのに、話が通じない」という状況は、
本当に意味がわかりませんでした。
(同世代の方なら何となくわかってもらえるかと思いますが、
 30年近く前は、世間一般に「発達障害」「知的障害」に対する知識があまりなく
 大人ですら「何となくそういうもの」くらいの認識だったのかと。
 ましてや30年前の「小学3年生」が、その手の正しい知識をもっているはずもなく…)


次に困ったのが「異常に執着される」こと。
クラス替え初日に、女教師に勝手に「お世話係」に任命され、自動的に私の席は
「必ず彼の隣」になりました。
これは、最終的に私が「転校」するまで続きました。(1年半ずっと、隣の席でした。)

こうした環境を女教師が用意したせいで
その男の子は「私」を、「自分の好きにしていい子」だと認識してしまったんでしょうね。

そしてすぐに、何故かわかりませんが、
彼は「異常に私に触りたがる」ようになりました。

抱き着く・プライベートゾーンを触ろうとする・舌で舐めようとする・
唾液を掌いっぱいにためて、私になすりつけようとする。
→これはしばらくたって彼に時間をかけて聞いてようやくわかりましたが
「自分の唾をつける=私が自分のものになる」という認識だったそうです…

 自分の唾がついたものは、皆が「汚い!」と言って放りなげる→
 私が他の友達と遊んでいても、唾をつけてたら周りの人間が去って行くはずだ→
 私が自分のものになる

 という思考回路だったそうです。
 本当に、色々と絶句しました。

そして、そのうちに…
今後は私が常に彼の側にいないと、
癇癪をおこして暴れるようになりました。
-------------------------
私がクラスの友達を話したり遊ぼうとする→
いきなり走って突進してきて、周りの子を殴る→
私が、他の子を叩くのをとめようとする→
私も殴られる→
無理やり私の腕をつかんで教室の隅に連れて行く
-------------------------


これがしばらく続きました。
皆さん、こうなってくると次どうなるかわかりますか??

今度は『私と遊ぼうとする子』が、いなくなっていってしまうんです。
だってクラスの皆は、私に近づくと
必ず「自分よりも圧倒的に体の大きな加害児に全力で殴られ続ける」んですもの。
そりゃ離れていきますよね。当然です。

当時もし私がお世話係じゃ「なかった」として…
私以外の子が同じ状況におかれていたとしても
やっぱり、同じ行動をとったと思うのです。
だって、やっぱり殴られるのは怖いですもの。


でも、当時クラスメイトの名誉のために言っておきます。
彼ら彼女らは、本当に私の支えになってくれました。
当時40-50代であった、いい歳した女教師よりも、
当時8歳だった子どもたちのほうが、
よっぽど「人の心がわかり、他人のために何かをできる人間性」をもっていました。


加害児と比較すると圧倒的に体も小さくて体重も軽い「女の子」たち。
彼女たちは、加害児がいない隙を見て、私の側にきてくれて積極的に声をかけてくれました。
「大丈夫?痛くない??」って、目に涙を浮かべながら私の体調を心配してくれた。
「手を拭いてね」って、加害児の涎まみれの私の手を拭くように、
自分達のもっていたポケットティッシュをだしあって、私にたくさんくれました。


クラスの「男の子」たち。
彼らはとても勇敢でした。
私が加害児の要求(抱き着いてくるのを拒否する・身体を触ろうとするのを拒む)をのまず
彼が癇癪をおこし、めちゃくちゃに殴られると、
何人かの男の子たちが助けにきてくれました。

勿論、一回り以上身体の大きな加害児相手なので、
何人かで束にならないとおさえられない。

でも、男の子たちは、一人腕一本ずつおさえる、とかで
とにかく私が殴られないようにかばってくれました。
あの時は本当に、泣くほど嬉しかったです。

ただ、それも女教師の斜め上をいく思考により、全てぶち壊されました。

複数名の男の子に邪魔をされた加害児は、いつも以上に怒り狂い
手に負えなくなりました。


そして、ちょうど休み時間が終わり戻ってきた女教師。
勿論、女教師は興奮しきった彼を落ち着けさせることなどできるはずもなく…
とにかくその場はめちゃくちゃでした。

まぁ問題は、その後クラス全体にだされたお触れですよ。

「今後誰も××のやることに文句を言うな。
 〇〇(私)が殴られててもほっとけ。
 
 この言いつけを破った奴はビンタだぞ。」


要は、もう加害児を興奮させるようなこと(やりたいことをやらせろ)は一切やるな。
そうすると、ずっと暴れて私(女教師自身)まで大変だから。
こいつを興奮させるようなことをした奴はビンタだぞ、と。

もう…この女教師、屑でしかないですよね。


あぁ、ダメだ。
ちょっと書き起こすために色々思い出していたら、
心が辛くなってきた…。


とりあえず第1章はここまでとし、
続きは後日書いてみようと思います。

もしこのnoteを読んでみて「続きが気になる!」という方がいらしたら、是非「💛」アクションくださいませ!

第2章を書いてみるか!という励みになりますー。


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