描くことが、聴くことになる

グラフィックレコーダーとして多くの人の目にさらされながら描く以外に、グラレコが実は一番役に立っているのは、自分の実生活かもしれないと思う最近。ビジュアルの力をいろいろ試したくて、表舞台で描く以外にも頼まれもしないのにしれっと側でメモを描いてみたり、単に説明する時に描いてみたりしている毎日です。

続けていくうち、描くことは全力で相手の話を聴くことと同じなんだなと改めて腹落ちしています。描いた先にあるものはいつも、問題解決まで至らずとも、場にいる人たちの穏やかな笑顔であったり、前向きな気持ちであったりする不思議。紙やiPadにただ可視化するだけで、人は自分のことを見てくれている人がいると心強く思うものなのか。目の前に可視化された話のカケラが、ああ話を聞いてもらった、自分のことをわかってもらった、と相手に感じてもらえること。わりと大きな貢献になっているのではないか、なんてひとりほくほく思っている。

これは実際に仕事場で描いたメモ。ぐっちゃぐちゃのめっちゃくちゃ。そもそも私まで話が回ってくるということは、現場でどうしようもなくもつれにもつれている問題ばかりである(日中の会社員としての私は、そんな役割の仕事なんです)。ほぼ女性だけの場が多く、時に相手は不安から敵意に変わっている時もあるし、涙涙な時もあるし。

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聞くこちらも、場の雰囲気に流されないよう冷静さを保とうと必死になる。つい反射で感情が高ぶることを自分で認めつつも、紙とペンを対話のど真ん中におくと、場に第三の目ができてほっとする。あとは全力で、話を聞いたり整理し伝えたりすることに努める。話し合いが長びく時なんて、戦いなんだろうかとも思う。でも、それぞれに気持ちを訴えようとする誰かと誰かの間に立つことを心から嫌いにならないで済んでいるのは、グラフィックレコーディングと出会えたからかもしれない。

場への働きだけに留まらず、話を聴いているというこちらの姿勢を可視化し支えてくれているのがグラレコなことはもう間違いない。この相棒なくしては、生活が成り立たなくなっている私の今です。本当は、戦略を考え進められる人であったらいいんだろうけれど。私にはなかなか苦手であるから、このやり方で。

家族でも恋人でも仕事場でもどんなところでも、紙とペン、いいな。これからも続けていくこと。




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