朝型への誘い1  

   日記より28-4「朝型への誘い」1          H夕闇
       七月七日(日曜日)曇り時々晴れ、最高気温34,8℃
 むすこのMが孫のmを連れて、キャンプ帰りに訪れた。結局ふろで汗を流すに留まらず、昼と夕の二食。きのうは音沙汰(おとさた)が無く、けさ遅くなってからの連絡にも関わらず、鰻(うな)丼(どん)や豚(ぶた)汁(じる)の御接待。気紛れな飛び込みにも備えて、週末ごとに用意だけはしておくのが、バーバの心意気である。
 エネルギーの有り余る孫娘は、疲れも見せず、ジージを水切りに誘(いざな)った。この炎天下に。上の孫と以前キャンプへ行った時にジージからテント脇(わき)の清流で水切りを習ったことを、兄から聞き及んだのだろうか。
 内(うち)の直ぐ裏の小川で済むのなら、それに越したことは無いが、(甚(はなは)だ残念ながら、)そうは行かない。土手の上から石を投げたのでは、水面との間に五メートル程も高低差が有るから、石が垂直に着水してしまう。従って、平たい小石が急回転しつつ水面へ水平に接することに因(よ)って弾(はじ)き飛ばされる水切りの妙技は、ここでは発揮できないのである。
 N川沿いに暫(しば)らく堤(つつみ)を行って、変電所の当たりから河原へ下り、そこの低い汀(みぎわ)からでなければ、石を川面(かわも)と水平には投げられない。そこが最寄(もよ)りだが、僕は(正直きな所(ところ)、)そこまで道々の暑さを思い、グッと来る物が有った。だが、是非ここは要望を受けて立たねば成(な)るまい。何せ、兄孫には教えたのだから。
 嘗(かつ)て朝ごとに愛犬を駆け回らせた変電所下の草原が、ここ数年は除草されること無く、人の背丈を遥かに越えるジャングルの様相だ。アスファルトで固めた歩道ばかりが、辛(かろ)うじて左右から覆(おお)い被(かぶ)さる草木を免(まぬが)れる。その心細い小道を暫(しば)し分け入って、やっと水際へ出た。
 孫は直ちに平べったい石を探し始める。そういう形状でないと旨(うま)く水の上で跳(は)ねないことを、きっと兄から聞いたのだろう。平石が鋭く回転し乍(なが)ら水の面に接触すると、前方へ弾き飛ばされる。その回る勢いが余り削(そ)がれない侭(まま)、然(しか)も水平を保った姿勢で跳ねられると、再度その先の水面でも弾かれる。そのスピードと態勢とが更に崩されないなら、更にピッと水上を掠(かす)めるように飛ぶことが出来(でき)る。。。そうして川面(かわも)に三つ四つと丸い波紋を連続して描く。三段跳びのような礫(つぶて)の跳躍は瞬間的で、高さも距離も段々と小さくなるから、何度バウンドしたかを一々目視で追うことは難しいが、水上に残る波紋の数で確かめることが出来(でき)る。
 腕一つで可能な限り数多く弾ませる技を、昔の子供たちは(いなかの子は特に)競い合い、勝てば鼻が高かった。ちびっこギャングの政局では、自(みずか)らの力量で、勢力が上下する。不器用な僕は精々(せいぜい)四回程度だった。それが口惜しく、水切りに余り参加しなかった。PCゲームなど無かった時代、素朴な遊びだった。
 子育ての時期、(むすこと愛犬の他に)偶々(たまたま)隣家のH君と連れ立ったことが有る。かれは水切りが実に旨(うま)かった。大袈裟(おおげさ)なモーションを付けずに、手首を器用に使って軽々と投げ、それで石が水上を這(は)うように走った。跳ねた回数が一体(いったい)どれ丈(だけ)か、目にも止まらない。波紋さえ幾(いく)つも重なり合って、数え切(き)れない。ウームと大の乙名(おとな)が唸(うな)らされ、少年の後姿を(尊敬の念を込めて)見直したものだ。新幹線を見た時みたいに。
 僕の場合い、利き手の右腕を大きく後ろへ張り、(肘(ひじ)を伸ばし、弓なりに反(そ)った形で構え、)左脚を踏み出す勢いで、腕が水平に半円を描き、石を平らに回転させつつ放(はな)つ。同時にスナップを利かせるのが秘訣(ひけつ)だ。
 この動作(フォーム)を孫に屡々(しばしば)やって見せるのだが、かの女(じょ)は手本なぞ興味が無い。自(みずか)ら楽しく動く行動主義(プラグマティズム)だ。せっかく見付けてやった平らな石もポイポイ無造作(むぞうさ)に放(ほう)る。(無数に石の敷く岸辺でも、水切りに適した平べったい形なんて、そう多くは無い。それに、子供には、余り大きな塊(かたまり)は手に余る。)なけなしの平面的な小石は、宙に丸い放物線を描いてドボン、ポチャン。放すタイミングが悪いと、父親へ危険が及ぶ。いやはや。
 それでも、一回だけ水を切ってバウンドした投擲(とうてき)が、(まぐれで)五度も有った。家へ帰ったら、恐らく兄に対して無邪気(むじゃき)に自慢することだろう。どうも兄は運動が苦手なのか、まぐれの一回バウンドさえ、たった一度しか経験していない。兄と妹の軋轢(あつれき)を予測して、ジージは予(あらかじ)め口止めしておいた次第(しだい)である。
 水切りを楽しむ孫娘mは、白地にレモンの柄(がら)が散りばめられた薄手のワン・ピースを着て、えび茶色の野球帽、といった出(い)で立(た)ちだった。新入学の際、地元のプロ野球チームのマークが入った帽子を、漏(も)れ無く貰(もら)えたのだそうだ。親の世代(詰(つ)まり僕の子の時代)には、幼稚園児が大概あの黄色い帽子を被(かぶ)ったものだが。

 レモン柄スカートは、初対面のYネーネー(父親Mの妹)から一週間前に贈られた物である。その日、Yは婚約者S先生を伴(ともな)った。諸般の事情から、結婚式も披露宴も挙げない予定だから、姉や兄など我がH家との顔合わせ(御披露目(おひろめ))の意味を含んでいた。その連れ合いや子にも、席を設(もう)けた。
 長女Kは、夫のT君、前歯が八本ばかり生え初(そ)めた乳児kと共に参加。薬玉(くすだま)を割ると「おめでとう」の小さな垂れ幕と共に、色とりどりの吹き流しテープが下がる仕掛(しか)けは、この先輩夫婦が用意した。クラッカーも鳴らした。その派手(はで)な音が、開幕の合い図とは相(あい)なった。
 新婚二人の背後のガラス戸には、長男Mの末っ子mが前週末に作った折り紙三枚が、貼(は)り付けて有る。薬玉とクラッカーも綺麗(きれい)だから、折り紙の飾りと並べて、ガラスに貼った。勿論(もちろん)、係りはmである。S先生がコーヒー好きと聞いて、Mは自宅から道具一式を持参。豆から挽(ひ)いて、得意のコーヒーを御賞味に供した。
 僕は(一家の紹介は無論、)座席表も用意して、皆の名と続き柄を覚えて貰(もら)った。
 こういう集まりでは、妻の手料理が振る舞われるのが常だが、今回は総勢で九人。然(しか)も離乳食も要(い)るので、とても手が回らないと言う。初めて仕出し料理を取り寄せることにした。ワンワンを模した蓋(ふた)を開けると乳児用の膳がkに現れ、乳歯が抜けて前歯がゾロッと無いmにも一人前お膳が整えられた。(このm用の膳を仕出し屋が失念して遅れ、僕はイライラ憤慨したが、めでたい席だから、と宥(なだ)められた。)
 異にして味なる縁が有って、娘(むすめ)婿(むこ)となる学友を、僕も衷心(ちゅうしん)より歓迎した。ドイツ文学やヨーロッパの歴史やEUの未来に就(つ)いて、これからも大いに語り合う機会に恵まれるだろう、と僕は楽しみだ。只(惜しむらくは、)S先生は下戸(げこ)。仕方が無い、僕一人で酔っ払って、議論を吹っ掛けるとしよう(前回みたいに)。
 それと、かれは夜型人間である。ドイツの専門家は「ドイツ時間」などと吹聴(ふいちょう)するが、僕が目を覚ます払暁(ふつぎょう)に、著述のペンを置いて就寝。生活リズムが擦(す)れ違(ちが)い、討論会には時差ボケの調整が必要となる。
 都会では、人々が寝静まり、しじまが訪れて、余念なく研究に没頭できるのは、その時間帯なのだと言う。
 それを聞いて、僕の脳裏に一つの企(たくら)みが生じた。いつか畏友を朝型へ誘おうと。我が家に宿泊し、早朝に適性が有るか、確かめて貰(もら)おう。「余計な御世話(おせわ)」には違い無いが、ここに思わぬ別天地が待っていて、学問上も新境地が開けるかも知(し)れない。かのドイツ人思想家の古里にも似ていないか。              
                         (日記より、続く)

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