天王星蝕

   日記より26-16「天王星蝕」            H夕闇
           十一月九日(水曜日)晴れて小春日和り
 朝食後に電話が入って、家内はAKさんらと遠足に行った。本日はDの森の方面らしい。地下鉄を使うか否(いな)かに就(つ)いては集合してから、という気楽な散策である。きのうは錦秋のK神社まで歩いたそうだ。復興住宅に住む散歩仲間のKさんも同行、(御年齢の割りに随分と歩く人だが、)T城址公園は初めてとのこと。
 数年前までは夫婦で紅葉を見にN狭まで鈍行列車の旅を恒例としたが、折り柄のインバウンド、車内が外国人観光客で騒々しく、アジアの言語が多く飛び交う中で嫌や気が差し始めた所へ、コロナが留めを差した。以来もみじ狩りの行楽は僕ら夫婦から途絶えていた。

 僕一人では、きのう天体ショーを楽しんだ。皆既(かいき)月蝕(げっしょく)に惑星蝕が重なるのは四百四十二年ぶり(安土桃山時代以来)、次ぎは三百二十二年後、との触れ込みで、マス・コミが賑わった。今回は、皆既蝕が終わったばかりの月に、太陽系第七惑星の天王星が隠れた。一見ごみみたいな小さな星の光り(肉眼では見えない程のチッポケな光源)が消えたからって、大騒ぎする程の出来事ではあるまいが、それは遥かなる第三惑星(地球)から眺(なが)めるからで、現物は地球の四倍も有る氷りの惑星だそうだ。
 月の直径は地球の約四分の一、その月が地球の四倍の大きさの天王星の背後へ回って見えなくなり、(月からすると、十六倍の天体を後に隠し、)それも十六分の一の衛星(月)と比べて取るに足らぬ程に小さく、塵(ちり)や芥(あくた)の如(ごと)くに見えるのだから、恐ろしい程の距離が天王星に感じられる。宇宙空間の奥行きの深さ、気の遠くなるような距離感覚が、迫って来る。
 太陽光は僕らの目に届くまで八分余りを要するそうだが、(と言うことは、僕らは八分前の日輪しか見られないのだが、)あの天王星は一体(いったい)どのくらい過去の姿なのだろう。無論、光りの進む速さ(光速)なんて、とても僕の実感できる範囲ではない。(ボイジャー二号は、あの星まで九年も掛(か)かった。)それに、青い星と言うが、色なんか見えない。僕にも火星は確かに赤く見えるが、天王星の場合い明かりの点にしか感じない。
 もう一つ、データ上で興味を引かれたのは、蝕の時刻である。
 月の部分蝕は、二千二十二年十一月八日の十八時九分から二十一時四十九分まで(三時間半程)。この内、皆既月蝕の始まりは十九時十六分で、終わりは二十時四十二分(約一時間半)。例として掲げられる東京の地点でも、僕の住む当地でも、(Eネットで調べると、)同じ数値が並んでいる。然(しか)し、天王星蝕では(秒単位は無視するとして、)数分間の差異が生じる。東京での開始が二十時四十一分に対して、ここでは同四十四分。三分間の差が有る。東京での終了が二十一時二十二分に対して、当地で同三十一分。九分の遅れである。
 詰(つ)まり、東京で天体望遠鏡を覗(のぞ)いている人たちが「あっ!隠れた。」と言って皆で天王星蝕に拍手した時(午後八時四十一分)、僕らの夜空の天王星は未だ月面の左下へ間近に接近しつつあり、潜入の瞬間を更に三分ばかり待たされた訳だ。(テレビ・ニュースなどでは、天体観測を楽しむ親子などの様子が、映像で流れた。)東京は遠いなあ、と僕は屡々(しばしば)感じて来たが、その遠い感じが客観的な数値で示されたことになる。
 因(ちな)みに、天王星蝕の終了を僕は確認できなかった。月が余りに明るくて、その背後から現れる灰塵(かいじん)の如き星屑(ほしくず)など掻(か)き消されたのだろう。これに対して潜入の直前の様子は、(双眼鏡を通しても)見ることが出来(でき)た。  
 東京の場合い、天王星蝕の開始は夜八時四十一分で皆既月蝕の終了が同四十二分。即ち、天王星が月の向こうに隠れる時、月面の全体が未だ(辛うじて)地球の影法師の中に居(い)て、赤黒い薄闇(やみ)を帯びていた。従って、天王星の姿を見守るに、月光の明かるさが障害になる心配は全く無かったのである。
 一方、僕の場合い。きのうは昼ぶろとしゃれ込んで、ふろ場の窓から最初に黄色い満月を確かめた。それから、湯上りに裏の土手のベンチで月蝕の始まったのを眺め、次ぎに台所の窓からも見えたが、更にはベランダの方へ(東隣りAさん宅の屋上へ)月は回って来た。僕は双眼鏡を振り仰ぎ、次第に真上へ近付くと、手振れが気になって、物干(ものほ)し竿(ざお)を支えにして固定した。
 部分蝕の間は白く輝いていた月面が、皆既蝕になると、「赤黒く」染まった。数年前の月蝕の時にはアナウンサーが「神秘的な」「赤銅色」等を連呼したものだが、色彩の形容にも案外はやりが有るらしい。
 その皆既月蝕が終わって月面の左端が縦(たて)に細長く輝き始め(夜八時四十二分)、その光りが広く月面を覆(おお)い進む頃(九時三十一分)右下から小さな星影が現れたようだ。(天王星蝕の終了)現れたと明確に断言が出来ないのは、皆既の終わった月蝕の光りに邪魔(じゃま)されて、天王星の再登場を捉(とら)えられなかったからだ。只、データ上そうだった筈(はず)だ、と類推するばかりである。だから、テレビ画面で「あっ!出た。」と叫(さけ)んだ東京の少年の天体望遠鏡の性能に、僕の双眼鏡は脱帽した。
 僕は文系で、然(しか)も全きアナログ人間。数字の羅列が無数に流れて行くディスプレイなど見ると怖気(おぞけ)を振るうが、数値を実感的に読み取れるなら、(データの意味する情景を具体的に思い描けるなら、)案外に面白(おもしろ)い物語りが浮かんで来るのかも知(し)れない。学生時代に読んだ「天文対話」にはガリレイの夢(ロマン)が感じられた。

 天体ショーと言えば、思い出す。もう何年も前、長女が未だ単身で沖縄へ移住していた頃、電話の同時中継で満月の様子を互いに伝え合ったのである。
 かの女(じょ)がマンション八階から東の空(国道五十八号線(ゴーパチ)の向こうの丘陵の上空)を見渡しても、月は未だ昇(のぼ)らなかった。一方こちらで裏の土手から僕が眺めるに、足下のS川が下流でN川と合流する当たりに、ヌッと丸い月が浮かんだ。同じ月が沖縄に現れるまでには、三十分か一時間ばかり時差が有ったように記憶する。
 月の出の頃(朝日と同様)月は赤味を帯びる。オレンジ色の満月は高く上るに従って発色が白く変わるのだが、出たばかりでは殆(ほとん)ど赤に近い色だ。その美しさに娘は感動したらしいことが、電話の声を通して、約二千キロ北まで届いた。その時二千キロも離れた親子が同じ月を同時に眺めている事実に、僕は感動した。
 電話の後も、余韻が残った。娘のベランダはオーシャン・ビュー、暗い南国の海に軈(やが)て満月が掛(か)かれば、月光は波を照らし、銀色の帯が海原に揺れるだろう。トロピカル・ビーチの海の色が今は見えないが、そよ吹く夜風が海の香を運ぶだろう。波の音も微(かす)かに聞こえて来そうだ。

 夕べ、左下の欠け始めた月影を目に留めた僕は、裏の土手から戻って、「夢よ、もう一度」とばかり長女へ電話した。案(あん)の定(じょう)、天体観測に就いて暫(しば)しペチャクチャした後、娘が「これから夕飯の支度(したく)をするから。」と言った。臨月の遠くない娘は、保育園のシフトを減らして夕方にも在宅するが、夫の帰宅を待つ身、主婦として家事に勤(いそし)む立ち場に有る。永々(ながなが)おとうさんと実況中継ごっこなんかして居られないのである。                    (日記より)
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かかる時かかる所にかの君とかかる思ひに月を見まほし 西行(出典失念)

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