「里帰り養生」(続き)

   日記より26-11「里帰り養生」(続き)       H夕闇

 先日Tヶ丘まで自転車で走って、古本を買い込んだ。最近は第七波とて又もやコロナばやり。突然ホテル住まいになることを想定すると、手持ちが数冊では安心できないのである。

 Tの丘の中腹に、僕ら夫婦が家庭を営み初(そ)めたアパートが、今も有る(筈(はず)だ)。休日には裏の公園へ長女Oを連れ出して、歩き方を教えたものだ。ああちゃんから出産祝いに頂(いただ)いたサーモン・ピンクの小さな靴(くつ)も、そこで履(は)かせた。おしめを当てた尻(しり)をモックラモックラ揺すり乍(なが)ら、若かった親たちに手を支えられて、幼い娘は不器用(ぶきよう)に歩を進めた。

 手足が短い割りにはプクプク太り、それが柔らかくて、思わぬ所に笑窪(えくぼ)が出来(でき)た。その仕草や片言が、僕らの耳目を擽(くすぐ)った。いつも乳の匂(にお)いが漂ったことを、今も覚えている。

 その幼かった子が間も無く母になると言う。この時間の隔(へだ)たりに、僕は呆然(ぼうぜん)とする。何やら有り得(え)ぬことのような遠い感覚が、頻(しき)りである。コスモスや朝顔のように、僕らの手を離れ、自(みずか)らの流れに従って、最早かなた先を行くようだ。

 ここ数年のんべんダラリと過ごして来た夫婦は、久しぶりに子を育(はぐく)む生活感覚を思い出して、微(かす)かに張(は)り詰(つ)めた日々を送った。保護すべき対象を抱(かか)えることの緊張感。それは(余り永くては、身が持たないだろうが、)生き生きとして快(こころよ)い時間だった。

 とは言え、出産したら母子二人で里帰りしたい、と娘から打診された時は、約一箇月間この老夫婦は身が持つだろうか、と互いに不安な眼差(まなざ)しを見交(みか)わしたことである。けれども、こちらの身が持とうが、持つまいが、そんな事には全然お構い無く(怒涛(どとう)のように)押し寄せて来るのが、子育てという難事業。子を成した者の責任である。来春までに、僕らは覚悟を固(かた)めねば成(な)るまい。

 親元で子としてノビノビ羽を伸ばしたOも、軈(やが)て人の子の親となれば、我(わ)が侭(まま)を言える場面は無くなるだろう。子育てから自由になって安心する時には、もう死が近い年頃だ。それを思うと、気の毒だが、生きとし生ける者が歩んで来た道である。あの淡いピンク色の布靴を履いて歩み始めた人生の先に厳然こんな将来が待(ま)ち構(かま)えていようとは、幼子(おさなご)の思いは及ばなかったろう。

 かく言う僕だって同じ。行き着いて見て初めて分かるのが、生(お)い先(さき)の常だ。だが、未来が初めから分かっていたら、詰(つ)まらなくて、歩いて見る気にはならないかも知(し)れない。又は、歩む道々に味わえる摘(つ)まみ喰(ぐ)いも有るかも知れない。それも皆、験(ため)してみなければ分からないのが、宿命らしい。したり顔で指(さ)し図(ず)がましく言う親たちも、本当は確たる自信など無いのが内情なのだ。共にハラハラしてやる位(くらい)が関の山だろう。これも又この年齢にして漸(ようや)く辿(たど)り着(つ)いた真理である。

 あの小さな靴は、確かクリスマス・ツリーの飾りと一緒(いっしょ)に、納戸(なんど)の奥に仕舞(しま)ってある筈(はず)だ。家の中から子供が居(い)なくなって以来、目にする機会も無くなったが、孫が産まれたら、クリスマスに飾って見せたいものだ。それとも、母親のお下がりを履かせてみるのも楽しいかな。

 僕の初孫は、Oの弟Tの長女Eだった。あどけない姿に会った時、僕は父の姉Oの幼い頃を思い出した。血の繋(つな)がりから言えば、Tの方が濃いのに、目尻(めじり)の下がり具合いなど、その姉の(Eの伯母に当たるOの)幼い頃の顔立ちにソックリだった。そして、この血統というものの不思議に僕は大層(たいそう)心を打たれた。

 僕ら人間の浅知恵など遠く及ばぬ所に条理が働いて、伯母(おば)と姪(めい)の間を繋いだらしい。科学の粋(すい)を集めても恐らく届かない遥か向こうに原因が有って、僕らには奇跡的に感じられるような絆(きずな)を、不意(ふい)に見せ付けられた思いである。

 DNAが解明されても、きっと僕には整合性が納得(なっとく)できないだろう。その神秘を神秘の侭(まま)で美しく残して置いて、この世の不思議(ふしぎ)を僕らは楽しもう。子や孫から処世訓を求められたら、そう僕は答えよう。ここまで何とか生き延びて得た人生観が実際この程度とは残念だが、事実だから、仕方が無い。

 要するに、やって見なければ分からない。分からないから、物は験(ため)し、恐れずに生きて見なさいと。人生は生きるに値いするか、なんて二の足を踏まないで、酸いも甘いも含め、見るべき物は片っ端から見てやろう。そうして右往左往する内にも、人生には味が有り、軈(やが)ては漸(ようや)く一人前の口が利(き)けるような年になるだろう。そして、その頃には、訳知り顔をしても、「あれ!あの洟(はな)垂(た)れ小僧(こぞう)が、利(き)いた風(ふう)な物言いをするよ。」と冷やかすような(僕が子供の時分に乙名(おとな)だった)年寄りは、もう居(い)なくなっているだろうから、照(て)れる必要は無い。大いにはったりを利かして、堂々と当てずっぽうを言えるようになる。

 抜け抜けと空疎な国体を自信タップリに論じた日本軍部の指導者たち、一族の血統を至上命題とした封建武士団も、内心はビクビク物で大言壮語していたに違い無い、と今の僕なら思い当たる。そして、父祖の領土回復の夢を追う者の哀れさも又、、、。大それたことを始めてしまった、と戦々恐々、面子(メンツ)の立つ落とし所を内心では求めているに違い無い。 

              (日記より)

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  北原白秋 「薔薇」
薔薇(バラ)ノ木ニ
薔薇ノ花サク。
ナニゴトノ不思議ナケレド。
      (詩集「白金ノ独楽」より)

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