齢と孫子

     日記より28-2「齢と孫子」         H夕闇
                四月十四日(日曜日)晴れ
 この春は、桜(さくら)の並み木道を一人で散歩した他、夫婦でも随分(ずいぶん)あちこち花を愛(め)でて回った。但し花は桜とは限らない。
 先ず今月五日に末の娘の案内で横浜の山下公園へ出掛(でか)けた。港のハイ・カラな洋風庭園で、「赤い靴(くつ)履(は)いてた女の子」の像が異国情緒を醸(かも)し出した。今週十日には、長女に誘われて、孫を子供園へ迎えに行った足で、近所の桜の堤(つつみ)を親子三代で漫(そぞ)ろ歩き。弁当も拡げた。きょうは伜(せがれ)と孫が車で迎えに来て、農業園芸センターへ行ったが、春の花々が闌(たけなわ)を迎えていた。
 我が家の庭でも、植えた本人にチューリップの満開を見せることが出来た。桜と共に咲いた桜桃(ゆすらうめ)の花が、絶頂期に雨と共に散り始め、花ふぶきになった。椿(つばき)も早く盛りを過ぎたが、土手下の花畑ではコスモスが小さな二葉の芽を出す。
 鶯(うぐいす)が鳴き、燕(つばめ)が飛ぶ季節。間も無く、裏の川で鯉(こい)が跳(は)ねるだろう。

  さまざまの事おもひ出す桜哉(かな)                           
                  松尾芭蕉(笈(おひ)の小文(こぶみ))
 俳人が若い時分に仕(つか)えた主人(藤堂良忠)の屋敷きで花見の宴(えん)が催(もよお)され、そこへ呼ばれて吟(ぎん)じた一句である。目の前の情景から、旧主と眺(なが)めた思い出などが思い浮かぶのだろうか。その時の会話、その口調や表情、それらの背景となった諸々(もろもろ)の事情、主従の人間関係、、、他にも招かれた客が居(い)ただろうし、花より団子で酒肴(しゅこう)も供されたことだろう。殿様は最早この世に無く、家屋敷きは代替わりして、世継ぎの若君も既に先代と同じ程の年配に成長したのだろうか。何やら昔を偲(しの)ばせる面影(おもかげ)が有ったかも知(し)れない。
 眼前の桜の様や庭の佇(たたず)まいだけでなく、そういった過ぎ去りし日々を胸に描く時、一句は昔の思い出と二重写しになり、重層的な深みを増す。
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 鎌倉時代に編まれた「新古今和歌集」の頃から、本歌取りという歌の作法が、この国には受け継がれて来た。聞く人(読む人)に名の有る古歌を思い起こさせ、自作に余情を得る手法である。例えば、
  み吉野の山の秋風さ夜ふけて古里(ふるさと)寒く衣(ころも)うつなり 
              藤原雅経(まさつね)(新古今集・百人一首)
今は山深い里だが、古(いにしえ)には離宮が華やいだ吉野盆地に、秋風が立ち、寒さが募(つの)る。鄙(ひな)びた山里の女性たちが家族の冬着を支度(したく)して砧(きぬた)を打つ音が、あちこちの家から聞こえ、山合いに響くのであろう。この作品に触れる時、和歌を嗜(たしな)むインテリたちは、人口(じんこう)に膾炙(かいしゃ)した古い名歌を思い浮かべる。
  み吉野の山の白雪つもるらし古里寒くなりまさるなり 
              坂上是則(さかのうへのこれのり)(古今集)
こちらの作者は、今や古都となった平城京の冬景色を眺めている。募る寒さから、嘗(かつ)ての壬申(じんしん)の乱(らん)に纏(まつ)わる吉野の里に思いを馳(は)せる、こんなに当地が冷えるのだから、かの地の山々は雪が深いことだろうと。
 雅経さんの歌を聞く時、居合わせた人々は、「み吉野」や「古里」(古い都)「寒く」と詠(よ)み込まれた言葉に依(よ)って、是則氏の(歌の手本たる「古今和歌集」にも入集(にっしゅう)した程の)名歌へ連想を誘われる。新作に描かれた吉野の秋と、古代の平城京の冬。砧の音に象徴される女たちの思(おも)い遣(や)りと盆地特有の底冷え。それらが背景として重なり合うことで、表面的な情景描写を脱し、作品の味わいが深まる。
 日本古来の本歌取りの手法は、西洋近代文学に用いられる伏線に似た効果を挙げる。又、日本庭園に於(お)いて、木々の向こうに遠い山並みが見え隠れする借景の造園法も、同様だろうか。更に、現代の映画やテレビ・ドラマのオーバー・ラップの技法にも、通じる物が有るだろう。皆それぞれの形で、眼前の叙事詩に陰影を添(そ)えるのである。
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 妻と娘が習った琴の師匠N先生が(何の折りだったか、)僕の実家を訪れたことが有る。そして僕の祖母と初対面の挨拶(あいさつ)を交わした場面を、僕は覚えている。先生は祖母に年齢を問うた。年寄り扱いは失礼だ、などという浮き世の常識を、N先生は意に介さない。問われた方も又(相手の天衣無縫(てんいむほう)な人柄を、僕らから聞いているから、)一向(いっこう)に蟠(わだかま)りが無い。祖母は当時(確か)八十代だった。それを聞いた先生の受け答えが、振るっていた。
「まあ、そんなに永く生きて来られたのなら、色んな物事が、さぞ深く感じられることでしょうねえ。」
 その言葉に蔵された人間観が、近年やっと僕にも思い当たる。人の世に永らく生きていれば、その間(好むと好まざるとに関わらず、)多くの出来事に出会う。そして、一つ出会う度(たび)に、以前に出会った類似の思い出が蘇(よみがえ)る。現在が過去と層を重ね、シミジミと深い余韻(よいん)が漂う。その湧(わ)き滲(にじ)む人生の味わいを、多分N先生は言ったのだろう。
 この点だけは、経験を積んだ老人が、元気な若者に決して負けない。

 事(こと)程(ほど)さように、馬齢(ばれい)も重ねれば自(おの)ずから人生は深まる、といった面が有るらしい。軽弾(かるはず)みな僕も漸(ようや)くにして最近そこに思い至った。少しばかり目に物が見えて来たような気がする。
                         (日記より、続く)
 
  瓜(うり)食(は)めば子ども思ほゆ 栗(くり)食めば増して偲(しぬ)はゆ
  いづくより来たりし者ぞ 眼合(まなか)いに元無(もとな)掛(か)かりて
  安寐(やすい)し寝(な)さぬ
    反歌
  銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむに 
  勝(まさ)れる宝(たから)子に如(し)かめやも 
               山上憶良(やまのうへのおくら)(万葉集)

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