日記より25-15「秋の寝不足」

   日記より25-15「秋の寝不足」           H夕闇
           九月二十一日(火曜日)晴れ後に曇り                                                                                                                                           陰暦:八月十五日、月齢:十四点一
 きのうは彼岸の入りだそうで、(合わせて「敬老の日」だが、僕は誰にも何とも言われないので、関係が無いらしく、)きょう自転車で十キロ走り、墓参りに行った。
 いつもの田(た)ん圃(ぼ)道。左右の農地は、減反政策が終わった筈(はず)なのに、未だ半分が豆畑に転作した侭(まま)である。稲田も(かなり黄金色(こがねいろ)になったが、)刈り取りは殆(ほとん)ど始まっていない。住宅地と違って、広々とした青空の下、風を切ってペダルを漕(こ)ぐのは、気分が良い。
 ウッスラ汗を掻(か)いた体を、用水路に架(か)かった小橋で休めるのも、また良い。水筒の冷たい茶が、喉(のど)から腹へ沁(し)み通る。来た道を見渡せば、新幹線の高架橋の向こうに、泉ヶ岳が堂々の威風を示している。空が澄み、浮かぶ雲は(もう入道雲ではないが、)真っ白に輝く。更に季節が進んでコンバインが動き回る頃になると、田園一帯に藁(わら)の乾いた匂いが漂うだろう。
 そんな季節感が好きで、僕はサイクリング墓参が已(や)められない。信心の無い僕には、本当は盆も彼岸も無いのだが、それに一応かこつけて墓へ参るのが習慣になっている。往復二十キロ走破できる体力を自(みずか)ら確認するのが、実は目的かも知れない。そして、自分を産み育ててくれた今は亡き人たちへ、自力で走って来た姿を示す。
 道順から、先に妻の実家の菩提寺(ぼだいじ)U院へ寄る。それからH家のS寺へ。彼岸の入り日に真っ先に詣(もう)でるようだと、親戚内で評判が良いのだろうが、僕は拘(こだわ)らない。拘ろうにも、自転車は天気に左右されるし、それに(二十キロともなると、)体力の調整や前後の日程なども関係し、そうは必ずしも出来(でき)ないのである。寧(むし)ろ(敢(あ)えて人様の後塵(こうじん)を拝(はい)し)供(そな)えられた花の水を差し替えた方が献花が永持ちして良い、と考えるのは屁理屈(へりくつ)だろうか。それにしても、人知れず沢山(たくさん)の花や茶や線香を手向(たむ)けてくれる(故人を偲(しの)んでもらえる)のは有り難いことだ。
 寺から地元の古本屋へ足を伸ばすのが、僕の彼岸参りの定石(じょうせき)である。ここ数日は手持ちの本が切れ掛(か)かり、あちこち走り回る。これで四軒目だ。残念ながら、きょうは収穫ゼロ。コロナで宿泊療養になる場合いを想定すると、もう少し在庫を増やしておきたい所(ところ)だが、へたに妥協して買い込み、実際に読む段で詰(つ)まらぬ思いをするのは御免である。
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           九月二十二日(水曜日)晴れ
 未明(と云(い)うよりも未だ夜中)の二時半なのに、目が冴(さ)えてしまい、三時半に新聞配達のエンジン音を聞いた。枕頭の小卓の三浦綾子「狂王ヘロデ」を暫(しば)し開くが、一向(いっこう)に眠気が差さない、昨日あんなに自転車で走って疲れている筈(はず)なのに。
 春先に日の出が早まるに連れて早起きになるが、秋口にも体調が変わるのかも知(し)れない。妻の気象病には及ばないが、季節の移り変わりの影響か。在職中そんな事で寝不足を来たしたのでは溜(た)まった物でないが、今の僕なら、昼寝を決め込むことだって出来(でき)る。その自由と解放感が中々(なかなか)に良い。
 とは言え、きのうの朝O夫人からコスモスを所望(しょもう)されたこと、伜(せがれ)が近く家を買うこと等に纏(まつ)わる諸々(もろもろ)が、脳裏を去来して離れず、くよくよ悶々(もんもん)とする。
 枕元のカーテンを覗(のぞ)くと、煌々(こうこう)たる満月。夕べの雲は無い。糅(か)てて加(くわ)えて李白の「静夜思」を思い出したら、仲秋の名月を見たくて、おちおち寝てなんか居(い)られない気分になった。
 起き出して、身(み)支度(じたく)し乍(なが)ら、湯を沸(わ)かす。妻も早々と起き、パソ・コン机に向かっている。
 コーヒーが出来て、玄関の扉を開けると、圧倒的な虫の音。未だ夜明けは遠く、色の無い白黒写真のような花畑が目に入る。今年は案外に雨風が少なく、花丈がスックと立っている。高い物は、僕の背丈を大きく越える。近付いて凝視すれば、花弁の重なりが影を作る。光源は数軒先の街灯の他、西の空からも幽(かす)かに射す。仰(あお)げば、大海原(おおうなばら)のような夜空に、ポッカリと白い円。昨夜は、東隣りの空き地に建ったAさん宅に遮(さえぎ)られ、曇天にも断念させられて、見られなかった満月である。
 コスモスに遠慮しつつ畑を掻き分けて、土手の上のベンチに陣取る。普段なら東の朝焼け空に対坐する所(ところ)だが、きょうは西に傾いた月へコーヒー・カップを上げる。何年前の仲秋だったか、熱燗(あつかん)か何ぞ掲(かか)げて名月と乾杯、同「月下独酌」を気取(きど)ったものだ。
 内(うち)の屋根の上空には、四つの星がリボン(又は蝶(ちょう)ネクタイ)の形を描いている。どうして四角形に見えないか、と言うと、蝶ネクタイの結び目の位置に三つ星が並んでいるからだろう。三個が至近距離の等間隔、ほぼ一直線に連なる。(改めて調べると、オリオン座の中の三(み)連星(つらぼし)と云(い)うそうだ。)仲秋の名月が満月になるのは、八年ぶりと聞く。宇宙へ思いを馳(は)せる時、日々の生活感覚から離れて、暫(しば)し「浩然の気」(孟子)に染まる。そして長大息する。
(日記より、続き)
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       「静かなる夜の思ひ」 李白
     床前に月光を看(み)る。
     疑ふらくは、「是(これ)地上の霜か。」と。
     頭(かうべ)を挙(あ)げて山月を望み、
     頭を低(た)れて故郷を思ふ。

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