日記より25-19「鯉鮭論争」 

     日記より25-19「鯉鮭論争」          H夕闇
                十一月二十二日(月曜日)雨

 きのう散歩へ出る際、Y橋の歩道に母子が佇(たたず)んでいた。女の子は僕の孫娘と同じ年(とし)恰好(かっこう)か、未だ小学生だろう。欄干(らんかん)に絡(から)まる蔦(つた)の葉に、二人で見入っているらしい。

 ここ数年来、橋の下の茂みから蔦が伸びて来る。去年の葉は既に茶色く枯れ、その上に新しい蔓(つる)が絡む。春には若々しい萌(も)え黄色(ぎいろ)をしていた丸っこい葉が、近頃は赤く色付いて綺麗(きれい)だ。小ぶりだが、肉厚で、艶(つや)が有り、秋の日射しの中で、照り葉は人の目を引き付けるに足る。

 僕は植物の種類に詳(くわ)しくないが、所々に黒い小さな実が幾(いく)つも付いていて、(その付き方が疎(まば)らな気はするが、)ぶどうの房に似ている。それで「山ぶどうじゃないかな。」と当てずっぽうに言ったら、若い母堂が「山ぶどう」と小さく反芻(はんすう)した。

 次ぎのN橋から左岸の渕(ふち)を覗(のぞ)くと、五十センチ余りの魚影が、いつも十匹ばかり群れている。昨秋は「鮭(さけ)が上って来た。」と見ず知らずの僕へ唐突(とうとつ)に話し掛(か)けて来た老人が居(い)たが、秋鮭にしては黒っぽくて、婚姻色の赤味が目視できない。のんきに屯(たむ)ろして、横腹を見せないからだろうか。以前(S高に勤めた頃)H川で鮭の遡上(そじょう)を見た時は、深緑色の地に赤紫の帯が走る体を元気溌剌(はつらつ)くねらせて、グングン泳いで行った。その活気や色合いと大きく違う。それに、数キロ下流のI堰(せき)には魚道が無いから、(鮭が海から上って来たとしても、)そこの段差を越えて上って来ることは難しいだろう。

 橋の袂(たもと)(今は高層マンションが立っている一画)が二十年程前は釣り堀で、廃業する際そこの鯉(こい)を土手下のN川へ放したそうだ。その生き残りだとすると、かなり以前に支流のS川(我が家の裏)で時々赤や白の魚を見掛(みか)けたことが有るのと、辻褄(つじつま)が合う。朱に交われば赤くなる、養魚業者は金魚などの観賞魚を赤い壁面のプールで飼って赤くする、と聞いた気がする。記憶違いでなければ、(逆に)N川の暗い水中で赤い鯉も黒くなったのかも知(し)れない。 

 五月の連休(鯉幟(こいのぼり)の季節)、非常に屡々(しばしば)バシャバシャと水を蹴(け)り、時に水面から飛び上がる姿が見られるから、僕は最近(鮭より)鯉の方に軍配を上げる。その鯉がマンションの下(古巣)の渕の当たりで本日もユッタリまどろんでいる。

 アラスカ周辺の冷たい海まで北太平洋を回遊して育った鮭が、三年か四年後に古里の川へ帰って来る、という話しを聞いた時は感動したものだ。川水の臭いを覚えているのか、必ず産まれた川へ帰って来て、上流の澄んだ川底に卵を産むが、その砂を掘る荒仕事で体はボロボロになり、息絶えると言う。そして翌春に卵から孵(かえ)った稚魚(ちぎょ)も川を下って大海へ出るが、数年後きっと産まれた川へ帰って来るとのこと。そんな文章を(確か小学校の国語の教科書で)読んだように記憶する。それが近所のN川が舞台なら、更に良い。

 だが、釣り堀の鯉の一族が繁栄して、産卵の季節(子供の日の前後に)川面(かわも)から力強く跳(は)ね上がる雄姿が、岸辺の少年少女を元気づけるのも、又チョット良い話しではないか。「鯉の滝登り」「登竜門」なども言う。

秋の鮭か春の鯉か、、、どちらにしても心に残る。

 N橋を渡って河川敷きへ下りた後、いつもなら右へ折れて草の道をN公園へ向かう所(ところ)だ。その先、テニス・コートやサッカー場を過ぎると、僕が日課のように散歩に通う良い公園が拡がる。

 広い草原、多くの木々、花壇は季節ごと贅沢(ぜいたく)に植え替えられる。妻は時に野鳥の声を聞きに行く。築山(つきやま)から段々に下る滝は、あちこち巡(めぐ)って、大きな池へ流れる。池には噴水が上がる。僕は運動器具を使った後、木陰や池畔のベンチで本を開く。遣(や)り水(みず)が池へ注ぐ手前、岩の岸辺が和風庭園に設(しつら)えられ、竹(たけ)藪(やぶ)を背景として秋の日に透かせば、山もみぢが見事(みごと)だ。飛び石は苔(こけ)が生(む)すが、近頃は赤い落ち葉に見え隠れ。

 ちはやぶる神代も知らず竜田川からくれなゐに水くくるとは(在原業平)

 この公園が落葉し切(き)った後で最後に目を奪うのは、池の縁に並ぶメタセコイヤの大木だろう。黄葉したオレンジ色に夕日が射すと、青空へ炎のように燃え上がる。間も無く凩(こがらし)が吹いて、そんな季節が来るだろう。

 公園の手前のサッカー場から、騒音が聞こえて来た。コロナ第五波が漸(ようや)く収まって、試合い再開らしい。公園の静けさを破るだけでなく、近隣に幼児や病人だって住むだろうに。

 僕は反対の道を採(と)った。N川沿いに堤を行くと、桜の老木が有る。嘗(かつ)て老父と共に朝の散歩を励行して、時々ここへ来たものだ。花の枝の間から来た道を顧(かえり)みると、かなたに泉ヶ岳が青く霞(かす)む。桜は花咲く他に、今頃は紅葉し、一年に二度も人の目を楽しませる。鯉の跳ねる産卵期、秋鮭の帰郷する季節と、それは重なる。春秋いずれが良いか、と優劣論が古(いにしえ)から喧(かまびす)しいが、鯉鮭論争なんてのは無かったようだ。

 軈(やが)てT河川敷き公園へ下る。秋口の彼岸の頃、ここの土手の斜面は、曼殊沙(まんじゅしゃ)華(げ)(又は彼岸花)で赤一色に染まる。その景色が我が家の台所の窓から遠望できて、妻は水仕事し乍(なが)ら楽しむ。以前に愛犬が世話になった動物病院の先生が音頭(おんど)を取って、町内会で植えたらしい。

 運動器具で腹筋運動五十回。偶(たま)に来た所だから、広い川原を見て回ると、原っぱの草に見覚えが有った。剣のように細長い。そして黒い。数日前すし屋まで(帰省中の末娘を含め)家族三人で対岸の土手道を散歩した時も、そこら一杯(いっぱい)に生えていた。緑の葉が今は黄葉し、その狐(きつね)色(いろ)が堤一帯に拡がっていると、チョット見(み)応(ごた)えが有るが、そろそろ燻(いぶ)し銀(ぎん)のような黒味を帯びる。そして最後には真っ赤に染まるのだ。

 雁安(かりやす)と云(い)う種類ではないか、と娘は言った。この草が一面に色付いた様を草もみじと云うのだとは、旧友Hさんから以前に教わった。傍(かたわ)らに芒(すすき)の穂が白く輝き乍ら揺れて、晩秋らしい夕景である。

 きのうの夕方、散歩に出ようとする僕に「私はAのケーキで育った。」と娘が言ったのは、誘い水だ。子供の頃から末っ子は(姉兄より)おねだり上手(じょうず)だった。

 二十年余り前ここへ僕らが引っ越して来たと時を同じくして、近所にケーキ屋Aが開店。クリスマスとか誕生日など事ある毎(ごと)に同店から求めて来た。上京前の最後の晩餐(ばんさん)、それを家族で食べたいという暗示である。

 僕が散歩から帰った足で、二人でケーキ屋へ出掛(でか)けた。娘はチョコレート・ケーキを選んだ。僕は一つを妻と半分ずつ、近頃は胸焼けがするのである。他に、翌日の上京の手みやげも、そこで購(あがな)った。

 さざんかの紅(くれない)が一つ月(げっ)桂樹(けいじゅ)の陰に隠れて咲いたのは、末娘が帰郷して来る前だった。一週間を実家で過ごして、きょう職場へ旅立った。雨の中、大きなトランクを引(ひ)き摺(ず)る娘を、母親が傘を差して最寄(もよ)り駅まで送って行った。春の鯉か秋の鮭か、遣らずの雨も甲斐(かい)が無い。恐らく正月には第六波で帰れぬだろう。

 本日さざんかは四つ目が咲き、蕾(つぼみ)が幾つも控(ひか)えている。               

(日記より)

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