コロナ下の出産風景5、並びに反歌二首

 日記より26-25「コロナ下の出産風景5、並びに反歌二首」  H夕闇
                                    二月十八日(土曜日)曇り
 少々黴臭(かびくさ)い掘(ほ)り炬燵(ごたつ)に風を通し、炬燵ぶとんを拡げて日に当て、ベランダにも又ふとん干し。
 そうこうする内に、例のEネット井戸(いど)端(ばた)会議(かいぎ)が賑やかになった。「おめでとう」や「退院」の言葉が飛び交う。娘へ問い合わせると、kと名付けられた孫が退院するので、これから両親で迎えに行くとのこと。
 出発前でバタバタしているらしく、どうも要領を得ない。辛うじて聞き取れた所(ところ)を要するに、週末にも二千三百グラムに達するだろうから、そしたら退院、と予告されていたようだが、その「週末」とは(来週末ではなく、)今週のそれだったらしく、けさ不意に退院許可の連絡を受けた、と言う。
 乳飲(ちの)み子(ご)との離別が二泊三日で済み、大喜び、至急お迎えに行くのだろう。
 僕は退院前の支払いの調達を懸念したが、妻は寧(むし)ろ里帰りの日取りが気懸(きが)かりらしい。あす(日曜日)はT家の両親と義弟が来訪。婿(むこ)殿は二十一日(火曜日)から出勤。火水と二日間を挟(はさ)んで、二十三日(木曜日)は祝日、その日に来ると。二日間の昼間を娘は母子で自宅に留まる積もりだが、家内は安静を主張。産後の肥立ちや将来の更年期障害など心配して、二十日(月曜日)にサッサと送って来てもらえ、との意向である。
 流産以来、コロナ療養、逆子(さかご)と高血圧、帝王切開、母子の分離、と立て続け。落ち着いて親子三人の川の字暮らしを楽しみたいのではないか。それは又それで好ましく、極めて尤(もっと)もなことではあるのだが。
 思いは喰(く)い違(ちが)い、連絡も錯綜(さくそう)して、皆カリカリ。僕が仲介調停し、出産の先輩(妻)の意見で一件の落着を見た。いやはや、床(とこ)上(あ)げまで思(おも)い遣(や)られる。恐らくは、オギャーと鶴(つる)の一声で大同団結が予想されるが。

 所(ところ)で、(暫(しば)らく忘れていたが、)確定申告の方は大方(おおかた)の完成を見た。只、それはPC(パソ・コン)上で出来上がったということであって、今度はプリンターが不調。踏(ふ)んだり蹴(け)ったりだ。度(たび)重なる難題を前にして、今を楽しむ生き方を僕は選択した。暫時(ざんじ)お手上げを決め込み、自(みずか)らの日記に(即(すなわ)ち孫の手紙に)専念した次第(しだい)である。
 誕生の日に「(臨戦態勢の宣言まで)日記を書いていました。」と送ったら、娘の舅(しゅうと)TN氏から「今しか書けない言葉が有る筈(はず)です」と励(はげ)まされたのも力になった。かれも詩を書く人と御子息から聞いている。
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          二月十九日(日曜日)雨(花粉飛散予報:飛散前)
 新調の炬燵ぶとんが配達され、掘り炬燵を設(しつら)えた。ファン・ヒーターも満タン。準備は万端が整った。曾(そう)祖母Eが祖母Mの為(ため)に作った木目込(きめこ)み人形は、子のKの雛祭(ひなまつ)りにも飾られたが、今は孫のkに。四代の雛人形が飾られて、隠居(いんきょ)部屋は華やいだ。どんなベビー用品が明日ここに持ち込まれるのか。
 そして、どんな子が来るのだろう。何だか僕も緊張感が湧(わ)いて来た。
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          二月二十日(月曜日)晴れ(花粉飛散予報:少ない)
 けさ(乳児より先に)プリンターが届いた。どうにも調整が付かず、諦(あきら)めて新品を注文していたのである。だが、昼前にT君の運転で娘Kと孫kが着く筈(はず)なので、当面そちらは放置し、初対面の今を楽しもう。
 登場した孫娘は、兎(と)にも角(かく)にもチッチャかった。手足が蠢(うごめ)き、おちょぼ口で百面相。細く小さな指の先に、更に小さな爪(つめ)が一つ一つ丁寧(ていねい)に付いている。頼り無いチッポケな命が、穏やかに確かに生きている。僕の二番目mの第二子は大きな新生児だったから、尚更(なおさら)この子が頼(たよ)り無気(なげ)に感じられる。
 伜(せがれ)のmが(姉から知らされて)仕事帰りに来た。T家からの差し入れの酒で楽しい宴(うたげ)。姪(めい)を抱く手付きは、堂に入ったものだ。序(ついで)に、プリンターを設置してくれた。妻は明晩に迫ったHMピアノ・コンサートの券(チケット)を譲ったが、(むすこが早速(さっそく)スマホで調べると、)関係者のコロナ感染で公演は中止となった。
 よくぞ娘が一人で産んだこと、伜の子らは安産で良かったこと、これで末っ子が居たら勢揃(せいぞろ)いだが、、、と僕は盃(さかずき)を片手に口説(くど)いたかも知(し)れない。末娘Yは(姉Kの里帰りを手伝いがてら)遠方から帰省しようと申し出たのを、新型コロナ・ウイルスを恐れて僕が断ったのである。一人暮らしの家族には酷(むご)い判断だった。
 実家の晩餐(ばんさん)を楽しんだ後、別に一家を構えた子は、小雪の舞う中を帰って行った。母と姉が見送った。          (日記より)
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   反歌 その一               H夕闇
久々にジージとバーバの待ち合わせ。孫の産着(うぶぎ)のNM屋

   反歌 その二               H夕闇
 恐らく君は知るまい、
君が産まれた頃、この国はパンデミックの渦中(かちゅう)に有った事実     を。
病院のクラスター対策として入院患者全員が面会謝絶、                    父も祖父母も永く君に会えなかった事実を。
 たぶん君は知らないだろう、
君を産むまでに、どんな艱難(かんなん)辛苦が君の両親を見舞(みま)ったかを。
君が生を受けるまで、君の母が一体(いったい)どれ程の孤独と不安に耐えたかを。
 そこで君に知って欲(ほ)しい、
この世に君が生(お)い立つのを皆が待ち望んだこと、
喜んで家族に迎え入れたことも。
 それら一切(いっさい)を理解できる年頃に宛(あ)てて、この日記を僕は書き残して置くのだけれど、
果たして役立つか。
もし君の生きる支えとして役に立ち得るのならば、祖父として大変に幸(さいわ)いだ。
 残念ながら、君の前途には幸(さち)ばかりが待つ訳ではあるまい。
人生に望みを失い、挫(くじ)けそうになったら、是非これらの事実を噛(か)み締(し)めて欲(ほ)しい。
そうして、そこから力を汲(く)み取り、いつも何度でも立ち上がって欲しい。
 僕らは皆その姿を見守っている。
後に遠く振り返ると、人生、そんなに捨てた物じゃない。
「ああ、生きて来て良かった。」と自(みずか)ら寿(ことほ)ぐ日も時に有る。
実際、こうして僕は君に出会えた。

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