齢と孫子(続き)

   日記より28-3「齢と孫子」 (続き)        H夕闇
                 四月十四日(日曜日)晴れ                                                                                      

 人にも依(よ)るのだろうし、深い浅いの差(感受性の度合い)も有るかも知(し)れないが、巧(たく)まずして訪れる転機が有り難い。齢(よわい)を重ねることは(「加齢」の語感に反して)必ずしも嘆くべきこととは限らない。

 体力だって、僕は(今の所(ところ))日常生活に支障が無く、彼岸には十キロ先の墓へ参るにも自転車で走る。散歩ついでに、公園で腹筋運動を五十回やれる。敢(あ)えて不都合(ふつごう)を言うなら、手の指に脂(あぶら)っ気(け)が無くなって、本や新聞の頁(ページ)を繰(く)るのに苦労する程度だ。

 記憶力が弱いのには甚(はなは)だ閉口するが、これは子供の頃からで、何も今になって認知症を患(わずら)った訳ではない(筈(はず)だ)。今後もし患っても、他の老人たちより遥かに有利であろう。と言うのも、僕は既に小学生の時点で物覚えの悪さを自覚し、これに対処する方法を考え出して身に付けて来たからである。頭の中に知識のネット・ワークを築いて、全体を理論的に会得(えとく)するのである。

 例えば、僕は山程も有る算数の公式を一々丸ごと暗記するのが出来ないから、三角形の面積を求める場合い、頂点から垂線を下ろし、出来た二つの直角三角形と(頂点を通り、底辺に平行な補助線を引いて、)点対称な二つの(合計で四っつの)直角三角形を描き、全体の長方形の面積を求めた上で、それを半分にした。結果「底辺×高さ÷2」の公式が出来上がる。即ち、僕は体系化に依(よ)って記憶を代替えした(又は体系で記憶した)のである。この手法では考えるのに時間が掛(か)かるが、原理を理解して考え方が納得(なっとく)できているから、忘れることは決して無い。

 因(ちな)みに、後々僕はヘーゲルの本で「知性とは、個々バラバラの知見ではなく、(それらは必要な時に本やコンピューターで調べれば済(す)む事柄であって、)それらを繋(つな)ぎ合わせ纏(まと)め上げて統一する体系知である。」という一文に触れて、震撼(しんかん)した。記憶力の弱い僕が、学校で暗記を強要されて困り果て(暗唱の代わりに)小学校以来やって来たのは、これだったのかと。だから僕は子供の癖(くせ)に理屈っぽく、長じて話しが回り諄(くど)く、考えるにも人の倍も時を要したのだと。その記念すべき本は、多分「精神現象学」だったと思うが、現物が今は本棚に無くて、確認できない。以来、僕はヘーゲル先生の御蔭(おかげ)で密(ひそ)かに自信を抱き、よくよく考えることが好きになった次第(しだい)である。閑話休題。

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 人は年齢を積むに従って(経験の層を重ねると共に)感性が自(おの)ずと深化する恩恵に浴する。そして又もう一つ、向こうから自然やって来て(期せずして)深く教えられる契機が有る。子を持ち孫が出来ることである。少なくとも、僕の場合い、子に子が産まれ、孫の行く末をハラハラして案じる時、初めて人情の機微が分かった気がする。同時に、己(おの)が身にも少しばかり人の情が備わったように感じる。そのことでパッと光りが差し、世界が明かるく開け印象だ。

 山に谺(こだま)する砧(きぬた)の音色も今は漸(ようや)く聞き分けられる。古来この国の女たちは、秋が訪れるに付け、孫子の寒さを察して、重ね着を用意した。幼子が貧しい着物で震える辛さを我が身に感じて、機(はた)を織り、砧を打った。かの女(じょ)たちの切ない思いが、僕も今では身に染みる。雨風の朝は自転車通勤する伜(せがれ)を思い、孫が通学で濡(ぬ)れぬかと気に懸(か)かる。同時に、妻の心の内も(黙っていても)知れて来る。是則(これのり)氏の歌った山間の寒気に雅経(まさつね)さんが砧の音を重ねた抒情が、やっと味わえた。秋の吉野を旅した時、かれにも子や孫が居(い)たのではないだろうか。

 ここで未熟者の僕が「開眼」などと云(い)ったら、人に笑われるだろうか。換言すれば、自身が今まで見逃して来たであろう多くの事々を省(かえり)み、(今更ながら、)慚愧(ざんき)の念(ねん)に堪(た)えない。

  遭(あ)ひ見ての後の心に比ぶれば昔は物を思はざりけり
              藤原敦忠(あつただ)(後拾遺集・百人一首)

以下は、長女へ今年の誕生日に送ったEメールである。(一部編集)

前略  誕生日おめでとう。夫を持ち、子も出来た、仕合(しあ)わせな人生を、祝福したい。永く生きて来れば、小さな諸々(もろもろ)も多分あったのだろうけど、それは(生きていれば)仕方ないことで、それらを丸ごと水に流してしまえる程、今は恵まれた暮らしができていることを、共に祝いたい。

 知っての通り、不遇な状況にある親子だって世の中には大勢いる。成長過程にある子供が生活環境に恵まれないと、(現時点で不幸なだけでなく、)それが将来へ大きく深い悪影響を及ぼすだろう。後々まで永く災難が続くことになる。それを考えると、とても気の毒だ。(中略)

 孫が何故かわいいか、以前は全然わからなかった。孫の手を引いて嬉しそうにしている年寄りの姿を馬鹿(ばか)馬鹿しく感じ、内心チョッと軽蔑さえ感じていた程だ。それが最近ツクヅク分かる。己(おのれ)の不明を恥じる。

 孫の顔つきや仕草が、その親(つまり自分の子に)似ているからだ。目の前の幼い孫を見ていると、子育てした頃の忙しい(幸せな)記憶が鮮(あざ)やかに蘇(よみがえ)り、悲しいほど懐かしく思い出されるからだ。育てる過程では右往左往して困り果てたり、不本意なことも多々あったり、子が長じては親の思い通りにならぬ場合いが多くとも、子の幼少期の面影(おもかげ)が孫の姿から思い出されて、切ないくらい愛(いと)しく感じられる。孫を通して子が帰って来る。

 今その感覚を踏まえて初めて見えて来た物がある。人間について、窓が開いた印象だ。(中略)
 
 それにつけても、この世界には恵まれない子供たちが沢山(たくさん)いる。それを思うと、僕の孫たちには是非とも幸せに育ってほしい、と切実に願う。又、それには、その両親が幸せでなければならない。家族が皆々幸福であってほしい。  草々                (日記より)                                    

 

  遊びをせんとや産(う)まれけむ 戯(たはぶ)れせんとや産(む)まれけむ
  遊ぶ子どもの声聞けば 我が身さへこそ揺るがるれ
                  (梁塵秘抄(りょうじんひしょう))

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