安産祈願

     日記26-13「安産祈願」          H夕闇
               九月十六日(金曜日)曇り
 きょうは散髪に行った。半年ぶりか、もしや前回は一年ばかり前だったような気もする。滅多(めった)に来店せず、偶(たま)に来ても「短く」と注文するような客は、床屋の側からしたら、上客とは言えまい。短く刈った髪は再度むさ苦しい程に伸びるまで時を要し、従って御来店の頻度が少なくなる勘定(かんじょう)だ。
 以前「床屋さん」と言ったら、「美容室でしょ。」と女主人らしい人から窘(たしな)められた。いかにも、そこはヘア・サロンと銘(めい)を打っている。美容院などへ出入りするのは気恥ずかしいが、(昼の時間帯だけ)お値段が庶民的なのである。床屋と違って、鬚(ひげ)を剃(そ)らず、洗髪も無しの「カットのみ」なら、お安いのは合理的である。昔の理髪店では肩を敲(たた)き、耳まで掃除(そうじ)してくれたものだが、そういうのは近頃はやらないらしい。
 顧(かえり)みれば、ここへは意外と永く通っている。開店して間も無くからだから、四五年になるだろうか。(一年に一度や二度で「通う」も断然おこがましいが。)少なくとも三年以上になることは、確実である。というのも、長女の結婚式が三年前の秋で、そのことを本日と同じ美容師に髪を切ってもらい乍(なが)ら話したことを、僕は確かに記憶しているのである。
 待ち時間に(手持ちの「池上彰(あきら)が聞いてわかった生命のしくみ/東工大で生命科学を学ぶ」に目を落としつつも)店内の様子を観察すると、散髪や美容の間、客と美容師で四方山話(よもやまばな)しに花が咲く席と、そうでない席が有る。又、一人が終わって別の客に入れ替わった場合い、先刻まで賑やかだった席が(席と美容師は同じなのに)会話が弾むとは限らない。只、美容師が無口だと、客は交代しても一般に静かなようだ。
 話したくなかったら黙っていることは、或(ある)いは顧客たる者の固有の権利なのかも知(し)れない。だが、商売人にだって人権は有ろう。こちらが居丈高(いたけだか)にだんまりを通してフン反り返っていたら、きっと先方も気詰(きづ)まりに違い無い。年季を重ねる内には、気まずい沈黙にも慣れてしまうものなのだろうか。僕なら、とても耐(た)えられまい。実際、床屋や美容師は、話題を見付けることに苦労しない人が一般に多いようだ。調髪の技術よりも、そっちの方の能力が実用的かも知れない。
 僕に限って言うと、こんなに間近に(顔と顔が付く程の身近に)人が居るのに、互いに無言で通すことには、苦痛を感じる質(たち)である。だから、「どの位(くらい)の長さに切りますか。」「短く刈って下さい。」で終わらずに、「お客さん、癖(くせ)っ毛(け)ですねえ。」「うん、それが嫌でね。グルングルンしている根本から、短く切って下さい。」「私なんかは只々真っ直ぐで、自然にウエーブした髪の人が、子供の頃から羨(うらや)ましかったですよ。お互い、人間は無い物ねだりですねえ。」なんて美容室から見える人間観など披露してもらえたら、幸いである。例の美容師からは、以前そんな教示を頂(いただ)いて、職業上の知恵に感心したことが有る。
 僕なども仕事の都合(つごう)から軽口を身に付けたが、実の所は口が重いのが本性で、こちらが黙っていても向こうからペチェクチャやってくれる方が気が楽で、大変に助かる。
 尤(もっと)も、人の陰口を意地悪く捲(ま)くし立(た)てられるのは、聞くだに閉口だ。所(ところ)が、噂(うわさ)話しが(それも人の不運に関する話題が)好きで溜(た)まらない、というのも人間の真実らしい。「他人の不幸は蜜(みつ)の味」とは、確かに言い得て妙だ。人間の端くれとして、慙愧(ざんき)の念に堪(た)えない所(ところ)だ。
 その点、この美容師は何かと世間話しで間を持たせてくれ乍ら、決して悪口雑言(あっこうぞうごん)には近付かないし、そもそも余り口数が多い訳でもない。時折りポツリポツリと口を開く程度である。節操を弁(わきま)える、なんてのは、このインター・ネットと匿名中傷の卑怯(ひきょう)な時代に、稀少価値かも知れない。

 さて、きょうは僕の方からチョイと話し掛(か)けた。これは或(ある)いは例外的なケースだろう。
 というのが、前回も同じ人に髪を切ってもらったのだ。前回と言うのは、半年か一年前という意味ではない。三年前を指す。(多分その間にも何度かは刈ってもらった筈(はず)だが、)三年前の結婚式直前にも、同じ美容師に当たったことを思い出した。多くの客の頭を扱う先方は、そんなこと一々覚えておるまいが、僕は勝手に一人で感慨を抱き、娘が嫁(とつ)ぐに関する諸々(もろもろ)に就(つ)いて問われたり語ったりした事実を、確かに覚えている。どんなことを話したか、具体的な内容は忘れたが、きっと浮かれた気分だったのだろう。それで口も本当に軽くなったのだろう。
 今回は安産祈願を控(ひか)えて、身(み)嗜(だしな)みを整えに来た。臨席を求める娘の電話で厳しく注文を受けたし、家の中にも更に一人うるさいのが居るのである。僕はチッとも信心が無いのだが、本人たち夫婦は昨今はやりの御朱印など集めて歩く位(くらい)だから、テッキリその気になってしまった様子。
 後で恨まれても困るから、普段は成(な)り振り構わぬ僕も、身成りを繕(つくろ)い、お付き合いしようとは思う。

 子が子を産む、とは妙な気がする。あんなに幼かった娘なのに。あの幼子を僕の父母に初めて抱かせた時は、やっと親孝行が出来た気がして、少しく鼻が高かったものだ。それから、寝返りを打ち、一人座りが出来、「這(は)えば立て、立てば歩め。」の定石(じょうせき)通り。覚え立(た)ての片言は、僕の耳に大層こそばゆかった。それが今や妊娠し、出産すると言う。有り得ぬ事柄のように、僕には感じられて仕方が無い。そう言えば、自身が父親になった時も、同様だった。時の不思議(ふしぎ)を噛(か)み締(し)める。
 今「生命のしくみ」を読んで、高校で習った生物の授業や大学のセントラル・ドグマの講義を復習しているが、細胞が生きていることの定義は三つ有るそうだ。境界、自己増殖、代謝。
 自分たちのコピーを産み出しつつ有(あ)る娘夫婦は、自己増殖して、確かに生きている訳だ。そして、その娘を産み育てた僕ら夫婦も、確かに生きて、その証(あか)しを残した。

 この日本で誕生する胎児は、それ丈(だけ)でも幸運に恵まれたと云(い)えよう。侵略され破壊される真っ最中の国で出産する母子だって、居るのだから。地雷で子供が手足を失う紛争地域も、この地上には有る。飢えや病いに苦しむ子も居る。平穏無事な少年少女の時代を過ごせるのは、地球上の子供の五人に一人だそうだ。この国では国葬に反対しても居なくなることは無い。曲がりなりにも、民主主義を標榜する国家であるから、一応は安心して良い。その日本でも昔は幼児の死亡率が高く、それで七五三を祝う習慣が産まれたらしい。
 今は受精卵が少しばかり増殖したに過ぎない小さな生命が、細胞分裂を膨大に繰り返し、いつか頭脳に知的な意識が宿って(それを魂と呼ぶのかも知れないが、)物心が付いたら、その孫に語って聞かせたい。おかあさんの腹の中で君がヌクヌク夢を見て育っていた頃(この二十一世紀にも)侵略戦争が有ったことを。それに比べたら、遥かに幸せと巡り合わせて産まれたことを、祝福したい。                  (日記より)

 遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生(む)まれけむ
 遊ぶ子どもの声聞けば わが身さへこそ揺るがるれ  (梁塵秘抄より)

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