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けっきょく『瞑想・マインドフルネス・インナーゲーム』ってなんなのさ?

瞑想・マインドフルネス・インナーゲームは、似ているようで立ち位置が少し異なります。

目の前のことに集中しているのが、マインドフルネスです。
そのための方法が、瞑想です。
なんのためにそんなことするのか、どうしてそれがいいのか、どうしたらそうなれるのか、それがインナーゲームです。


私は、瞑想、マインドフルネス、インナーゲームの書籍を読んだり、色々と実践してきました。
やっぱり分かりやすいのは、インナーゲームだと感じています。


マインドフルネス

瞑想も、インナーゲームも、ゴールはマインドフルネスの状態になることだと思っています。

マインドフルネスとは、目の前のことに集中してしまって、雑念がない状態のこと。

なんで、メンタルを鍛えるのに、マインドフルネスが推奨されているのかというと、メンタルが病むのは自分自身の雑念に、精神がやられるからです。
つまり、考えすぎて疲れちゃう、っていうことです。

上司は私のことをどう思っているのだろうか?
なんで私は、こんな簡単なこともできないのか?
この仕事を失敗したらどうしよう。

こんなことを考え続けていたら、メンタルがおかしくなって当然なのに、私たちは、こうした思考を止めることができません。



『ポジティブ思考はなぜだめなのか?』

メンタルを壊してしまうような考えに対して、一昔前の対策はポジティブシンキングでした。
ネガティブな考えで心を病むなら、ポジティブな明るいことを考えて、心を元気にしようという方法です。

ポジティブ思考で、気分がよくなった方もいらっしゃると思います。
たしかに一時的な効果はある。
ポジティブ思考は、栄養ドリンクのようなものです。

いっときは、気分がよくなるけれど、また気分が悪くなる。
ポジティブ思考の効きが悪くなる。


『じゃあ嫌な気持ちになる思考を止めよう』

ポジティブ思考が、一時的な効果なのは、結局それも思考だからです。
ネガティブだろうと、ポジティブだろうと、いろいろと考えてしまうことには変わりありません。
それが、心を病む原因でもあるんです。

本当のポジティブ思考とは、うだうだ考えないで、やってしまおう。っていうことなんです。ポジティブな人は、
私ってすごいとか、
これなら上手くいくだろうとか、
ずーっと考えているんじゃなくて、そんな風にパッと思って、パッと動いちゃう人なんです。

だから、いろいろ考えてしまう人がポジティブ思考をしたって、ネガティブ思考をしてたときと結果は同じになるわけです。


『雑念を減らす』

マインドフルネスとは、ポジティブ思考とか、ネガティブ思考とか、そういういろいろと考えちゃうことを、全て雑念として、それが自然に減っている状態をいいます。

なので、ポジティブな人と同じように、パッと思って、パッとやっちゃう状態に、そんな風になれたら楽じゃないですか。


瞑想

じゃあ、どうすれば雑念って減らせるの?っていう方法が、瞑想です。
瞑想することで、雑念を減らして、マインドフルネスの状態にする。

瞑想は、雑念を減らす方法です。
マインドフルネスは、雑念が減っている状態です。


『マインドフルネスが広まった理由』

おそらく、マインドフルネスがここ数年で広まった理由は、瞑想はあくまで方法なので、その効果が分かりにくかった。
瞑想は、雑念を減らす方法で、効果とか考えることが雑念なんだから、そんなこと考えずに、『ただやりなさい』という教えが多かったんだと思います。
それを考えていたら瞑想にならないというわけです。
なので、始める理由や、続けられるモチベーションが少なかった。

そこで、瞑想を続けた人が、これは効果があると知って、瞑想の結果得られる状態をマインドフルネスとして説明した。
これなら、瞑想を始める理由も分かるし、やった結果も分かるから、続けやすくもなる。
そんな、ところではないでしょうか。


『なぜ瞑想で雑念が減るのか?』

そもそもなぜ、瞑想で雑念が減るのでしょうか?
これって、皆さん体験していることだと思うんですけど、夢中になっているときには、雑念なんて浮かんでいないんです。

楽しいことをしている時って、気がついたら時間があっという間に過ぎています。
夢中になっているときは、それに注意や意識が集まって、余計なことを考えなくなっています。

瞑想とは、この夢中になる状態を作る方法です。


『夢中になるには?』

瞑想とは、ひとつのことに意識を向けて、雑念はほっとくという方法です。
なので、呼吸とか、炎とか、食事など、ひとつ対象となるものを決めて、それに意識を向け続けるという、やり方で説明されます。

じゃあ、呼吸とか食事とかに意識を向けて、夢中になれるか?っていうと、それは同じようにはいきません。
しかし、それに近づくことはできる。
そして、気がついたら呼吸に夢中になっていた。雑念が減っていた。っていうことなんです。
瞑想は、雑念を減らそうとすることが目的ではなく、瞑想していたら雑念が減っていた、というのが瞑想の本質です。


『瞑想は、練習にしかならない』
瞑想が上手くなると、たしかに雑念が減ってきます。
しかし、瞑想していないときはどうでしょうか?

瞑想とは、普段の練習なんです。
バットを振る練習をしたり、ボールを蹴る練習をしたり、練習することで、上手くなって、本番の試合に臨みます。

しかし、練習で試合に勝てるでしょうか?
練習することも大事ですが、その練習の成果を発揮して、試合を何度もこなすことが必要です。
そうして、上手くなっていきます。

瞑想も、禅僧でないなら、日常生活にいかしてこそ役立つものだと思います。


インナーゲーム

マインドフルネスは、雑念が少なくなっている状態です。
瞑想とは、雑念を少なくする方法です。

インナーゲームは、その瞑想の技法を、日常生活に応用する方法です。


瞑想もマインドフルネスも、方法は教えてくれます。
しかし、どのぐらい一つのことに意識を向けるのか?
どのぐらいの強さで?
どういう心がけで?
瞑想が上手くいっているときって、どういう状態?

瞑想と、マインドフルネスは、こうしたことを教えません。
なぜなら、これらがマインドフルネス状態を邪魔する、雑念だからです。


『ただ座る』

なので、今なら瞑想の、『ただやる』っていう指導が正しいと分かります。
『ただ坐る~生きる自信が湧く 一日15分座禅~ (光文社新書)』という本が出ているぐらいですから、本当は瞑想って、それだけだよねと私も思います。

余計なことを考えないで、ただ座るだけが、瞑想でもあるんです。
雑念を減らそうと瞑想を始めると、雑念が減らないってなりがちです。
雑念を減らすために瞑想を頑張っているなら、それは瞑想ではありません。だったら、余計なこと考えないで、ただ座るだけで雑念が減るなら、それでいい。

瞑想本を読んでいたときは、瞑想のやり方が書いてある本と、坐禅することが瞑想って書いてある本があって、どっちが正しいのか迷いました。
どっちも雑念が減るなら、正しいんですね。


でも、何かをやらないとマインドフルネス状態になれないと思っている人に、ただ座ってと言ったって、それが瞑想だなんて信じられないわけです。


『意識をひとつのことに向けるとは?』

インナーゲームでは、雑念が減っているマインドフルネスの状態を、『リラックスした集中』といいます。
私も、この表現がしっくりきます。

瞑想を学び始めたときは、雑念を減らすんだからと、なにも思考が浮かばないぐらい集中し続けようと、頑張っていました。
論理的に考えれば、ひとつのことに集中し続ければ雑念が減るんだから、他の考えが浮かばないぐらい、集中し続ければいいんだろう、って考えたんです。そして、それが正しいやり方だと思っていたんです。

でも、こんなやり方続けられるわけがありません。疲れますし。

瞑想も、マインドフルネスもそうですが、疲れてしまうなら、やり方を間違えています。
大事なのは、リラックスしていること。
リラックスするように頑張るんじゃないんです。

リラックスとは、ひとつのことに意識を向けるんですけど、頑張らないんです。
それぐらい力を入れずに、意識を向けた状態が、リラックスした集中です。


『疲れるなら上手くいっていない』

マインドフルネスも、瞑想も、インナーゲームも、やってて疲れるなら上手くいっていません。
そして、さらに頑張れば、さらに上手くいかなくなります。
つまり、雑念が増えて、目の前のことに集中できなくなります。

もがくほど、雑念が増えるので、蟻地獄みたいです。

(何度も言いますが)マインドフルネス・瞑想・インナーゲームの全てに共通しますが、疲れるなら上手くいっていない。
これってめちゃくちゃ大事なのに、サラッと書かれているから、この感覚を見逃していると思います。
これだけで、1冊本になるぐらいめちゃくちゃ大事です。
やってて疲れて、雑念も減らないなら、それは苦行ですよ。


悟り

たぶん、瞑想も、マインドフルネスも、インナーゲームも行き着く先は、悟りになるのかな、と思います。
悟りとは、何も雑念がない状態のこと。

しかし私が好きな本で、『なまけ者の3分間瞑想法』ではこのように書かれています。

なにしろ仏陀がおっしゃるには、ぼくらが悟りを得るにはふつう10万マハカルパかかるんだそうだ。だけどその一マハカルパっていうのが、なんと一羽の鳥がくちばしにくわえた絹のスカーフで一年に一回エヴェレストのてっぺんをなでていくとして、山が海面の高さまですり減るのにかかる時間だっていうんだから!

なまけ者の3分間瞑想法  著者:デイヴィッド・ハープ

これを読んだときは、それぐらい努力しないと悟りを得ることはできないと解釈したのですが、今は悟りとはそれぐらい到達し得ないものだから、目指すべきものではない、という例えなんだと思っています。

頑張ることが、リラックスした集中から離れていくので、悟りに到達しようと頑張るほど、悟りには到達し得ないという、仏陀の比喩だったのでしょう。


『なんで、いろいろ書かれた本が出ているのか?』

マインドフルネスとは、論理的な思考ではない世界のように思います。
サラッと書いて理解できる人からすると、複雑に書かれたものは理解できない。
深く考える人からしたら、サラッと書かれたものは、それだけじゃないはずだという思い込みがあるから、複雑に書かれたものじゃないと納得しない。

でも、マインドフルネスとは雑念が減っている『状態』なんだから、その感覚が分からないと、理解しても何の意味もない


だから、実際にやるのが手っ取り早いんだけど、そのマインドフルネスの状態が分からなければ、やってても分かんなくなるから、複雑な世界になっています。

その状態を説明しているのは、インナーゲームが詳しいから、私はインナーゲームがオススメですね。

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