大切な人を亡くしたときに

家族を失って立ち直れないという話を聞くようになった。

よく書いているが、私は8歳の時に母をがんで亡くした。幼い頃から、従姉妹、祖父母、友人など、なぜか人を弔うことが多い。2年前も大切な人を亡くし、その時はさすがに死んでしまおうかと考えた。とはいえ父はまだ存命で、自らの人生を不幸だとは思わない。

死別は人が生きていく上で経験するかなり大きな絶望だ。回数を重ねれば慣れるものでもなく、精神が強くなるわけでもない。でも、悲しみから立ち直る……まではいかないけれど、向き合い方ぐらいはわかってきた。

悲しみに飲み込まれそうな人へ。そしていつか天涯孤独となる自分に向けて書いておこうと思う。その前に自分が死んでるかもしれないけど。

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母の闘病生活は3年ほど続いたので、6歳の頃から「別れ」を意識していた。病状は伏せられていたが、読めない漢字が並ぶカルテのような資料を見つけた時、「余命は長くない」と直感した。母の寝室はいつのまにか花で溢れ、いい匂いがした。

4月の頭、晴れた日に母は息を引き取った。すごく静かに、すうっと消えていった。親戚たちは「劇的だった」と言っていたが、私にはそんな風には見えなかった。きっと違うものを見ていたのだろう。

棺に入った母は色とりどりの花で飾られ、この世のものとは思えないほど冷たく硬かった。火葬場で見た時は、白くて脆そうな骨のくずになっていて「こんなに小さくなってしまうんだ」と驚いた。箸でつまむとパキンと壊れてしまいそうで、あの逞しい母だとは思えなかった。

大人たちは綺麗な言葉が大好きだ。「お母さんは心の中で生きている」とか「お母さんは幼い子供を残して、さぞ辛いでしょう」と言う。全部、ペラペラしていた。なぜそんなことを言うの? 母はもういない。私は辛い。どうあがいても変わらない現実なのだ。

救いだったのは、小学校の同級生だ。葬儀の翌日、悲劇のヒロインになる気満々で学校に行ったら、あまりに普通で拍子抜けしたのを覚えている。授業を受けて、ドッジボールをしたり、エヴァンゲリオンの話をしたり。昨日と同じような時間が流れていた。

クラスメイトと言い争いをしたとき、「母さんの死んだバカ女」と叫ばれたこともあったので、実はみんな"そういう目"で私を見ていたのかもしれない。でも、母が他界した日からその瞬間は来ると予想していたし、喧嘩相手への妥当な一撃だと思ったので、あまりダメージを受けなかった。それよりも毎年小学校で配られる母の日のカーネーションの方がずっと嫌いだった。担任から同情心が透けて見えることもあり、定期的に屈辱感を味わう時間だった。

長い間、母の墓参りを拒んだ。親族みんなが墓石の前に立つとき、娘の私はその場所にいなかった。親戚は「変な子」と不思議がった。

墓石に向かって花を手向け、言葉を投げかける。そんなことをしたら、喪失を実感し、惨めな気持ちになりそうだ。墓参りをしたところで、母は生き返らない。叶わない未来に思いを馳せては、虚しくなるだけ。

弔いが遺された人の心を癒すためにあるのだとしたら、それを放棄したかった。私は死と向き合うことから逃げたのだ。

最近は気まぐれに1人で墓参りに行ったりするので、20年ほどの時間をかけて死を受け入れていったように思う。花は持っていかない。花の香りは嫌いだ。死を彷彿とさせる。薄情にみえるかもしれないが、私なりのやり方だ。

学校中心の日常があって、たくさんの小さな悩みを乗り越えて、いつしか「母の死」は私のものになった。

もう大丈夫だろうと思った矢先に、絶望はやってくる。28ぐらいのときだっただろうか。この時は未来に対する展望が完全に砕かれ、生きていく意味を失った。泣きすぎて、文字通り涙が枯れた。

ただ、その時も日常があった。どん底にいる自分と関係なく、太陽は昇って沈んだ。納期は迫るし、お腹は空く。誰かが結婚したり、炎上したり、悲喜こもごもあって社会は回っている。

なんとなく、小学生の頃を思い出した。クラスメイトは、給食のメニューに一喜一憂して、宿題の多さに文句を言い、サボっては怒られていた。

あの時と同じように、ただ毎日に身を任せることにした。会社に行き、仕事をして、たまにお酒を飲む。死を送る前と何も変わらない日常を過ごす。

ときに「誰もが死ぬんだから」とか「家族を失ってる人なんてごまんといるんだから」と慰めてくる人もいるだろう。そんな言葉に耳は貸さなくていい。「誰もが経験するから仕方がない」というのは、論理としておかしいからだ。死は固有のものであって、何ひとつ同じものなんてない。私が悲しければそれがすべて。誰になんと言われようと悲しむ権利はある。耐えられなければ、自殺したっていいと思う。

もし、生きることを選び、いつまで続くかわからない悲しみを不安に思うのならば、めいっぱい悲しんで、雨宿りのようにやり過ごせばいい。

日常の効力は偉大で、私は今、普通に生活している。しかし、酔っ払うと余計なことを口走るらしい。死別の経験が無意識下でアイデンティティに大きな影響を与えているのだろう。情けない気持ちになる。

悲しむことは悪ではないが、アイデンティティにしたくはない。自分を哀れんで生きるなんてあまりに空虚だ。それに遺された人がそんな風に生きては、死者だって成仏できないだろう。死者を悼むことと、それを自意識の根幹に置くのは違う。もっと別の要素で己を支えたい。切に願う。

何気ない生活は発見を連れてくることもある。

悲しみをいなして暮らしていたころ、「俺、これが好きなんだよね」と本を勧められた。正確に言うと、彼は自分が好きな本を挙げただけで、私も軽い気持ちで読んだ。そこには「生きろ」なんて書いていないし、前向きな言葉は何ひとつなかった。希望などない。でも、純粋にとても美しい文章だった。読書嫌いで「小説を読む意味がわからない」と豪語していた自分にとって新鮮な感情が湧いた。初めて文章の美しさを知ったのだ。

塵のように積もっていく時間は、いつか悲しみを和らげる。3日かもしれないし、20年かかるかもしれない。

でも、日常は誰にでも平等に訪れる。だからきっとあなたも大丈夫だ。

Edit:Haruka Tsuboi

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