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「自分が普通の女子高校生だったら、って思うことはないですか?」との質問に対するセーラーウラヌスの解答の秀逸さ

先日「なぜ『セーラームーン』は、世界中の少女たちの胸を熱く燃やし続けるのか。大人になった今わかったこと」という記事を書いた。その際、原作を改めて読み直し、旧アニメを見返すことにした。あまりに膨大なので、ところどころながら視聴やら倍速で見ていたのだが、途中でかなりヒヤッとするセリフがあった。

セーラーヴィーナス/美少女戦士セーラームーン 完全版(5)

美奈子(セーラーヴィーナス)が、はるか(セーラーウラヌス)に向かってこんなことを言うのだ。

「もっと自分が普通の女子高校生だったら、って思うことはないですか? 普通の幸せが遠くて、淋しくなることはないですか?」

セーラームーンS 11話

思わず耳を疑った。

知っている人も多いが、はるかは原作の設定によると「男でもあり女でもある、どちらの性もどちらの強さも併せ持つ戦士」であり、男子学生用の制服を着こなすキャラクターだ。少し設定が異なるアニメ版では、はるかの身体は完全に女性で、男装の麗人的な存在として登場する。

高校生でありながら、モータースポーツ業界で「若き天才レーサー」として活躍するはるかは、スポーツカーやバイクを乗りこなす。美奈子も初対面では、はるかのことをイケメン男子高校生として捉えており、目を合わせては頬を赤らめていた。

宝塚がモデルになっているとも言われる2人

はるかにはみちる(セーラーネプチューン)という女性のパートナーまでいる。2人は「恋愛関係にある」と明言しないものの、高校生ながら家賃100万円超のタワーマンションで同棲しており、まるで夫婦のように寄り添っている。それは「セーラームーン」視聴時に未就学児であった私から見ても恋愛関係がないわけがなかった。

もっと言うと、単なる恋愛関係以上の深い繋がりがある。そういう風に見えた。たとえ2人が「女子高校生」同士だったとしても。

だからこそ美奈子の質問にはヒヤりとした。はるかに「普通の幸せが遠くて、淋しくなることはないですか?」と聞くのは、かなり際どくないか? 純粋ゆえの暴力の威力、強すぎないか?

確かに旧アニメが放映されたのは90年代で、LGBTQという概念は今と比べられないほど認知されていなかった。に、してもだ。令和の時代に生きる私は、美奈子の発言を前に勝手に気まずい気持ちになってしまった。

***

いやいや、「セーラームーン」がそんな演出を許すわけがない。

ということで、改めてもう一度、この放送回をちゃんと見直した。すると、この質問の意味が全く違っていたことがわかった。

この回は「S戦士をやめたい!美奈子の悩み」というタイトルで、"セーラーV"として、他の戦士よりも長く戦ってきた美奈子にフィーチャーしたアニメオリジナルストーリーだ。

物語は、セーラー戦士の活動を優先するためにバレー部をやめた美奈子が、同じ部活の男子・浅井と久しぶりに再会することから始まる。

浅井はかつて美奈子に対して好意を寄せていたと告白し、それを聞いた美奈子は動揺する。しかし、浅井はその時すでにマネージャーと恋仲になっており、美奈子は2人のキスを目撃してしまう。

マネージャーと浅井による「普通の恋愛」を楽しむ光景を目の当たりにした美奈子は「このままでいいのだろうか」と自分の人生に思い悩む。学業とセーラー戦士の活動で日々追われ、大切な何かを犠牲にしている気がしてしまったのだろう。そんな時に、はるかとばったり遭遇し、先程の質問をする……という流れだった。

この時点で美奈子は、セーラーウラヌスとは仲間になっていない状態で、はるかが自分と同じセーラー戦士であることに気が付いていない(※)。一方で「天才レーサー・天王はるか」として多忙な生活を送っていることは知っている状態だ。

つまり、美奈子の「もっと自分が普通の女子高校生だったら」というのは、「レーサーとして世界から注目を集める存在ではなかったら」であって「同性愛者ではなかったら」「女性の身体なのに男装をしているから」ではない。美奈子はむしろ「多忙な生活のせいで、みちるというパートナーとのプライベートの時間が取れなくて辛くないのですか?」「レーサーとして忙しいのに、どうしてパートナーを作れたんですか?」と聞きたかったのかもしれない。

旧アニメの中では「はるかさんは女だから、私たちとは恋愛関係になれない」というような発言もなされるものの、はるかとみちるとの関係について疑問を呈する人はいない。それどころか、原作で女子たちは「悔しいけどお似合いのカップルよね」と嫉妬と羨望の眼差しを向ける。はるかとみちるの関係は、違和感なく受け入れられているのだ。

はるかもはるかで、自分のジェンダーについて悩む素振りは全く見せない。女の子を口説くような素振りも見せ、黄色い声を浴びることも享受している。だからといって「なぜ自分の身体は女なのだ……」と嘆くこともない。女であって男でもあり、女のパートナーがいるという自分の人生を謳歌しているのだ。

むしろ、「私たちは女の子なのに」とジェンダーに固執したような価値観をもった主人公側に対して、はるかは「男女差なんてカンケーないよな。女だから男に勝てなくて当然って思ってんのか? そんなんで、大切な人を守れるのかな」と言い放ち、セーラー戦士たちを感化させることすらある。

はるかは、旧アニメにおけるセーラーウラヌスの決め台詞「新たな時代に誘われて、セーラーウラヌス華麗に活躍!」を地で行っているのだ。

では、そんなはるかは、美奈子の質問にどう返したのか。

普通の幸せっていうのはちょっとピンとこないけど、ただ僕は、今の自分が普通じゃないとは思ってないぜ。今の自分がいちばん自分らしい、そう思ってるさ。モータースポーツを好きになった天王はるかは、どうあがいたって結局こういう風にしか生きられない。普通の幸せより僕にはもっと大切なことがある……ってことかな

セーラームーンS 11話

はるかは自分のことを「普通じゃないとは思っていない」と前置きしながら、「普通」という枠の中で安息が約束される人生よりも、たとえ険しくても「自分らしく生きる」ことが大切だと答える。それも、語尾にウインクまでしてしまいそうなくらい爽やかに。

美奈子は、はるかの回答に感銘を受け、自分自身の「セーラー戦士としての生き方」を肯定できるようになり、敵に襲われた浅井を救いに行く。彼の目の前でセーラーヴィーナスとして戦い、最後にはマネージャーとの恋にエールまで送る。

***

この回を見た幼女だった私は、きっと「はるかさん、好き」と思い、それ以上の感情は抱かなかったことだろう。そしてこの記憶を遥か遠くに置いて数十年ぶりに同じ映像を見ては「はるかさん、好き」と思う。同じ「好き」という思考に到達するまでの距離は違えど、結局同じところに行き着いていた。

一瞬「え、そんなこと言っちゃう?」と思ってしまった浅はかさが恥ずかしい。また同時に「やっぱりセーラームーンは最高だ」という安堵感にも包まれた。

そして、昨今「マイノリティ」を描く作品を見てモヤモヤしていた気持ちがわかった。はるかは「かわいそうな存在」「ダイバーシティを象徴する存在」としては描かれていないのだ。シンプルにセーラー戦士の一員としてそこにいる。

はるかは問いかける。「男とか女とか、そんなに大切なコト?」と。はるかのジェンダーは物語を通して明言されることはない。どんな性別であれ性的指向であれ「天王はるか」は「天王はるか」なのだ。そんな風に自分らしく生きるはるかを見て「辛いでしょう」「マイノリティだから」という野暮な眼差しは、誰一人とて送らない。

まだ物心つかないぐらいの幼い日に、はるかに出会えたことを嬉しく思う。たとえフィクションの中においてだったとしても、想像力が育まれるからだ。大人になって「セーラームーン」を改めて見返すと、いくつものきらめきを発見できる。


※:セーラー戦士たちは我々視聴者からすると「顔、全然隠せてなくない?」と思うが、あちらの世界では正体を告白しないとバレないという設定

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