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最近、好きなものを好きと言えるようになった

「好きなものをたくさん書いてください」最近とある人からもらった言葉。しかし、「好きなものを堂々と好きと言う」ことが、実は長年こわかった。

よくしゃべる子どもだった

私はもともと、人の話をあまり聞かずマシンガントークをするところがある。その日あった出来事や思ったことを話さずにはいられなくて、子どもの頃は学校から帰宅すると母にひたすらしゃべっていた。あまりに早口で話すから、「友達と話すときはもう少しゆっくり話しなよ」と嗜められたこともしばしば。

ただ、HSP気質からか、学校では言いたいことや思ったことをはっきり言えるタイプではなかった。仲の良い子たちと話すときはのびのび話していたけど。


中学校生活は黒歴史

中学生になり、小学生時代に比べて大人びた同級生や先輩が増えた。スカートを短くしたり、ルーズソックスをはいたり。ちょっとでも1年生がスカートを短くしていると、「お前スカート短いんだけどお」などと言ってくる上級生。はっきり言って思い出すだけでムカムカしてくるし、しょーーーーーーーーもないと思う。

イライラやモヤモヤを腹の内に抱えているのに、はっきりと人に伝えることができない自分の性格もめんどくさくて、嫌だった。

思春期特有の気だるさみたいなものを抱えながらも、友達ができ、新しい環境をそれなりに楽しんでいた。部活は友達に釣られてなぜかハンドボール部に入ってしまう。しばらくすると、部活の中でボスみたいな子を中心に、誰か1人をみんなで無視する、みたいなことが起こりはじめた。

そしてターゲットが少しずつ移り変わり、私が無視される番がやってきた。自分の番になって、ただ無視をする、ということがどれほど人を傷つけるのかを痛感した。

当時私はとにかくデビュー前のジャニーズJr.だった二宮くんが大好きすぎて、毎日頭の中の9割くらい二宮くんが占めていた。友達にもほぼ二宮くんの話しかしていなかったように思う。無視をされるようになって少ししたときに偶然聞いてしまった。

「いつもうるさいんだよね!二宮くんかっこいいよね!って興味ないっつーの」

血の気が引いた。自分が笑い者にされているのを直接耳にして、サーっと体が冷える感覚を初めて味わった。


逃げてもいい

親に学校へ行きたくないと打ち明け、部活の顧問と、担任の先生に何があったのか話すことになった。「お前にもよくないところがあったんじゃないか」みたいな、典型的なテンプレ教師のセリフを言われ、心の扉は重く閉じた。

顧問の先生はヤンキー系の男子に「お前たちの気持ちはわかる」的な態度で元ヤンエピソードを自慢げに話すところがあった。ダサいなと引いていた。ヤンキーの気持ちはわかっても私の気持ちはサッパリわからなかったらしい。

ただ幸いだったのが、本格的に無視されていた期間は1週間ほどで、私が我慢できない性格だったこと。親や幼馴染にヘルプを出したことで、居場所がほかにもできた。我慢して頑張らなくて良かったなと今でも思う。

そして仲違いしたのが主に部活の友人で、その頃たまたま私が生徒会に入ったこと。生徒会に入ったのが前述した顧問に「やってみたらどうだ」と言われたからなのが少し癪だったが、それまで「マジメ」イメージでほとんど交流のなかった人たちと関わるようになった。

博識で勉強熱心、それでいてちょっと腹黒い。うまいことちょっぴり悪いこともしちゃう。生徒会のメンバーはそれまでのイメージと違い、居心地がよかった。顧問の先生も生徒から慕われていた先生で、色眼鏡を通さず生徒の個性を見てくれた。

当時私は書記として生徒会に入ったのだが、初めての議事録をわからないなりに書いたら「よく書けている!初めてだよね?」と先生に褒められたのを今でも覚えている。生徒会に入ったことでずいぶんと救われた。


周りの影響を受けやすすぎる

小学校のときはテストでほとんど100点だったのが、中学生になり成績が真ん中くらいまで下がっていた。部活にはギャルっぽい友達が多く、みんなはもっと成績がよくなかったし、中学校の勉強は難しいなー、そんなもんかー、くらいに思っていた。

それが学年トップの成績の子が多い生徒会メンバーと過ごしたことで、自分の定期テストの点数も学年トップレベルに跳ね上がった。そんなことある…?自分でも心配になるくらい周りの影響を受けやすすぎる。

部活には行かず生徒会室に通い詰めるようになった。中学3年生の頃には推しの二宮くんが嵐としてデビューを飾り、卒業のときに生徒会のメンバーからもらった寄せ書きの中央に「嵐」と書いてあった。


みんな10代…中学時代は嵐に捧げた…ってかこの映像を公式があげてくれてるってどういうこと‥


いびつなエネルギー源

生徒会に入り成績が上がったおかげで、都立の進学校に推薦で合格した。進研ゼミの漫画のような展開だけれど、事実だ。私服で自由で、穏やかな同級生の多い高校生活は楽しかった。中学生の途中から興味が出ていた、吹奏楽部に入り、毎日充実していた。無視されてなかったら成績も上がらずこの高校に入れなかったなーなんて思っていたけど、やっぱりいびつだと思う。

中学生時代は悔しさや見返したい思いをエネルギーにしていたし、学力やテストの点数、偏差値で優位に立つという感覚をなんとなく持ってしまっていた。それと失敗をするのが怖く、安全なチャレンジしかしなくなっていた。就職してから「やりたいこと」をガシガシやっている周りの人たちに圧倒され、苦労した。中学生という多感な時期に不要なストレスを受けたなと今でも思う。


好きなものを好きと言いにくい

私には空気が読めないところがあるのだと思う。本当は、何も気にしないで好きなことをずーっとしゃべっていたい。でも、それじゃ他の人は面白くないんだ。空気が読めないなりになんとかしようとビクビクオドオド過ごす時間が長くあったけど、自分をよく思わない人は自分に関係のない人だよなと近ごろは思うようになった。

中学生の頃に「好きなものを好きと言ったらダメなんだ」と思ってしまったことで、それ以降人に踏み込んだり、自分の好きを素直に表現するのが怖くなった。自分の思うままに表現すると、それを不快に思う人がいるかもしれない。家族など本当に心を許している人にしか、なかなか自分を出せなくなっていた。

自分が何をしたいのか、好きなのか、わかるようでわからない時期が長く続いた。人に対する言いようのない劣等感を抱くこともしばしば。


好きを深掘りすると新しい世界が見える

子どもを産み「好き!」「いやだ!」「これほしいいいいい!!」と全身全霊を使って生きる姿に感化されたのかもしれない。30代も後半にさしかかり、好きなものを好きと言って何が悪いんだ!!と改めて思うのだ。

好きなことをただ書いたnoteを良いと言ってくれる人たちがいたこと。文章術の講座でひたすらNiziUの話を繰り返す講師。好きなことやものを発信していたら、なんだか見える世界が少しずつ変わってきた。ライターの仕事をするようになり、「好き」をどんどん深堀りすると見えてくる景色があるのかもしれないと気づいた。

ちなみに、今はジャニーズ所属、SixTONES(ストーンズ)の京本大我くんに日々の生きがいと癒しをもらっている。彼らが頑張っているから頑張ろうと思える存在がいるのは幸せなことだ。それと、わが子も推し。わが子を推しと思うと、学校行事とか本当楽しいよ!

これからも、好きなものを好きと言っていこう。誰に遠慮することない。自分の人生なんだから。

新曲「僕が僕じゃないみたいだ」のMV。映画「ライアー×ライアー」主題歌。金髪の麗しい方が京本くん。


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