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喪失の日

「ねぇ、これユリの家の近くじゃない? 大丈夫?」

 奈々からそのメッセージが送られてきたのは19時37分。メッセージの前に着信があったが、電車の中だったので無視してインスタを眺めていたところだった。
 さすがに気になる投げかけだったので、奈々とのトークルームを開く。メッセージの前に、動画が一つ送られていた。

 家が燃えている。ニュースが、異様で、しかし確実に見慣れた風景を映していた。奈々の予想は大方正しい。一つだけ間違えていたのは、燃えているのが私の家の近くなのではなく、私のアパートそのものだということだった。

 規制線と野次馬のせいで、近くまで行くのは困難だった。人だかり後方の5〜6人をかき分け、やっと隙間から自分の部屋付近を覗き見る。
 私の部屋。無事ではない。それどころか、近隣の部屋よりも強く炎が燃え盛っているように見える。
 白っぽい煙と時折起こる小さな爆発に伴う風。それらに揺られ明滅する火は、どこか現実離れして美しくさえ見えた。

「お母さん、ナイトとファイブのカードは?」

 その涙ぐんだ幼い声が聞こえた時、私は突如胸ぐらを掴まれたように現実に戻された。私の左斜め前に位置する親子が、必死にパニックをおさえつけるように涙をこらえている。
「大丈夫、大丈夫だから」
 子どもに伝えているのか、自身に言い聞かせているのか、母親の不安そうな涙声は男児を余計不安にさせたようで、彼はとうとう大声で泣き出した。

うわーーーんないどぉぉぉーーー

 その声が、私の中の何かを決壊させた。
 彼が泣き叫びながら列挙する玩具の名前が、私の部屋のものに変換されていく。

幼稚園の頃みぃちゃんが描いてくれた絵
初めて自分で読んだ絵本
小学生の頃の交換日記
7歳の誕生日にもらったビーズのネックレス
お兄ちゃんがくれたキティちゃんのポーチ
ありとあらゆるアルバムや文集
初めて買ったCD
好きなアイドルのサイン付きポスター
小中高の学校祭で着た衣装
中学生の頃愛用していた壊れたウォークマン
初めて付き合った彼がくれたブレスレット
もう何年も着ていないおばあちゃんが買ってくれたコート
たくさんの人とやりとりした手紙
あの日彼が連れていってくれたホテルのアメニティ
一番好きだった人から借りたままのマフラー……

 ゴミ屋敷ではない。私の部屋はひどく整理整頓された、しかし物に溢れた部屋だった。私の部屋の炎が大きいのは、その全てが燃えているからだーー。
 そう気付くのと、身体が意識を失い倒れるのは、ほとんど同時だった。



ーー数年後ーー

「写真、好きなんだね」
 マッチングアプリも悪くない。もう会うのは28人目になるが、やっと好みの容姿、そして性格も悪くないと思える人と出会えた。
「そうですね。でも、写真が好きというより、癖なんです。残しておくのが」
 そう言って私はコーヒーを飲む彼をフレームに収める。少し恥ずかしそうにはにかむ彼。これで上半身は記録できたから、次は全身と後ろ姿を撮らないと。
「癖かぁ。あ、だからいつでも撮影できるように身体にスマホかけてるの?」
 彼は私のスマホについた長いストラップを見てそう言った。まだ写真が好きだと思っているらしい。
「それもあるし、大事なものは失くしたくないじゃないですか」
 アイスティーをすすってそう答える。あれ、このアイスティーは撮ったっけ。
「でも、写真撮るのにそのぬいぐるみは邪魔じゃない?さっきからその熊どかしながら撮ってるじゃん」
 彼が笑いながら指摘したのは、ストラップと一緒に付いているテディベアのキーホルダーだ。
「これも大事なものなので。落とした時にすぐ分かるように防犯ブザーも入ってるんですよ。あとは、SDカードとUSBメモリ」
 そこで初めて彼の表情が曇った。取り繕うには遅いのに、彼は律儀に笑みを作ろうとする。
「何のデータが入ってるの?」
 私はアイスティーを撮りながら答える。
「全てです。今日誰とどこに行ったか。見たもの、行った場所、食べた物、貰った物、その全ての写真と動画です。物自体も大事なんですけど、全ては携帯できないし、私が目を離した隙に失くなってしまうこともあるので。データにしておけば、クラウドやメモリに残っていつでも復元できますから。私、物を捨てれない性格なんですよね」




お題「物を捨てれない性格」by H・Eさん

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