見出し画像

自転車を漕いで、『まち』と『心』に光を灯した話

乗る自由と灯す権利

定禅寺通りで「話」を売り買いした1ヶ月後、寒空の下、自転車を漕いでいた。場所は西公園北側にある桜ヶ丘住宅前の避難広場、定禅寺通りは目の前だ。

Rights,Lights,byRide2023~乗る自由と灯す権利~
SENDAI光のページェントに合わせて、自転車を漕いで、イルミネーションを光らせる。そして、いつか、本家を点灯する。この夢みたいな企画が実現されるまでに多くの人との出会いがあった。
ただの大学生が「まち」と「心」に光を灯すまでの話をしよう。

社会実験との出会い

昨年の9月に行われた青葉通仙台駅前エリア社会実験「MOVE MOVE」に冒険遊び場-せんだい・みやぎネットワークのインターン生として、参加していた。
子どもたちが自由に遊べるよう見守りつつ、ワクワクする空間を自分自身も楽しんでいた。まちの真ん中でこんなに面白いことができるのかと衝撃を受けた。

楽しんでる人

たき火ティーとの出会い

夕方まで子どもたちと遊んで、片付けをしてると隣でたき火が始まった。朝準備している時から気になっていた。友人と飲みに行く予定だったが少し待ってもらい、10分だけたき火にあたった。なんだか時間がゆっくり流れてる様に感じた。隣に座った知らない人と気がついたら、話をしていた。自分なりに居場所作りを考えてた中で、この空間を自分も作りたいと思った。

10分くらいのはずだが今でも覚えてる

自分なりの社会実験

身近なところで試してみようと大学の学生生活課や
先生へたき火がしたいと話してみた。コロナ禍も相まって、誰からも良い解答は得られなかった。だから、たき火は諦めて、とりあえず場を作ることにした。居場所作りをしている人たちが居場所とは言わずに場を作ってると言っていたのが疑問だった。
とにかく大学の真ん中で同じ様な空間を作ろうとした。MOVEMOVEから衝撃を受けた3週間後、ギターを片手に大学で寝転んだ。

お気に入りの画像

火を灯すまでの苦悩

周りに変人扱いされて、笑われながらも1か月居続けた。そしたら、仲間が増えていった。約1か月でのべ100人になった。多い時は昼休みに10人弱が訪れる場所になった。この場所はギターがあるので音が中心だった。一時的ではあるが人の集まる場所と繋がりを作ることが出来た。でも、目標であったたき火をするまではもう少し時間がかかった。

後輩たち

尚絅に火を灯せ!

年度が変わるとコロナ規制が緩和され、たき火ができることになった。意外とあっさりしていて、無理だと言った大人になにか言ってやりたかった。
火が中心になって、自分がいなくても良くなった。
忙しい中で休む場所が出来た。自然と人が集まってきた。

作りたかった空間

太朗に飛び火する

大学じゃなく、まちの中で、誰でも来れる場所で人が集まる場所を作りたいと思ってた。そんな中、青葉の風テラスでたき火をしようと太郎が企画してくれた。大学は違うが同級生で自分と同じくまちづくりの文脈で動いてきた五十嵐太郎となにかしたかった。地下鉄の駅の上で、沢山の学生が集まる場所を作れた。

青葉の風テラス

TEAM YOBOUとの出会い

一年ぶりの社会実験「せんだいCO-LAB.」YOBOU 夜を安全にあそぼう(野営と焚火の対話会)に参加した。「朝までたき火するよ」とたき火ティーの大石さんから聞いて、行くしかないと思った。
後輩のヤマザキカンノスケを誘って、たき火ティーのtシャツを着て、勾当台公園へ向かった。雨が降っていったのでテントを持っていった。1年でただの参加者から運営(お手伝い)側へと変わっていた。
たき火の前で自分の想いを吐き出して、株式会社都市設計の氏家さんに「一緒になにかしたいね」と言われて、握手した。その日出逢った人達と市役所前で朝まで焚き火をした。あの達成感はなんだったんだろう。

市役所前でたき火

足軽隊YUTAKA結成

1ヶ月後、謎のメッセンジャーグループに招待された。発電スレらしい。早急にチーム名を決めることになった。学生は佐々木湧雅、五十嵐太郎、ヤマザキカンノスケの3人だ。LINEグルを作って、「チーム名決めよう」と送った。安直だが「ゆーが、たろう、かんのすけでYUTAKA」と思いついた。カンノスケから「よく動く→フッ軽→足軽隊 」と来た。話し合いせず、合計6通のLINEで足軽隊YUTAKAが結成された笑
絶妙にダサくて、3人の名前が入っているので異論はなかった。フッ軽に豊かさを問うていきたい。

ノリ

偉大なまちづくりの先輩たち

チーム名が決まると物凄いスピードで企画は進んでいった。場所選びから企画書作成、自転車探しまで喧嘩してるのかと思うくらいの勢いだった。自転車を漕ぐまでには多くの工程が必要だった。
今回は非公式ながらも、社会実験をするまでにどれだけの協力が必要なのだろうと思った。

大山さんの夢と大石さんの想い

開催に至るまでの想いや苦悩はこの2つのnoteを読んで欲しい。あくまでも自分は形にするため、動いた。その名の通り足軽隊だった笑

なんとかするのが自分の役割

自分に出来ることは宣伝くらいで、より良い形にするため、走るだけだった。全てのSNSで拡散して、B1サイズのポスターを作った。いつものことながら父親に印刷をお願いした。実家には小さいサイズのツリーしかなかったので前日の夜に電話をかけて、あみぞうさんに貸してもらった。当日には開始直前にテープライトが切れてしまったので近くのドンキまで走った。自分にはそれくらいしかできなかった。

佐々木家クオリティ

そして、まちに光を灯す

ハプニングもあったがなんとか間に合って、時間通りに光が灯った。足をかけて、一漕ぎするとすぐに光った。ここまでの苦労と大山さんの想いを考えるとあっさり過ぎて、なんだか笑えてきた。

最初はもちろん大山さん

クソ寒いけど暖かい差し入れと温かい空間

寒すぎたので「温かい差し入れ待ってます!」とストーリーをあげた。すると、友人が、後輩が、先輩が、小学生以来の旧友が、今まで関わった沢山の人達が温かいものを持って、遊びに来てくれた。寒空の下、全く温かくない「こたつ」と「エアたき火」にあたりながら食べる差し入れは美味しかった。

寒いけど温かい気持ちになるこたつ
エアたき火

光が人を繋いでく

目標人数には届かなかったが多くの人が来てくれた。一人あたりの滞在時間が長かった。話をしたり、ギターを弾いたり、自転車を漕いだりしながら、貴重な時間を共有していた。メディアージの漆田さんがタイムラプスにして、この瞬間を残してくれたので最後まで観て欲しい。なんとなく温かいな気持ちになれるはずだ。

最後に記念撮影

これからは自分たちから巻き込んでいく

無事に「Rights,Lights,byRide2023」は終了した。
企画書の作り方や後援申請などを勉強させてもらった。そして、光のページェント点灯の瞬間に合わせて、自転車を漕がせてもらった。この1年で参加者から運営へ、最後に主催者になることができた。
まちづくりのバトンが僕らにまわってきた。

SENDAI光のページェント実行委員会へ寄付

来年はもっと多くの人を巻き込んでいきたい。
傍観者じゃなくて、作る人を増やしたい。
最後まで読んでくれてありがとう。
今年一番口にした台詞を送ります。
なんか面白いことない?なんかやろうよ!

12/25 河北新報 夕刊


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?