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大原聰一郞が夢見た

講師の紹介

大原聰一郞の孫で今回私が受けた講義の講師大原あかね先生。
大原美術館の理事長として大原美術館の経営をされています。また、祖父の大原聰一郞や大原孫三郎の思想を現代に活かすことを目的に設立された(公財)有隣会の代表理事でもあります。

絵で表現

講義を受ける際、事前に一つ宿題がありました。宿題の内容は高梁川連盟趣意書を読んでおくこと。高梁川連盟趣意書は昭和29年に作成された高梁川流域をどのようにしたいのか、どうすべきかを記したもの。私なりに講義前に読んで講義を受けました。
講義のワークショップの一つが、「趣意書を読んであなたが描く高梁川流域とは」というもの。絵で表現することという条件の下、自分なりに考え絵で表現しました。描いた絵の中には、川を中心とした山々があり川下で競技場内を走る人やサッカーをしてる人。街では、楽しく歌を歌いながら歩いている人を私は書きました。

大原聰一郞になりきって

今の倉敷市があるのは大原家が大きく関わっていたから。美観地区や大原美術館、クラボウ、中央病院や児童養護施設など大原家が関わって築いてきたものはどれも人々にとって重要なものばかりです。
大原家の歴史をつらつらとnoteへ書くのも良いとは思いましが今回は省略します。また別の記事で大原家について自分で勉強したことをまとめようと思います。
大原家の簡単な説明は下記を参考にしていただければと思います。

今回、ワークショップの一つに大原聰一郞を紹介する、または関連することを紹介するワークショップがありました。
私のグループでは大原聰一郞になりきって大原美術館を紹介しました。
大原聰一郞は少年時代から自然が大好きだったそう。
鳥を含めた動物を愛し、美しい自然に心を癒やされていた時期もありました。
父(大原孫三郎)が作った大原美術館。大原美術館の絵に対しても、自然を愛していた大原聰一郞なりの強い絵へのこだわりがありました。
強いこだわりとは、「絵はよい絵でなければ駄目だということ」。
大原聰一郞が思う良い絵とは、自然の中に潜む美の法則を発見し、それを観る人につたえるもの。芸術は万人に接する機会でなければならないそうです。今回の講師である大原あかね先生も「大原美術館の絵が倉敷市民の当たり前になっていたら嬉しい。」と、言っていました。

私が思うこと

倉敷を築いた大原家。大原家は未来を見据えてさまざまなことをやってきました。今、私たちはSDGsという持続可能な開発目標を設定し未来に向けてさまざなな取り組みを実行しようとしている、人によっては実行している段階です。過去から学び、SDGsに取り組んでいきたい。私はそのように思っています。新しいことを実行することも大切。ですが、先人たちがやってきたことをもう少し学び、行動したいと思います。


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