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(小説)シュルレアリスム世界のショートショート その2

吉夢

止まれの白い文字が視線の先に現れ始めて、私は今車道を歩いていることに気が付きました。あたりを見回すと、見覚えのある会社から家までの帰り道です。私は「いつものようにぼーっとしていたのか」と思って、体を動かすことに集中し始めました。しかしいつも帰っている道であるにも関わらず、何か違和感を感じます。なぜか私の足は帰るべき家に向かっていつもより早く動きそうだし、両肩に打ち付けられていたおもり・・・も無くなっています。むしろ今は風船がくくりつけられて体がふわふわとしていて、重心をうまく取ることができません。しかしその状態に嫌悪を感じることは無く、むしろアルコールを摂取したときの高揚と酩酊を何倍にも濃縮したような感覚をこの身に浴びて、どこまでも飛んでいけそうです。かつてこんなに開放感に溢れた気持ちを感じたことはありませんでした。私を縛り付けるすべてのものから独立し、自由を得た気分です。性格も妙に楽観的になって、今なら嫌いな上司に諂わずに、横暴な態度を取れる気がします。今日は急いで家に帰り「さて明日はあいつにこんな仕打ちをしてやるぞ」と、風呂の中で考えようと思いました。しかし困ったことに私はとても腹が減っていたので「とても家まで歩いていけそうにない」とも思いました。そしてこの体の軽さは空腹から来ていることも分かりました。下を見ると、胃や腸の中に何も入っていなかったからです。少し引き返せば帰り道たった一つのコンビニがあります。私は文字通りすっ飛んで行き、あっという間に店に到着しました。店内にはピアスを付けた若い男の店員が一人いました。深夜だったため品数は少なめですが、「腹を満たすには十分な量だ」と思って、棚の食品を片っ端から食べ始めました。本当はお金を払わなければいけないことを理解していましたが、幸運にも店員にバレていないし何より、食品を目の前にして私の食欲を自制することは出来ませんでした。入ってすぐのゼリー飲料、パンやおにぎりの棚、生鮮食品と冷凍食品、清涼飲料とアルコール、お菓子と調味料まで食べ尽くし、コンビニはたちまち蛻の殻となりました。全て食べ終わったあとに店員の方を確認すると、店員は何も無かったかのようにすまし顔をしていて、ポケットに入ったスマホの通知を確認しています。そこで私は「もしかしたら盗人の才をこの身に備えているのかもしれない」と思いました。しかし一方で私の空腹は一向に収まる気配がなく、内臓を確認してもほんの少し入っているのを目視できる程度で、それも今に消化されて無くなってしまいそうです。私は落胆してコンビニを出ると駐車場の縁石に腰を掛け、この問題を解決する手段を考えようとしました。すると斜め右前の方に生の骨付き肉が転がっているのを見つけました。暗くてよく分かりませんが、高そうな包装がされているようです。一瞬汚いと思いましたが、とにかく私は腹が減っていたのでその骨付き肉にかぶりつき、骨も噛み砕き全て飲み込みました。その肉のなんと美味しかったことでしょう!ボーナスで買った和牛なんか比べ物にならないほどのジューシーさで、脂は乗っているが魚の脂のようにさっぱりとしていて、胃に落ちる前に体が吸収しているように感じます。私の体が肉の味を欲しているのが伝わってきます。骨の髄からもえもいわれぬ・・・・・・旨味が溢れてきて、肉をより引き立てています。私はその味に大満足して、もっと周りに落ちていないか探しました。すると更に右奥の方に、人々が集まって何かを取り囲んでいるのを発見しました。群衆を通り抜け彼らの中心にある宝を眼前にし、私は昇天するような興奮を覚えました。先程と同じ包装がされた肉塊があるではありませんか!肉塊を取り囲む群衆はそれぞれ騒然としていたり、泣いていたり、嘔吐したりしています。ですが私はなぜそんな感覚に陥るのか理解できませんでした。この世のものとは思えないほど美味しい肉がこんなにたくさんあるというのに!軽く50kgは超えていそうな赤赤とした肉、ぷるぷるとして新鮮そうなハツやレバー、噛みごたえのありそうな大きい骨。口からこぼれ落ちる涎に蓋をするように、私は肉塊に飛びつきました。鉄分の幸せな匂いに包まれ、欲望に従うまま貪り食っていました。私の体ほどあった肉塊がみるみるうちに小さくなっていき、私は畏怖さえ内包する幸福の中に身を投じていました。「一生この快楽に包まれていたい」と思いましたが、肉が残り僅かになるに連れてその快楽は薄れていくのを感じました。赤赤とした肉は噛み切れない筋張ったゴムのようになり、内臓は放置された生ゴミの臭いを放出し、骨は歯で粉砕するたびに尖り私を内側から切り裂いていきました。完食まであと僅かとなると、かつて湧き上がっていた興奮は消え失せ、取り囲んでいた彼らと同じような不健全な感覚と吐き気に襲われました。体もうまく動かず、紐の絡まった操り人形のように自由が効きません。もはや少し前の体の軽さはどこにもなく、気が付くとおもり・・・も再び肩につながれていました。周りを見渡すと、私は予想外の出来事に目を見張りました。今度は逆に群衆が顔に歓喜の表情を浮かべ、見ず知らずの他人であろう彼ら同士でその興奮を分かち合っているではありませんか!中には泣いている人もいますが、その涙の正体が悲嘆で無いのは見てすぐに分かりました。私は一体何が起こっているのか分かりませんでした。一方で体中の不快感と不自由さは増していくばかりです。肉塊は残り野球ボールほどになり、手に持つこの血生臭いぐにゃぐにゃとした物体に対する嫌悪は最高潮になりました。しかし私にはこの肉を全て食べることが絶対の義務のように感じたので、口から外に押し出そうとするのに必死な喉に無理やり、最後の肉片を突っ込みました。そしてアスファルトに広がったどす黒い血を這いつくばりながら、一滴残さず舌で舐め取りました。そしてついには一人私が倒れ込んでいるだけであり、肉塊は跡形もなくなりました。あいも変わらず周りの人間は狂喜乱舞です。私を囲みながら奇跡を見ているかのような顔をして、何も無い中心に注目しています。それに対して私は折角手に入れた体の軽さも、社会からの開放感も、肉塊も、全てを失いました。嬉々としている群衆と私を比べて、とても惨めな気持ちになりました。私にこのような場所は似合わないと思って、体を引きずりながら群衆を押しのけて帰り道を再び歩き始めました。群衆は驚いて後ずさりするように道を開けました。私は押しのける動作をした時に自分の腕が一つ無くなっていることに気づき、どこかに落ちていないか辺りを見回しました。そうしたら群衆の一人が大事そうに、それでいて汚い物を持つようにしながら、私のところへやってきました。私はそれを取れていない方の腕で受け取って、また歩き始めました。明日も仕事なので、早く帰って十分な休息を取らなければいけませんから。


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