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その時、頭の中でOfficial髭男dismのSubtitleという曲のワンフレーズがリピートしていた。

「正解」が欲しかった。

正解がないものが苦手で

正しいと言って欲しかった。

ずっと「正解」を探していた。

でもそんなものなかったんだ。

ソレは人によって違うんだ、って気付かされた。

誰かにとっては正解でも、誰かにとってはそうではない。

数ヶ月前に話し合いの場で、ある流行りの心理学者が謳う理論上の正論をぶつけられた。

それは私もよく読んでいた本で、知っていたし、理解できた。

でもその時に欲しいのはソレじゃなかった。

答えじゃなかった。

”正しさ”ではなかった。

それよりもその時の私が求めていたのは

ほんのすこしの

”優しさ”

だったんだ。
(この瞬間がタイトルに繋がる)

涙が出た。

悔しかった。

それは目の前の話している人と分かり合えなかったことにではなく

自分が正しいと思っている

自分が楽になりたくて必死に探していた

「正解」

によって私も誰かを傷つけていたのかもしれないと言うことに。

人間関係もコミュニケーションも正直面倒なことが多い。

人は好きだが、人疲れしやすい性格も合わせて持っているので、
今はあえて他者との関わりを減らしている時期だ。

だから、心が乱されることはほとんどない。

たまに他人と関わると、自分だけの心地よさが侵食されて乱される。

でも

でも

もう

そういう“煩わしさ”も含めて

ひとりぼっちで生きていくには

意地もプライドも気力も理由も、なくなってしまった。

年を取れば取るほど弱くなっているような気がする。

平気だと思えないことが増えてきた。

でもそうしてだんだんと人間らしくなっているのかもしれないと思うようになった。

本当は求めていて、でも怖くて遠ざけていて。

そんな”何か”に今、無性に興味をもつ自分がいる。


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