帰省の途

2023.10.10

東海道新幹線新大阪行きの窓際5番A席
車窓から大きく見える東京の街が澱みなくするすると後方へ流れて行く。

つい数日前には灰色のカーテンで締め切られた暗く固い護送車に乗っていた事を思い出すと、人生に鬱屈とした翳りを自らの手で薄い幕のようにかけて見える気がした。

浅はかな快楽に似た自己憐憫を引き連れた懐古とは対照的に規則的に整然と立ち並ぶ四角い東京の街並みはどこまでも理論的で美しかった。
護送車ではカーテンの隙間からわずかに見えるだけの景色を親鳥の帰宅を騒ぎ立てる雛鳥のように必死に追っていた。
それはたった数日の時を経ただけの現在からはにわかに信じがたいほどあっけなくすでに過去であった。
事細かな心象を引き出しきる事はもはや難しかったが悲しみに満ちた日々を忘れきるというのもまた難しいようだった。
瞬く間に景色は移り変わり白い無機質なビル群は数を減らしその隙間の退屈を埋めるように木々の割合が増えてきた。
窓のすぐそばの隣のレールに目をやると、線路の縁石を沿うように生い茂るエノコログサがコトコトと揺れている。
列車の通過の瞬間には引き抜かれんばかりに風に巻かれて激しく伸びて、それが過ぎるとまたコトコトと柔らかい秋の日差しの中で牧歌的に揺れ出すのだった。
隣の席のアベックがお店を広げて食べ始めた牛丼の匂いと心持ち強めに下げ過ぎなのではと思えなくもない前列の背もたれに挟まれて
窓から見える景色や、列車の振動
見える物、聞こえる物、体に感じる全ての物が正しさで満ち溢れてひたすらに美しいに違いないのだ。と言いきかせていた。

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