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凡人の俺が思う、こういう風に考えた方が、人生幸せなんじゃないかって話

さてさて、自分自身が何になりたいか。

すごい人
金持ち
頭が良い人
権力者
社会的地位のある人
管理職
経営者
平均より上の人 
羨ましがられる人
すごいすごい言われる人

などなど 

「何になりたいか」に焦点を当てて生きていると、幸せから遠く離れていくような気がする。

何になりたいかって、そもそも人は人にしかなれないわけで、それ以上でもそれ以下でもない。

人の上に人はいないし、人の下にも人はいない。

何になりたいかってことは結局は他者との比較の中で生じる承認欲求、もしくは自己顕示欲でしかない。

自分が他者よりも優れている、裕福である、という自分の中での勝手な優越感でしかない。

なので、何になりたいか、よりも

どういう生き方をしたいか
自分はどんな人間でありたいか


これを重視した方が、自身の心の持ちようを、自身の幸せを、きちんと自分でコントロールできる。

これができれば、変な人に騙されることもない。

何になりたいか

そんなことよりも、どんな生き方をしたいか、どんな人間でありたいかっていうことに真摯に向き合って、自分の舵は自分で握った方がいい。

「あの人は一流企業に勤めててすごい人だ、、、、」
「あの人は勉強してこなかったから、こんな職業にしかつけないんだ、、、」
「俺はすごい仕事をしているから、あの人より裕福だ、、あの人よりもすごい、、、」

自分の生き方の舵を自分でとれている人はこんな考え方はしない。

どんな人でも、どんな職業でも、社会の大切な一員であり、社会を成り立たせている大切な人材だ。上も下もない。
そして、それぞれに自身が主役である人生がある。

何になりたいか、ばかり考えていると、本当に大切なことを、忘れてしまう。そして、知らず知らずに見逃してしまう。


得体のしれない何かと自分自身を勝手に比較して、勝手に不幸せになってしまう。

かくいう自分も以前は悪い例のような人間になりかけていた。

自分が一番「なりたくないもの」になろうとしていた。

でも「どんな生き方をしたいか」、「どんな人間でありたいか」、そして、「社会とはなんぞや?」ということに気づいたときに、汚い沼から抜け出すことができた。

俺はアホなのでいつも遠回りばかりだ。

でも、そのおかげで、違う景色も見ることができた。

小さな光に感謝することができるようになった。

どうかこのnoteを読んでくれた方々が幸せでありますように!


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