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大和郡山市旧遊廓「東岡町」の惨状に思うこと

東岡町の現在

 奈良県大和郡山市の二つの遊廓、洞泉寺遊廓と岡町遊廓を研究し始めて4年目めになるが、まだ聞き取り調査が不十分である。特に岡町は、様々な大人の理由でどこから手をつけたら良いのかも、まったくわからないままだ。
 そうこうしているうちに、いまの行政区分でいう「東岡町」はかつての遊廓建造物がどんどん解体され、集合住宅が立ち並び新しい町に生まれ変わりつつある。この流れはどうしようも無いと自分に言い聞かせてはいるのだが、先日久しぶりに訪れて驚いた。
 かつて「料理旅館京富」があった広大な敷地はまだ空き地のままだが、その西側の三階建遊廓建造物が、以前にも増してひどい状態なのだ。

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↑ 2019年撮影、左は解体された「料理旅館京富」の跡地、右側は現在も残る三階建遊郭建造物、この建物が現在ひどいことになっている

知りたい側のエゴで暴走していないか

 「ヒドイ」というのは建物が崩壊寸前であると言うことと、もう一点。何者かが窓を割り、防犯用の格子も破壊し侵入していることだ。通りから部屋の中は丸見えになっている。以前から不法侵入がひどいのはみんな知っていた。YouTubeやインスタ、Twitterなどでその映像が公開されていたからだ。危険だと言うことで、市が入口扉をバリケードで固め、立ち入り禁止の注意書きもあった。しかしそんなのを嘲笑うかのように、あちらこちらの窓という窓が破られているのだ。

 これはおそらく他地域の遊廓建造物でも起こっている問題だと思う。遊廓という「特殊な空間」への興味から、好奇心から、そしてYouTubeなどのフォロワー獲得の目的から、こう言った「知りたい側」のエゴが暴走する。
 こんなのは最近話題になっている「問題ある撮り鉄」の行動と同じではないか?

 空き家になってしまっているから、誰も見ていないから、だから何をしても良いというわけではなく、これは明らかに不法侵入であり犯罪だ。この行為にはここを生きた人に、今の町民に、この土地に、この建物に、リスペクトがない
 わたしたちが日々何気なく目にするSNSで、そういった犯罪行為によって撮影された映像や画像を「イイね」することは、次の不法侵入につながってしまうことを、知っておいた方がいい。

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↑ 郡山は芸妓の質が高いと評判になっていた頃の新聞記事『ふるさとの想い出写真集「大和郡山」』国書刊行会より

華やかだった岡町遊廓

 岡町遊廓についてはまだ調査中の段階だが、ひとつだけ知っておいてもらいたいことがある。あの地は売春防止法施行以降も、近年まで違法な性売買が行われていた場所である。暴力団関係の抗争も絶えず治安が悪い時期があったため、その頃を知る人々は「東岡町」というとアンダーグラウンドのようなイメージを抱く。しかし、そのイメージは戦後、売春防止法以降に顕著になったものであって、明治中期〜大正時代の岡町は大阪や奈良の芸妓街にも負けないほどの、素晴らしい芸妓がいた花街だったのだ。あの三階建の遊廓建造物も、時代的に見てその風情を引き継いだものだと思われる。そう言う素晴らしい文化を生んだ場所が、このように破壊され、踏み躙られることに、私は腹立たしい気持ちでいっぱいだ。
 その町を大切に思うこと、その場所を生きた人をリスペクトする心情は、知ることによって得られるものだと思う。それが一番早道で、効果があるのではないかと思う。だから私は近いうちに、華やかかりし岡町遊廓のことをきちんとまとめたいと思う。今わかっている範囲で、次に繋げるために、私にできることを。

身勝手な好奇心を正当化しない

 最後に芹澤知広が『異文化の学びかた・描きかた』(世界思想社2001)の中に書いた一文を紹介する。私自身がこれから行う聞き取り調査では、この言葉を胸に刻んで挑みたい。

(中略)今日、あからさまに自身の性行動について語ることを好むようになった時代を反映しているのかもしれないが、性行動に関わるゴシップがマスメディアにあふれている。「からゆきさん」について調べて書くことも、ひとつ間違えば一般男性向けの商品を市場に提供することで終わるおそれもある。自身や社会の求めるものに単に迎合することで身勝手な好奇心を正当化することを、私たちは慎む必要がある。


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