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洞泉寺遊廓 旧川本楼#03 登楼遊客と娼妓の勤務実態について

1.遊客名簿について

 奈良県大和郡山市洞泉寺町にある、旧遊廓川本楼に残されている帳簿のうち、遊廓に登楼する客の名簿を「遊客名簿」といいます。ヘッダ部に掲載している写真は、川本楼にあった「遊客名簿」で、現在展示されているものです。未記入の帳簿であるため、町家物語館としてオープンされた当初から展示されていると言うことです。この写真をパッと見ると、まず昭和のモノだと言うことが分かります。しかし、いつ頃のものなのかハッキリしません。ただ、同じ洞泉寺遊廓の松月楼、昭和15年の遊客名簿の表紙とは異なるため、印刷様式から言っても、それよりも後のものかと思われます(※ちなみに戦後は遊廓ではなくなるため、警察署に提出するための遊客名簿は存在しないはずですが、組合の慣例で続けていた可能性は否定できません。今後の課題とします)。
 また、大正時代はこれとは書式が違っており、一冊あたり約1000人分の記録があるそうです。それが大和郡山市に10冊近く保存されていると聞き、すごい人数のデータが残されていることに驚きます。

山川均「又春廓川本楼、娼妓「奴」について」『女性史学29号』2019年10月1日号より

 さて、気になるのはこの遊客名簿には具体的に何が書かれているのか?ですが、図1のような内容になっています。項目のみを以下に挙げます。
・通し番号
・登楼日時、出発日時(何時から何時)
・遊客の住所(番地まで)
・遊客の職業
・遊客の名前
・遊客の年齢
・客の外見的特徴
 背(高い、低い)、顔(丸い、長いなど)、色(白い、黒いなど)、頭(黒い、無、短い)、その他に鼻など。

 そして下段には敵娼(あいかた)と言って、客の相手をした娼妓名と花代(売上金)が書かれているそうです(娼妓の名前は店での通称で本名は使われず、現在のスナックやキャバクラの源氏名と同じです)。

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↑ 写真1 旧川本楼の帳場 客はこの窓口で自分の氏名などを番頭に伝える


2.遊客名簿からわかること

 では、この遊客名簿からわかるのは、どういったことでしょうか。今回も2020年に市文化財担当職員が講演で使われた資料(図1)をもとに、紹介します。

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↑(図2)川本楼の客層の統計データ 『旧川本楼(町家物語館)の概要』(大和郡山市都市計画課2020)より

 図2のように「遊客がどこから多く来ているのか」や「その職業や年齢層」を知ることによって、洞泉寺遊廓や川本楼の客層が明らかになります。地元の人々に聞くと「洞泉寺遊廓は上品で高級だった」と言われる方が多いですが、上の遊客名簿の客層を見る限り、主に20代の職工や商人と言った一般的な層が多いことがわかります。奈良県内だけでなく大阪からの数字が高くなっているのは、郡山が昔から交通の要衝として栄えた場所であり、仕事で出張の折立ち寄った遊客も多かったのではと思われます。こう言った特色を掴むことは地域性を知る上でとても重要です。

 現在、京都の橋本遊廓に残されていた「遊客名簿」が某大学で解析されているようですが、これら地域の遊廓の客層と、洞泉寺の客層の比較ができれば、面白い資料になりますね。

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↑ 写真2 展示されている花代の料金表、紋日とは正月などのお祝いの日を指す


3.娼妓の勤務実態を知る

そして、遊客名簿からわかることはもう一つあります。川本楼で働く娼妓の勤務状況です。娼妓が1ヶ月に何日働いたのか、1日何時間働き、何人の客を取っていたのか、どれくらい稼いでいたのか、どう言う馴染み客がいたのか、そして誰が一番稼いでいたのか、など様々な娼妓の実態がわかるため大変重要なモノなのです。

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↑(図3)川本楼娼妓の勤務実態統計データ 『旧川本楼(町家物語館)の概要』(大和郡山市都市計画課2020)より


 上記の表は稼ぎ高順に並べた、娼妓のデータです。よく見ると1位の静香は稼働日数が少ない割に稼ぎが大きいですね。川本楼では、娼妓の時間給(花代)に差異がないため、娼妓がランク付けされていないことがわかっているそうです。そのため、静香のように効率よく働くには「馴染み客」を如何に多く持っているかが重要になります。馴染み客は、お気に入りの娼妓の元に長時間居続ける傾向があるため、泊まりが多くなります。そうなると、1日何人もの客を相手するよりも、身体は楽で売り上げが高くなるのです。

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↑写真3  旧川本楼帳場内側、ここに番頭(主に女将か)が座り帳簿をつけていた


4.娼妓にランク別の料金設定があったのか

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↑写真4 三階の廊下 左側に娼妓の部屋が並ぶ

 余談ですが、町家物語館のガイドをしているシルバー人材のスタッフが「三階東側の4.5畳の部屋が明るく広いため一番いい部屋で、川本楼の売り上げナンバーワンが居た、その娼妓の花代は高かった」などの説明をしている時がありますが、全て想像の作り話です。実際は先程紹介したように、娼妓によっての花代の差異が無いことがわかっているため、花代が高額だった娼妓は存在しないとのことです。そして、この部屋が一番いい部屋であるかどうかも、現在の手元の資料ではわかりません。
 裏付けのないあやふやなことをガイドをされる際には、「あくまでも想像ですが‥」とか「もしかしたらそうかもしれません」と言う説明程度にしておいてもらえたらなぁと思います。(※なぜ作り話が問題なのかは、私見として後日説明したいと思います)

4.地方や時代によって異なる遊客名簿の書式

 さて、この遊客名簿は日本全国どの遊廓にも存在しますが、地方によってその書式や雛形が違っているそうです。たとえば旧川本楼のある洞泉寺遊廓では「又春廓(ゆうしゅんかく)」という組合があり、この組合に加入しているお店では、揃いの書式が使われていました。洞泉寺遊廓内では、川本楼のほかに同時期に営業していた豊田楼や松月楼の遊客名簿が散逸し、そのいくつかが研究者の手元に渡っていることが判明しており、それらの書式が川本楼のものと同一のものだということです。多くあったはずの洞泉寺遊廓の資料がこのように散逸してしまったというのは本当に残念です。


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※今現在、川本楼(町家物語館)に常駐しているのはシルバー人材センターの方達です。この方達は正規の学芸員、市の職員ではない人たちで、悪気なくイメージ先行の裏付けのないガイドをしており、歴史学に基づいた説明がなされていないため、多くの問題が指摘されています。現地での説明と相違があるのはこのためです。

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