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衣服の不思議

中学生から服には興味を持っていた。理由はモテたかったから。「ELO」というファッション雑誌を買って日夜ワックスを髪につけ、イカすヘアーを考えていた。

大学に進学すると、毎日の服装は私服になる。ここから知識も広がったように感じる。ましてや舞台は鳥取から関西へ。心斎橋は宝の山だった。学校終わりにウィンドウショッピングばかりしていた気がする。

大学後半には「ブランドの服」というものを知った。もちろんお金はないから、オークションや古着で掘り出し物を見つけてオシャレを楽しんでいた。

社会人なるともう大変。生活費以外のお金は全て衣服に消える。クレジットカードを持ったのをこの時期だから、切りに切りまくった、ゾロぐらい。こんな服との関係を続けていた。

今になっても変わらないのは、気付けた同じものを集めている、気づけた春秋シーズンの服ばかり集めている。

こんなことない?僕はある、めちゃめちゃある。年を重ねても着たい服って言うのは毎年変わる。

ただ、その中でも横串を一本刺したかのように共通項が表れてくる。そこを買いまくってる。前にnoteで書いた所有欲を満たすだけの買い物の中にももちろん当てはまっている。

そういうものって色や形が似通っていて、例えばノーカラーの短めの丈のジャケットや、同じサイズ感のシャツ、トリプルブラック(真っ黒)のスニーカーなどだ。

想像してほしい。同じ色の、機能も変わらない洗濯機が3つある。これを週に2.3回回すわけだが、どれを選ぼうか。

どれでもいい。

どれでもいいのだ。(2回目)

この洗濯機はおしゃれ着に強いとか強烈に強い個性があれば使い分けるのだが、明確に分けれる材料はない。

話を10足以上持っている真っ黒のスニーカーに話を戻そう。このスニーカーはコンクリートの道を他のスニーカーより2倍速く歩けるとかないのだ。違いは、形とメーカー、だけである。

ではなぜ買ったしまうのか。僕の中にはコレクターがいて、1個物を買うと魅力的な類似商品を調べては買おうと促せてくるのだ。最初の一着目の愛情はもちろんある。けど他のスニーカーもカッコよく見えてくる。しかも今の時代、素晴らしいマーケターの手によって僕の視界には他の魅力的な商品が流れてくる。まんまとはめられている。

タイプが重なったものを買うとどうなるか?平等に身に付けようと考えてしまう。最近服を選んでて思うことは、服に選ばれている感覚になっている。これはよくないなぁと思う。前述の意識があるのに必要以上にお金をかけようとしているから。

だから今、それとは真逆の断捨離について理解を深めている。

不要な物を減らし、生活に調和をもたらそうとする思想のこと

足るを知る

知れるかなぁ、、、

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