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『波よ、攫って』




綺麗。
離れているのに無条件に目を奪われる感覚。私は懐かしさに取り込まれそうになる。
「び…」
美人さんだね、という話の取っ掛りを喉の奥で押し殺した。違う、これじゃ私はなにも変われてない。可愛いという言葉に対して容姿の印象しか見られないようで嫌だと言っていたかつての親友を思い出す。
「はじめまして!優來ちゃんのクラスの担任の橋本馨子、これでかおるこって読むの」
「はい…」
親友の夏奈と違って声は少し低かった。姿勢も話し方も違う。当たり前だった。
「五、六時間目の学活はクラス全体で自己紹介をする予定なの。だから好きな物とハマってることを考えておいて」
「うん…でも」
「大丈夫、皆仲間思いな子達なの。それに先生いじられキャラだからさ、なんかあったら先生に「じゃあ先生はどうですか」とか矛先向けていいし!笑い者になるの得意なんだ」
「矛先って…それは先生が望んでること?」
瞬きで表れた突き刺すような視線に心臓が飛び出そうになった。確かに、言い方に棘があったかもしれない。私は私を卑下する癖があって、夏奈はそれを嫌っていた。
夏奈が言っていた「望んでないなら嫌がりなよ」という言葉を思い出す。鮮明に、親友の隣にいたあの瞬間を。

+

「でも、辛いよ。」
望んでも赦されないんだ。だから馨子_____」

+

先生?と優來ちゃんに話しかけられ、ボールペンをノックしていた手を止める。
「望んでるよ、うん。先生みんなが笑ってるのが嬉しいので」
「そっか。…あの、好きな物は思いつかない。こういうの苦手で。でも、ハマってるというか、海に入るのが好き。泳げないけど海の地平線を見ながら足が冷たくなるのが好き」
ふわっとした表情で話す優來ちゃん。記憶を掻き集めるようにして彼女の面影を感じ取ってしまう。
「え…」
より話を広げて心を開いてもらおう…などと考えていた全てが飛んでしまう。
かさなる。
偶然の重なりであることは分かっている。
夏奈は、海が好きだった。
見るんじゃなくて、“入る”のが好きだった。わざわざ着替えを持って登校し、帰り道海に寄って入る行動は私にとって理解し難かったが夏奈は普通だよ、と言っていた。不必要に深く浸かって海と1つになるは最高だ、と。

+

「望んでても赦されないんだ。だから馨子、ゆるして」

「…私を神様の代わりにしないでよ」

+

違う夏奈と優來ちゃんは違う。私は5秒ほどの沈黙の末に口走る。
「昔、先生の親友が末期癌だった時、同じようなこと言われて…だからビックリしちゃってごめんね。そっか、海かぁ。」
「え…」
今度は優來ちゃんが不思議な顔をする。
「いや…その、そういう心地よい夢をよく見る…ので」
私は上手く言葉が出ない。“心地よい”という響きが、怖い。
予想出来てしまう。だって、やっぱり彼女に異常なほど似ているから。
「あと懐かしくて」
やっぱり、やっぱりそうなんだ。きっと、たぶん。
手に上手く力が入らない。目を閉じて1つ呼吸をした。
「…そう。事故には気をつけて」
私は話を無理やり切って手帳とボールペンを教科書類が入ったケースへ入れて立ち上がる。
「朝の会、はじまるから行こっか」
「あ…」
泣きそうな顔。嫌だ、その顔にはどうしても彼女を見出したくない。でも簡単に見いだせてしまうから辛い。優來ちゃんが私が機嫌を損ねたと思ったようだった。
「先生が立ち直れてないだけだから大丈夫よ!その親友と最期に会った時“ゆるして”って言われたんだけど、それが私の中で残っちゃってて」
何をペラペラと、他人の最期を聞かされる身にもなってみろ。そう頭で唱えつつもどこかで彼女と目の前の子供が重なることに好奇心が抑えられない。いや好奇心というより、贖罪として夏奈と話したいだけなのかもしれない。
ガララと扉を開けると同時に、訴えるような声で後ろから声がする。
「馨子先生、変な話かもしれないけどそれ知ってる。夢で見た」
廊下がしんとしている。私は準備室から出ようと動かした手を戻していく。木の扉がギギギと音を立て閉まる瞬間ガタンと鳴く。
「それは…不思議な話だね」
「許して欲しくなかったんだと思う、その先生の友達は。夢はね心地よくて、でも苦しい感じです。…それは罪悪感だと思う。親友を置いていくっていう」
パンと撃たれたような衝撃と、上手く飲み込めない喉の泥のような感情、分かっていくことがわからない。
「…ねぇ先生、夏奈が死んだって言ったっけ…」
私が泣きそうになりながら声を振り絞ると優來ちゃんは少し驚いた後夏奈がよくしていた鼻の下を触りながら不思議そうに悲しそうに言った。
「なんでだろう…。わかりません。分からないけど私…夏奈さんの生まれ変わりなのかもしれない、です」
たまらなかった。
「うん、そうだね。きっとそうだよ。…っ、夏奈に会いたいよ…」
完全に押しつけでしかない感情、目からぽたぽたと溢れる身勝手なものをみて、優來ちゃんは慌てて小さなポケットティッシュを取りだした。
「大丈夫ですか、辛いですか、ごめんなさい」
心配そうにそれを差し出す優來ちゃんが、また夏奈に重なる。
辛くない?とか馨子楽しい?とか夏奈は私の本当の気持ちを真っ直ぐ探ろうとする子だったから。
「今、は…寂しいかな」
「大丈夫、です。私の中の夏奈さんは今とても幸せそうな気がします。」
優來ちゃんのにっと右の口角が極端に上がる。
“それ”はかつての記憶と全然違う優來ちゃんの動作なのに、目の前には夏奈がいると錯覚する。

今夏奈の言葉を一つ一つ噛み砕いて、若さ故の過ちとも言える嘘を暴いてしまうなら海に浸かるという行為は夏奈にとって「自殺未遂」以外の何物でもなかったんだと思う。それを夏奈は私に赦して欲しがった。
私を自分の神様だと、そう扱っていた。
それはきっと追い詰められて私にすら沢山弱さを隠しながら苦しんで苦しんで生きることを諦めた夏奈にとって最後の望みであり最期への確信だったと思う。
だから夏奈が死んだことを聞かされた時は怒って、追いかけようとした。
私を神様扱いするなら、助けてって言えよ。
葬式の時微笑む冷たい彼女にそう伝えたけれど何も返ってこないのがショックで言葉にならない何かを棺に向かって叫んでいた。
大人になって、たくさんの子供達と出会って思う。もう私達が出会った時には全てが決まっていたのかもしれないって。
私達はボロボロだった。
弱虫な私達には似合わない破滅的な人生。
家にも学校にも居場所という居場所はなかった。虐められているわけでも虐待されているわけでもなく、ただ捨てられたように何もされなかったね。
もう一度会えるなら…。
_____いや、会えていたとしたら私は貴方にもう一度だけ言いたい言葉がある。

「助けてって、言って。じゃないと救えないから…っ。赦してね、なんて押付け酷いよ。願って縋ってよ。私は神様じゃないよ」


+


佐伯優來が死亡したことを知らされたのは転校から2週間経つ前だった。
海での遭難事故だった。

明確な、自殺と断定された。


遺書が発見されたのだ。



家族へ、友達へ、クラスメイトへ、塾の先生へ、部活の先輩や後輩へ、そして担任の馨子先生へ。




「最後に馨子先生へ。先生は優しいです。すごくすごくやさしくて、私は決心がつきました。海で死ぬ夢はとても心地よくて、引きずり込まれそうで怖かった。でも先生の言葉を聞いてなんとなくあーこれが正しいのかなと思ったりしました。多分先生が先生じゃなかったら、私は暴走して誰も許せなくなって世界のことを嫌いになってたくさんの人を悲しませていたと思います。だから、救ってくれてありがとう。先生は優しいです」





頭が真っ白になる、だが青い。海の光景に脳内が釘付けになったのだ。





救ってくれてありがとう。その言葉が救えなかったという私の後悔を包み込む。






だけど、救って自殺を助長したってなんだろう。







吐き気がする。







+






呪われたように海を眺め続けていた。
もしかして、救うことは赦す事じゃないのかもしれない。
そんなことを考えている。
赦せなかったことで、救えなかったことで、夏奈が死んだと思っていた。
優來さんに関しては赦さない事が、救うことだったのかもしれない。
わからない。
正しさ、優しさ、救い、赦し、全てが分からない。

神様、罰を下さい。

私に、私に深い闇のような罰をください。

少し考えることに疲れてしまった。

苦しくて、淡くて、冷たくて、私を突き放すような、そして全てを飲み込むような場所に連れてって神様。

まるで深海みたいな…。



波は小さな光の粒を呑み込んで攫っていく。

優しく、激しく、慎ましく、愚かで美しい。


私もあんな風に____。


「嗚呼」


私は立ち上がり足を搦めとるような波と砂を掻き分けながら“罰”を探す旅に出た。


「あぁ」

ごぷっ、と身体が呑まれる。

潮の匂いが鼻をくすぐっている。

苦しくて、眩しくて。

攫われてしまうような、






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