人生の節目に「データ」を考える

仕事終わりの電車の中で。

なんとなく、今の気持ちを書きたくて。残しておきたくて。ケータイを開きました。
なんとなく、手書きじゃなくて、ケータイに書きたくて。

電子データは、脆い

文字も、自分のものじゃない。自分の字じゃない。読んでいる字も、画面上に映し出された電子?とにかく、薄っぺらい感じがします。一度削除したら一瞬で消えてしまうし、保存していてもデータが壊れたらそこで終わり。データが残っていても、それを見れる機械がないとダメ。
やっぱり本がいい。紙の本が。

でも、電子データにそういう特性があるからこそなのか、僕はこうしてたまに書きたくなります。
別にずっと残らなくても、今のこのふわっとした気持ちを外に出すには合ってる。そう自分で思ったから、今こうして書いているわけで。

終わりは始まり

なんていいます。
終わったのに、終わる感じがしなくて。いや、終わることは頭ではわかっているんですが。
始まるのに、始まる感じがしなくて。既にいろいろ準備しているからなのか。
この、ふわっとした気持ち。

約一年半。僕の人生の中で、たった一瞬の出来事のように感じられます。でも、ものすごく濃い時間でした。一人暮らしで、一人だった一年半。でも、たくさんの出会いもあって。そこで出会ったつながりは、途切れることはなくて、これからもつながっていく。そんな確信があります。
僕がいる限り、僕の中に一生残り続ける、一年半の「データ」。出会った人たち、物たち、場所たち。この経験を、大切に、しまっておこう。

人生は、物語。一冊の本のよう。
それでいて、頭の中は、図書館みたい。

目には見えないから電子図書館のようだけれど、その「データ」は紙の本にまとめられているかのように思える。


電車が停まりました。
懐かしく、それでいて新しい日々へ。
扉が開く。

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