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見られているだけの自分からの解放。

おはようございます。


分かっていることでも、どうしても譲れないものはあります。


例えば若い人の化粧。
僕ら位の世代だとすっぴんこそが良いと思っています。


若いころからの化粧は肌に良くないし、その荒れてくる肌質を抑える為に塗装を増やさなくてはならない。とても悲しい悪循環です。


価値観が違ってくると理解できないものですが、その「価値観」は所属している組織にとっては重要なことなのです。
学校での立ち位置は入学してからの数日で決まってしまいます。
大人の視点からでは「3年なんてあっという間」ですが、若い子にとってはその3年はほぼ永遠と同意語です。その3年間をどの層(スクールカースト)で生活できるかがとても重要です。なのでそのカーストの最上級、もしくは与党に属していないと辛い日々が待っています。


理解できる、理解できないはあって当然です。
僕自身、まったく理解できていませんでした。


僕は男性ですので、化粧はまずしません(←昭和)
外見を気にされる層(モテ層)に居なかったこともあり、そうした見た目を気にしたことはありませんでした。だからそんな生活をしていて困っている人を理解しろと言う方が無理です。
理解していないということをしっかりと意識しなくては、人のいう事を理解することは出来ません。


今は寫眞作家として多くの方々の顔を見ています。
人の中には気にしない人もいますが、首のしわ一本でさえ気にする人もいらっしゃいます。


僕がどう見ているか、
それから「自分が自分をどう見られたいか?」
そこをしっかりと考える。


視線は気になります。
無頓着な僕でさえ、住んでいるマンションのエントランスに行くのにしっかりと着替えます。誰からも気にされない中年男であるというのに。


どう見られたいか?
とても重要な要素です。

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