子供たちに怪我を晒すということ。

ビジネスの基本は夜の街で培った知識によるものが多かった。でも、それを活用しようと思ったのは、やはり交通事故の経験が引き金だったと思う。




怪我の癒えないうちに、僕はF小学校へと向かった。

「満身創痍」との看板が掲げられそうなほど全身の怪我が痛々しいし、実際にとても痛くて。
松葉づえの使い方というものを正しく知らない内に気持ちばかりが先走って向かっていました。


説明すると僕は最初の劇団を立ち上げた時、共同で運営をしていたTさんからのSOSでこの小学校に創設された「演劇サークル」の講師となっていた。
SOSは大げさですが、もともとそのTさんが受けていた講師業なのですが、慣れないことと問題児がいることでまとまることも無く最初の数か月は何もできない状態だったことで僕が呼ばれたというわけで。


自分で言うのもなんですが、僕は破天荒なタイプなので問題児ばかりの子供たちにも受け入れられました。おそらく「先生らしさ」が一切無い(笑)ことが勝因だったと思います。


引き受けてみると、羞恥心や社会経験等の鎧を身に纏っていない小学生は、それはもう見事に知識を吸収していくので僕自身とても楽しくなっていて、他の仕事の片手間ではなく本腰を入れてこの講師業にのめり込んでいました。


そんな子供たちのだからこそ、これは「チャンス」だと思い、痛む身体を文字通り引き摺って登壇。
全身大けがの先生が入ってきたわけなので一瞬にして空気が凍り付くのを感じました。
そりゃ怖い。


控えめに言いますが、顔はまだ腫れあがっていましたし内出血が降りてきて隈のようになっていました。自分で鏡を見た時もドン引きしました(あまりにもすごかったので写真を撮ったほど)
だけど子供たちは最初こそ驚いて凍り付いたものの、すぐにその優しさを発揮して僕を気遣って椅子を用意してくれたり、手を貸してくれたり。


僕はそんな子供たちに「命」の授業をしました。


「事故に遭う事は特別なことではない」「いつ、どこで遭うのかわからない」
事故直前に購入したジュースの事についても言及しました。とても美味しくないパイナップルジュース。
人生の最後に飲むとしたら後悔しかないシロモノ。
「後悔なく生きる。そのためにはどうしたらいいのか?」


僕の問いかけに子供たちはそれぞれの気持ちを綴ります。


本当にそれは最高の授業でした。


その授業で学んだのは子供たちだけではありません。


僕自身がそう。

「生きているんだ」
その意味を考えた時、僕はすぐにふたつの行動にでました。


ひとつは当時制作していた舞台の脚本を全面的に書き直すこと。
期日はあったものの、死生観を変えられた僕はそれまでとは違う新しい思想での創作をすることに拘ります。


そしてもう一つは


それまでとは全く違う
事業を立ち上げようと決意したこと。


つづく。


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