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誌上公開【静寂に耳を澄ますということ】


(雑踏から駅のホームへ。やがて静かになる)


駅のホーム、その静寂が、やがて線路から聞こえてくる振動に変わっていきます。
その音は、不思議と心を鼓舞してくるのでしょう。
旅にはそんな魔法がつきものです。


そこに行かずとも、繋がれるようになった今でも、人は旅をすることを続けます。


その線路の向こうに何を想うのでしょう?


旅をする。誰かに逢う。
そのすべてが満足いくものではないこともある。
時には悲しみもある。
それでも、人はこれからも旅を続け、誰かに逢いに行く。

深夜の街の明かりが流れさり、窓一杯に闇が広がった時、
そこに映るものは、これまでの悲しい思い出なのか、

それともこれから創造される、本当にあなたが望んでいたあなたなのか?


その線路は、今日のあなたから明日のあなたへと繋がっています。


その出逢いに期待と、少しの不安を抱えて。


シンデレラがカボチャの馬車に乗って、人生を変えたように、
いまから乗るこの列車はあなたを幸せへと連れて行ってくれることを信じて。


あなたを優しく抱きしめるその胸に
聴こえてくる鼓動と列車の振動が心の底に溶け込んでいきます。

ただ、身を任せて、
感じていてくださいね。

あなたの中にある、官能を自由に解き放ち、もっともあなたらしいあなたを創作する旅。
あなたが創り出す幸せへと続く旅へ、あなたを誘います。


【静寂に耳を澄ますということ】


あなたの心の旅をナビゲートするのは私、演出家の篠原有利です。

(寝台列車の中 )


車内の揺れに身を任せ、すこしの睡魔を持て余すのは列車の旅の醍醐味なのかもしれません。ゆっくりと身を任せる、その行動はどこか「抱かれる」ということを連想させます。
その心地よさを身体に染み込ませていきます。
せっかくの旅ですので、楽しむこともまた誠実なことなのでしょう。


まどろみを抜けて、窓に映る流れる街を見つめてこれから会うクライアントのことを考えます。


クライアントが持てあます「悩み」の正体を、少しだけ推察する。
先入観を持つことは「声」を聴く妨げになるので、深く考えることはしません。


「セックスをする」という事はどんな意味を持つのでしょうか?
愛の確認、快楽の為、他にも何か隠された意味を持っているのでしょうね?
人と肌を触れ合わせ、お互いの温もりを感じ合い、つれ合いの中に入る。
それはお互いの絆を確かめる聖なる儀式。



Sexをする、その行為がお互いの同意のもとにある時点で、二人はそれなりの親密さをもつのでしょうが、その気持ちの中には期待が過分に含まれています。
その期待はそれぞれあるもので、答えられるばかりではありません。
そこに、どうしようもない障害が存在します。

誰かの想いをまっすぐに受け止める時、その人と僕の意識の境界線は細い、とても細い線のようになり、やがて視えなくなってしまう。


その感覚は、僕が「演出」について考える時にあることです。


演出家、そう名乗る時、僕の意識は「本来の自分」とはすこしズレていきます。
それは大幅なズレではなく、ほんの少し、でも確実なズレ。
プライベートから仕事モードになるような、僕自身の中にあるスウィッチが切り替わるような。こうして乗っている列車のポイントが切り替わり、別の路線に行くような感覚。


演出家の仕事は、その多くが舞台やイベント会場にいることが多いです。
僕も多分に漏れずそうしてきました。


演出家とは「戯曲・脚本に書かれていることを解釈し、その解釈をヴィジョンにし具現化していく職業」です。
そうやって、紙に書かれたものを現実の世界に実現化していく。
そんなことを何年もやってきました。


そんな仕事をしているうちに、あることに気づきました。

舞台は人生の縮図。

僕の「演出家」としての技術は、虚構から現実を生み出すことができる。同時に、現実をもっと「理想的な現実」にすることができると。
人はそれぞれ「こうありたい」という理想の人生の脚本を持っている。
僕はそれを具現化するために行動する。


ライフスタイルを演出する演出家。
それがいまの僕。


舞台やカメラの前でアクター、アクトレスが多くのドラマを創っていくように、
人が人を想う時、そこに物語は生まれます。
その物語は解釈ひとつ、行動ひとつで悲しいものにもなり得ます。
悲劇は美しいものですが、自分の身ではあってほしくない。あくまで傍観するから美しいものです。


だから僕はその関係というコンセプトを、幸せになるという方向性で演出していきます。


意識する前から、僕の元にはいつも相談が寄せられていました。
その内容は、多岐にわたります。
でも変わらないことは、どれも「関係」について悩んでいるという事です。


僕には決まり事があります。
それは「どんな関係も否定しない」ということ。


世間的に、モラル的に否定されるようなこともあります。
しかし、それらはこれまでも否定され、そのことで当事者は傷ついてきたことを僕は感じます。だから僕は否定しません。
どんな関係であれ「悩むほどの想い」があるものです。僕にとってそれが大切です。その「想い」に真摯に向き合うこと。

人の想いとは「その人のもの」であるからです。
誰かに気を遣い、人の目を意識するばかりで失ってきた想いは少なからずあると思います。


「理想の生活」をクリエイトするためには、そうしたことも無視するわけにはいきません。
モラルを口にするならば、僕は全てを受け止めるという「モラル」を掲げます。


僕自身、失ってきたものはとても多いです。


こうして列車の振動を感じ蘇る僕の胸を刺す「ある思い出」


その痛みは、僕を突き動かす痛みです。
あの日、失ってしまったものへ。



失くした『想い』を昇華させるためにも、僕は誰よりも相談してくださる方の味方でいます。



相談の多くは、パートナーとの関係についてです。
その関係の中でも、セックスの悩みについてはともて多くのご相談があります。


こうしたご相談が増えたのも、僕がEDであることを言ったのが始まりでした。

EDとは勃起することができない、もしくは勃起を持続できないということですが、体調を崩してからそうなった僕も悩んだことがありました。


だけど、それが転機となりました。
Sexについて、それまでの男性の主観から解放されて客観的に考えることができるようになったことです。

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