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病院にて。Story of Office ELAN


ほんの数十メートルの救急車の旅を終えて僕は処置室に連れていかれた。

そこで、当直医とインターンによる応急処置が行われたのですが、外科の専門医の到着が遅れているという事を耳にする。「謎の渋滞で」
国道でトラックが爆発炎上していますので、とてもじゃないけど通行止めなのだろう。


「すみません」その渋滞が自分のせいのような気になってつい謝罪の言葉が出てしまう。
何だか自分がとても悪いことをしたような気がして。
そうなってくると「落ち込みスパイラル」に陥ってしまって、自分を責めてしまう。
この事故に自分の過失があったのでは?もしかしたら自分のせいでこの大事故が起こったのではないのか?


少しだけ冷静になったせいか、急に不安や恐怖が沸き上がってきてどうしようもなくなり、まだ早朝にも関わらず妻に電話してみる。
もちろん、今日は会社だしギリギリまで寝ているだろうから当然電話を取ることも無い。マナーモードにしているだろうし。


それでも落ち着かないのでメールを残すことにする。
事故に遭ったこと、今は病院にいること・・・
そこでふと思ったのが、妻は当時の僕なんか比べ物にならないほどの企業人で忙しい人だった。思えばそこから僕が家事をするようになって習慣化したものだ。


当時の僕は自営では稼げずに、深夜に送迎ドライバーのバイトをしてしのいでいた身分(その帰り道での事故だった)
とてもじゃないが負担になるわけにはいかない。
なので、心配せずに出勤していいとメールに書く。
ついでに、テレビを観るなとも付け加える。


あれだけの事故だから絶対にニュースで報道されるだろう。
それを観てしまうと、その惨状から心配してしまうだろう。


それが失敗だった。


「観るな」と言われたら見てしまうのが人情。
妻は起きてメールを読んですぐにテレビをつけたそうで、そこで都合のいいことにニュースで正に燃え盛るトラックと弾き飛ばされ潰れた車体を観たという。


すぐにメールが返ってきた。僕はホッとする。
やっぱり家族からの連絡は心を落ち着かせてくれる。ありがたいものだ。


僕は今いる病院を伝え、大丈夫だから会社に行くようにと告げる。
事故に遭った場所は家からかなり離れてて、駆け付けるにはとても不便なところだった。
今ではイオンモールが出来てにぎやかになったけど、当時は何もない土地にある病院だった。そこに「来てくれ」とは言い難い。


他のけが人は地元だったのか、家族が駆け付けていた。
正直羨ましかったけど、仕方がない。
僕のところに来たのは、事情を聴きに来た警官だけ。
僕が寝かされているベッドの近くに尿管結石で担ぎ込まれていた患者さんがいて、激しく痛がっているので警官は最初そっちに行って医者から「そっち結石、事故はこっち」と促されていた。その簡略化された言葉に、これがプロというものかと感心したのは職業病なのだろう。


その警官から事故の詳細を聞いて、いま加害者のトラックドライバーは留置所にいることを知る。
「生きてたんだ」
正直、燃え盛るトラックを見ていたので助からなかったと思い込んでいた。
事故後、あまりの事に逃げて近くに潜んでいたらしい。


そりゃそうだろう。
気持ちはわかる。こんな早朝だから疲れていただろうし、注意力が落ちていても僕は責められない。
同時に僕の車より後ろにいた軽自動車の運転手は即死だったと聞かされた。
重いものが心に多いかかぶさった。
朝早くから勤めに出て、こんな事故に遭って命を落とすこと。
今日は何をしようと思っていたのだろう?
次の休みはどんな事をしようと思っていたのか?
家族とどんな会話をして家を出たのだろう?
会話は出来なかったかもしれない・・・早朝だから奥さんとかは寝ていたかもしれない。
ウチみたいに。


僕は繋がらなかった電話を思った。
何かを言い遺せるなんて、実はとても幸運なことなんだと思った。


最後という自覚なんて無いまま、突然に毎日の生活が強制終了すること。
その最後の瞬間をこんな感じに迎えること。


僕は怖くてたまらなくなった。


またそうした想い、遺された家族たちの想いをその「加害者」は背負わなくてはならないのかと、それを想うと辛くてたまらなくなった。


怖い。


顔が表情を創ることを止めてしまった。
手足に血が行渡っていないのを感じる。


怖い。


それしか考えられなかった。

つづく。


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