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歌ならいつだって

歌ならいつだってこんなに簡単に言えるけど
世の中歌のような夢のようなとこじゃない
きらいなときはノーとすきならすきと言えたら
こみあげる気持ちでぼくの胸はつぶれそう

ぼくのお日さま/ハンバートハンバート

大好きなユニットであるハンバートハンバートの曲を聴きながら、料理をする時間が好きだ。いつも素直にいたいと思いながら、素直になれないことが多々ある。心の中にはしっかり言葉があるのに、伝えられないこともたくさんある。そういうときには、わたしは歌を歌って、その気持ちを整理する。歌の中にはいつもわたしの「あぁそう、それそれ」という気持ちが隠れているから。歌に見つけてもらうのだ、本当の気持ちを。

ここ数日、数週間?ちょっと先の人生のことでいろいろと考えがまとまらずもやもやしていた。心の中ではもう自分の意思は決まっているような、でも勇気が出ないような、そういう日々だった。

「ユウリは自分が決めたことを正解にしていく力があると思う。」昔、友だちがそう言ってくれたことを思い出すなどしていた。もちろんいい意味で言ってくれたのだろうが、わたしには正解にこだわりすぎるよくないところがあることにわたしの心は気が付いているので、素直に喜べない自分もいた。

正解などない、と人は言う。人の数だけ正解がある、とも。わたしも、そう思う。きっとそうなのだ、ということを頭では分かっている、つもりだ。だけれど、わたしはついつい正解かどうか、ということを考えてしまうのだ。

そういう自分の中のコンプレックスが溜まって、急に突拍子もないことをやってみたり、言ってみたりしている。そういう自分が正直あんまり好きではない。もう少し、計画的に、もう少し論理的に、できないものだろうか。そういうことにちょっと悶々としていたのだ。

はっきり物事を言えるようで、実は言えない。そういう自分の考えすぎなところをどうにかしたいと思いながら、自分の繊細な部分を好んでいる。自分のことって本当よく分からないなあ、という話。

久々に会った友人が「自分だけには嘘をつくのをやめた」と言っていた。(周りには嘘をつくとかっていう話ではない。)あぁ、意外とできていないかもと思った。自分の感情に蓋をしていないかなとか。自分の世界でちゃんと生きていこう、と常々思う。わたしも、わたしを大事にしてあげたい。

多分、おそらくだけれど、みんなどこかでそう思っている。みんなどこかで自分のことを大切にしきれずにモヤモヤしている。「時には我慢が必要。」という言葉は、正しく解釈されないと取り返しのつかないことになるのだと、少しずつ気づいたのは、やっと20代半ばを過ぎてから。

歌のように、映画のように、物語のように。わたしは生きていたい。本当の世界で。



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