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#9 気まぐれ日記 | この時代に幸せだって叫びたい

2024.01.28

今期のドラマわたし的暫定1位の「不適切にもほどがある!」。クドカンの作品であり、好きな俳優さんが多く出演しているという贔屓目もあるけれど、やっぱり現代への痛烈な投げかけはスカッとした爽快感がある。

「結婚だけが幸せじゃない。」ってあんた言ったけど、じゃあ「結婚しました。幸せです。」って言っちゃいけないってこと?俺は幸せだったよ、かみさんと結婚したとき、娘が産まれたとき。叫びたいほど、幸せだったよ。我慢しなくていいだろう、幸せだって言いづらい社会 なんかおかしくないかい?

『不適切にもほどがある!』より

結婚や出産に限ってのテーマではないけれど「幸せ」だって言いづらい世の中のこと。時々、考えていました。もっと辛い人がいるから、と悲しみや苦しみの大きさを比べては、何かと自粛が求められる社会。幸せだと感じることだけではなく、苦しみさえも我慢が強いられる世界。大変なことが続いた年始にも改めてそのことを感じていました。もちろん他人の状況に想いを馳せることは大事です。人の苦しみを想像できる力はとても偉大な能力。共感力こそ人間力だろうし、我慢だってときに必要。忍耐力は自分を守る盾になることもある。でも、わたしたちが選べるのは自分の人生だけだから。自分で選んだ道に、喜んだり、泣いたり、笑ったりすることこそ、平等で自由な世界だと、わたしは思います。

結婚していなくても幸せであるということは、いつだって事実だったのに、結婚ではない幸せを掴んでいる人を、特別で特殊なもののように扱ってしまうメディアのせいで、そういうことばかりが強調されているように感じます。幸せの反対は不幸だとは限らない。もっともっと繊細なのです。どんな場所にもその人なりの生き方があり、選択があり、幸せがあるはず。結婚はほんの一例だけれど、出産とか、人間関係とか、地位とか、富とか、そういう全てのことにおいて。反対の選択肢に不幸があるわけでは決してない。

泣いている人がこの瞬間にこの世界にいるとしても、もしも、その瞬間に自分自身が幸せを感じたときには思い切り噛み締めていい。幸せだって叫んでいい。ちゃんと苦しんだ時間が誰しもにあるのだから。オリジナルな人生がこの世で一番美しい。自戒を込めたメモです。


2024.01.29

あまりにもショッキングな出来事だった。誰のことも責めないで、という言葉すら、触れるだけで凶器になるような気がした。何も言えない。わたしが人生で一番初めに夢中になった漫画は「砂時計」でした。わたしの大切な大切な友だちが、元気がない時に勇気をもらったドラマが「セクシー田中さん」でした。それだけを、それだけをぎゅっと抱きしめる。

2024.01.30

宅急便の集荷に来てくれた人がとても親切で、ホッとした。友だちが育ててくれたカブが本当に嬉しかった。甘くて、優しくて、そのまんま食べられた。育ててる人の顔が分かるって嬉しいし、安心だし、より美味しい。この街に来て、そういうことを強く感じる。わたしたちがスーパーで当たり前に買っている野菜のその先の先には誰かの苦労がある。農作物に限らず、なんだってそうだと思うけれど、そういう”その先”が見えるものってあまり多くはない。多くはないけれど、見ようと思えばちゃんと見えるし、見たいと思う。お金を稼ぐことは簡単ではなかった。簡単ではないことで得た少しばかりのお金を、何に、誰に、どんなことに使うのか、ちゃんと選べる人でありたい。

朝ラン

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